
近所の子どもたちが遊山していた場所【森の学校みっけインタビュー #1】
なんでも2025年2月28日
こんにちは。森の学校みっけです。
早いもので、開校から3年目の冬を迎えています。
みっけは子どもと地球の美しい未来をビジョンに掲げて学校運営に取り組んできました。おかげさまでみっけに通う子どもも増え、森のフィールドで見られる生き物も年々多様になっています。
新たなチャレンジとして、子どもも大人も学べる、新たな校舎を建てる計画が進行中です。今はいろんな事例を見たりお話を聞いたり、私たちも勉強しながら構想をふくらませている真っ最中なのですが、その過程もぜひシェアできればと考え、少しずつ発信していくことにしました。
初回となる本記事では、みっけの土地の持ち主である上本さんと代表松岡の対談です。聞き手は事務局長中村。一緒に楽しくおしゃべりしています。
みっけは上本さんが松岡に家を貸してくれたことから始まっています。小さい頃は現在の学校がある場所でよく遊んでいたと言う上本さん。昔はどんな様子だったのか、今の景色をどのようにみているのか。たっぷり聞かせてもらいました。
ゲスト:上本政史/神領本上角在住
話者:松岡美緒/NPO法人みっけ 代表理事
聞き手:中村奈津子/NPO法人みっけ 事務局長
書き手:森山円香
上本さんと松岡の出会い
中村お二人のはじまりから聞かせてもらえたらと思ってます。どんなふうに出会って、どんなことを話してみっけが始まったのか、お聞かせください。
上本ほら入居したときからやろ。覚えとる。
自分は松岡さんが今住んどるところでいつもお酒飲んだり、遊びよったんよね。誰かが借りてくれてもいいなとは思いよったんやけど、自分からどんどん貸したいとも思ってなかった。そしたら松岡さんが家探しよる言うて来てくれたんよ。で、気に入ったっちゅうて。
気に入ってくれるっちゅうのが大事なんよな。もう仕方なし、他にないけんそこでいいわって人ならやめてもらおうと思ったんやけどね。自分もあの場所は好きでね。気持ちいい場所やけんね。それがわかってくれとるなと思って。いい人に借りてもらえたなと思って、うれしかったんよ。
松岡家を見に行った時に、上本さんは「森も見に行こう」って、家の奥の森も連れて行ってくれたんですよね。次に来た時は「下(現在のみっけのフィールド)にもいい場所がある」って案内してくれて。ジャングルの状態だったけど「ここは絶好の遊び場だと俺は思っとるんや」って。
でも、すぐには私たちも草刈ったりできなくて…。
上本手が回らんわな。しようと思わなんだら(思わなかったら)。
松岡でも、その後に「やっぱり草刈ってみようと思うんです」と言いに行って。そしたら「やれるだけやってみたら」と言ってくれました。
上本さんは土地貸してくれるとき「何切ってもいいし、何植えてもいいし、何建ててくれてもいい」って必ず言ってくれるんですよね。
上本したいようにね、してもらいたいんや。
松岡それはなんでですか。
上本自分が遊ぶんでないんやからね。したい人が自由にするっちゅうのがいい。 面白くないで。制限があったら。それはもう自由にした方がええと思うな。俺はね。
中村お父さんみたいに見守っていただいてますね。。娘、自由にさせてもらって。
上本自分の娘と同じ年やから。
中村そうなんですね!
近所の子どもたちが遊山していた岩
中村美緒ちゃん(松岡)は最初から学校もやりたいと思って、下(現在のみっけのフィールド)を見に行ったの?
松岡そういうわけじゃない。ただ、「最高の遊び場」ってフレーズを聞いて行った時に、入っていく道がちょっとトンネルっぽかったり、植栽が違う文脈があったり、岩があったり。ちょっと進むだけで全然表情が違うフィールド。そこがすごくいいなって思ってた。
上本あの岩は値打ちあると思いよったんや。 あんな岩なかなかないけんな。同じ岩が割れとるような感じでね、親子なんよ。
中村同じですもんね。白い肌のね。
上本うちの叔母さんが今90ぐらいなんやけどね。(叔母さんに聞いた話では)あの岩は土地の持ち主のやけど、近所の人が遊びに行ってた。親が作ってくれた弁当持って。遊山箱って知っとうでしょ、徳島のね。ほんで、5、6人であの石の上で弁当食べて遊山してた。
中村伝統工芸品になってる遊山箱が、本当に使われてたんですね。
上本昔はもっと木がなくて、気持ち良かったと思うんよな。今は、だいぶ明るうなったんやけどね。あそこの家の持ち主だけが知っとるっちゅうんでなしに、あの付近の人たちが遊んだりしよった場所なんよ。それぐらい気持ちのいいところなんよ。
子どもたちが遊山していたという岩山。こちらが親岩。
みっけの学校がはじまって再び子ども達の遊び場に。
親岩の近くにある、子岩。
小さい頃に川で見た、たくさんのモクズガニ
中村このお話、私大好きで。みっけのやりたいことを大きく言うと、「地球と子どもの美しい未来」。この「美しい未来」ってどんな未来?ってなった時に、今話してるような美しい景色が思い浮かぶ。自然と人との暮らしがちょうどいいバランスででキレイな景色としてある、みたいなのを、本当に実現したい。ちょうど50年後、自分の孫がそういう環境で遊んでてほしいなと思ってて。
こういう話聞くたびに、「いろいろあるけどがんばろう!」みたいに思えてて。
上本さんがあそこで見てた景色をもう少し教えてもらえますか。
上本うちの土地に栗がいっぱい植えてあったんよ。で、うちの母親と自分と兄弟で行って、栗を毎日拾わされて。遊びたいのにね。
で、ちょっと休憩に川を見に行ったんかな。ほったら下にね、 モクズガニが。ヒゲガニっちゅうんやけどね。ちょっと堤防のような、短いダムみたいなのがあるでしょ。そこにたまりがあって。上から見たらね、いっぱいおったんよな。それはもう今でも覚えてるけど、50匹前後おったかもわからん。大きいんから小さいんから。後にも先にも、そんだけ見たのはないけどね。
中村それぐらい生き物があふれるようにしたいと想像します。今あの場所は結構コンクリートばりになってますよね。
上本その時もなっとった。ちょっとカニが(コンクリートの堤防に)止められとったんかな、 登っていっきょったカニもおったけどね。
ウナギもいっぱいおったんよ、昔は。あの辺とか谷とか、田んぼの上までおった。今はね、ウナギの赤ちゃんを取ってしまいよんよ。シラスウナギ。自分が子どもの時は、まだ養殖ウナギはしよらなんだ(していなかった)。今は高く売れるけんね。ほら、ウナギがおらんようなるはずや。
中村ウナギとか生き物が減ってるのって、川の水が減ってて環境の変化が原因で、とか思ってたんですけど、やっぱり人のお仕事、産業とかの影響もあるんですね。
上本養殖も原因やな。ほんまはもっと規制せないかんけど、あんまりしよらんのやろうな。多少はしよるやろうけど。
松岡昔は食がすごく豊かだったんでしょうか? それとも売ってお金にしていたんですか?
上本カニとかウナギはね、家で食べるだけ。売るほどは取れんしね。栗とかスダチとかはね、多少は売りよったけどな。
松岡みっけでは今、モクズガニはカレーにしたり、高知の伝統料理のうどんにしたりしています。
上本ええ出汁が出るやろ。
松岡はい。お家ではどういう風に食べてたんですか。
上本自分は、ゆがいてね。甲羅のとこに、日本酒入れるんよ。ほれで飲んだらね、一級酒が特級酒になる。
松岡小さい頃の話じゃなかった。(笑)
上本美味しいわ。熱燗にして。いい味するけんね。
塩水の湧く土地
松岡家を案内してくれた時、「ここは昔、温泉湧いてた場所」って教えてくれましたよね。
上本今松岡さん住んでるところをどっかのトンネル作ったお金持ちの人がボーリングして。下から冷泉ちゅうか、そういう泉質のある部分が出てくるのはわかっとったけど、 誰でもそんなことようせん。その事業家の人がするっちゅうことで、一番最初に掘った場所なんよ。今でもその掘った場所に石があるんやけどね。
ほんで、温泉が出よったんやな。何年か何十年か忘れたけどね、かなり出よった。地層がずれて今はそこは出んようにはなっとるけどな。
そのあたりは場所が「塩水」っていうんよ。名字も大塩、塩井、塩本… みな「塩」がついとる。
松岡電柱見ると、昔の住所で「塩水」って書いてありますよね。今はここの地名、南上角になっちゃったけど。
中村掘ったら温泉湧いてくる場所だし、床下から塩が生えてくるような、そういう土地だったのでしょうか?
上本そやな、大昔から。
松岡そこでボーリングしてた時は、垂れてくる塩水をバケツに集めてたって聞いたことがあります。
上本ボーリングした時に使うパイプのようなのがあって。そっから、ドーって(塩水が)出よったんよ。で、天然ガスが出よった。火がつくんじゃっちゅうて。天然ガスを貯める場所も作っとったんよ。もう今は使うてないと思うけどな。
松岡すごい。ガスも出てたら、本当にオフグリットできる。
上本ガスが出るとこに火つけたらね、ボーっと柔らかい光がね、青白い光で。
中村見たことありますか?
上本1回だけは見た。自分は子どもの時やけんね。今67やからね。だから、60年前ぐらいかな。
昔はほとんど見かけなかった鹿の姿
松岡このあたりの水の量が減ってるという話をよく聞くけど、川の水は50年前に地下に溜まった雨水だと言われていて。もうちょっと杉じゃない森にしていけたらと思っています。
上本またハゲ山にしたらいいんよ。
自分が子どもの時に、戦争に負けたで。全国的に焼失した家も多くて、戦後一斉に家を建てだしたもんじゃけん、短い木も今の1万円ぐらいの価値があった。町とかみんなが補助出したり道作ったりして、木を植え植え言うてね。先を見える人がおらなんだ、その時は。ほんなら今は大暴落っちゅうか、全然価値がないようになって。
山のてっぺんまでスギ・ヒノキを植えてしもうた。もうあそこは薄暗い、死の山になっとんよ。上から見たら青いけん大自然や思うけどな、実際は鹿やイノシシとか猿が食べる餌がほとんどなくなっとる。
自分が子どもの時は、山の奥の方に遊びに行った時にたまたま見たんが1回だけ。鹿は人間の近くに出てこんのが普通。人間は怖いと思っとるし、山の奥で住んどった。だけど人間が山のてっぺんまで植えてしもうたけん。食べるもんがないもんやけん、仕方なしにこっちに出てきて。ほんで、鹿が悪い悪い言われて、殺されたりしよんやけどね。
松岡地元の人から、「ここは近所では死の谷」って言われてて。もう誰も手つけられなくなっちゃった谷って神山にはどこもかしこもあると思うんだけど、「ここもその1つになっていくんかなって思ってたんよ。だからそこを蘇らせてくれてありがとう」と言われて。植えたけど人の手が入らなくなった杉だらけの森って、死の森とか死の谷って思わせるような…それぐらい暗くなっちゃうんだなって。
上本中入ってったら、草生えとらんのよな。クヌギとかは落葉するし、光通すんよ。葉っぱであってもな。動物とか鹿とかにしたら、死の山になった。
松岡みっけのフィールドも変わったと思うんですけど、どうですか。
上本小学校つくってくれてね、あの場所が喜んどうと思う。やっぱり何かに使われるっちゅうのは絶対嬉しいと思うよ。あの石も、川も谷も、すべてが喜んどるわ。
やっぱ子どもの声っちゅうんはね、 生命力が満ちあふれとる。自分や子どもの時は近所に子どもが3、4人おったけんね。必ず1年から6年ぐらいまでおって、ずっと並んで小学校行ったりしよったんよな。
今のみっけの子どもが歩いてきよんで。ああいうんが見えなんだんよ。最近は、もう全然。みっけの子どもが歩いてきよん見よったら、なんとも言えん気持ちになる。
みっけへのエール
中村学校始まってまだ3年目だけど、みっけの学校と保護者とスタッフとで60〜70人ぐらいになっています。どんな風に感じられてるか、聞かせていただけますか?
上本こういう学校はあった方がええと思うんよ。神山に1つぐらいはね。選べる場所があったらええと思うし、個性を尊重してくれる、自分らしく生きれるような学校っちゅうのも大事だと思うよな。人間はもっと人間らしい、ほんまに生まれてきてよかったと思うような、死ぬ時に最高の人生やったと思うて死ねるぐらいの世の中にせなんだらいかん。
中村これからも元気で、この先の学校のことも見守ってください。一緒に美しく豊かな景色を見れたらうれしいです。
上本自分はうまいこといくと思っとるけん、心配してない。あそこに学校建っとるって、もうイメージがあるけんな。(松岡は)よう頑張る人やけん、いける。ニコニコしてるからな。笑う門には福来たる。とにかく笑っとったらオッケー。
松岡本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
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土地の記憶を聞かせてくれる人がいることで、私たちは温度感を持って過去と未来に想いを馳せることができます。今目の前に映る景色が昔はどんなだったのか。そしてこれからどうであって欲しいのか…。
大切な思い出のある土地を、好きに使ってくれていいと言ってくれる上本さんのおおらかさに頭が下がります。これからより一層お借りしている土地に手を入れていくことになります。またお茶を飲みながら「上本さん、聞いて聞いて!」と近況報告していきたいと思います。
コメント一覧
良い記事です。最近みっけ様にかかわれておりません。すみません!
2025年3月3日 11:55 | 河野公雄(ニコライ)