大久保の乳いちょう

なんでも2010年10月6日

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投稿者:Events

町の天然記念物

 大久保の乳いちょうは、高さ38m、幹周り13m、推定樹齢500年以上の巨樹です。昔からの言い伝えでは、母乳の少ない婦人が、幹から無数に垂れ下がる、乳のような気根に白い布を縛って、願をかけると乳が出るようになったと言われています。これを聞きつけ、昔は多くの参拝者が訪れていたが、戦後はほとんどいなくなってしまいました。

名の公孫樹として大切に保存

 現在、集会所が建っているところには銀杏山万福寺という小庵がありました。そこには庵坊さんが住んでおり、仏像を安置していました。庵坊さんは昭和30年頃まで住んでいましたがお亡くなりになり、その後は大久保名中15戸が毎日交代でお供えをしており、名の公孫樹として大事に保存しています。

その歴史

 明治末ごろ、この銀杏庵の敷地は個人の土地であったため、その地主が公孫樹と仏像(金)を医師・津田彦太郎氏に売却してしまいました。庵の家屋は名の所有でしたが、仏像と公孫樹をつけて売ったので、津田氏は仏像を実家へ持ち帰ってしまいました。

 数年を経て名の人がこれを知り、当時の庵主・山本彦太郎氏に仏像を取り戻させ、堂内に安置しました。津田氏はこの樹を徳島の材木屋に転売していましたが、名の人はそのことを知りませんでした。

 その後、大正の末ごろには大阪の材木屋に転売され、その材木屋が金を取る目的で、乳(気根)数本を大鋸で切り取りました。切り取った乳は、椿坂磯吉氏が馬車に積んで徳島の中洲港へ運んだところ馬が原因不明の腹痛を起こしました。それから半年もせぬうちに大阪の買い主から、祟ったというのでその乳を返却してきました。その木は今でも堂内に納めてあります。

 名の人たちは地蔵菩薩の霊験で婦人に乳を授けるこの御神木を伐られては困るというので、当時の戸主会長・岸亀三郎氏は大久保の戸主会を招集し、会員47名がそれぞれ応分の金を出して800円(戸主会の記録帳より)で買い戻した。その後は、名の共有財産として大切に保存されている。時に大正15年11月13日のことであります。

11月23日(祝)に開催される「いちょうまつり」の一コマ

いちょうまつり

 大久保集落は神山町神領の南側に位置する小集落で、南北に谷川が流れる山紫水明な盆地であります。集落の中央に樹齢500年以上の乳いちょうの大木があり、シンボルとなっています。水田3.5ha、畑5.1haがあり、その他は山林で、杉檜が植林されています。現在、戸数は15戸で40人が暮らしています。

 シンボルの乳いちょうを多くの人に知ってもらおうと、平成8年から「いちょうまつり」を開催し、もちつき、手打ちそば、おでん、わたがし、その他様々な特産品販売でもてなし、町内外から多くの観光客で賑わっています。いちょうまつりは毎年11月23日(勤労感謝の日)に開催され、11月15日から11月末日まで夜間のライトアップを行っています。

晩秋の風物詩。ライトアップで浮かび上がる「大久保の乳いちょう」

(注) 文章、写真は、杼谷潔氏、杼谷学氏の手によるものです。

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コメント一覧

  • この世に500年以上も存在するには、 やはり紆余曲折があったわけですね。 これから、この木の見方が変わりそう!

    2010年10月6日 21:23 | 大南 信也

  • これって、ほとんど「学(まなぶ)」ちゃんが書いたんだろな・・。 次の記事も、お願いね。(笑)

    2010年10月6日 22:14 | ニコライ

  • し、しつれいな・・・潔(代読(笑))

    2010年10月6日 23:34 | 大南 信也

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