【神山の半鐘】上分  パート2

なんでも2012年11月21日

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投稿者:麻空弘美

【上分地区】

小高い山の上の杉の木の中に半鐘はあった。
360度見渡せるこの場所には、昔お城があったらしい。
当時火の見やぐらも立っていたのだろうか。

【神山の半鐘】上分

半鐘は長年の風雨に耐え、
さすが疲れたのか隣の椿の大木を枕に休んでいる。

槌はビニール袋に入れて柱に吊ってあった。

下の家のおばちゃんは
「いつ叩かないかんかも分からんけんな」
と言った。

昔からこの場所に住んでいる者の
使命感のようなものがあるのだろう。

【神山の半鐘】上分

2回目に行った時は椿の木は根元近くまで切ってあった。
でも半鐘の体制はそのままだ。

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【神山の半鐘物語】

半鐘は町内にいつごろから建てられて、いつごろからなくなっていったのだろう。
神山町史を開いてみると、
■明治35年、西上角に久保嘉太郎氏が警鐘を購入した
■大正12年、現下分地区に警鐘台設置
■昭和9年、阿野村に警鐘を3円で購入
以上のことのみしか書かれていなかった。

その後、各集落に建てられたと思われるが、柱には木製で風雨に強い「ヒムロ」や「栗」が使われた。しかし、戦争中に鐘を供出したり、その後は盗難にあったものもいくつかあるらしい。町合併後は鉄製の警鐘台が各地に建てられている様子を眺めながら学校へ通ったものだ。

昭和54年には名西消防署の設置。昭和60年より防災無線の建設が開始され、平成8年には町内全域に完備された。火事や災害のときは重要な役目を 担っていた半鐘もその後はいよいよ出番がなくなり、また柱が老朽化し危険な状態になったため、取り壊されて年々少なくなっていった。昭和30年、神山町合 併当時の人口は2万人余り。その後、転出や町外就職によって現在は3分の1まで減少し、限界集落となった杉林の中にひっそりと立つ半鐘は、今ではその存在 場所さえも忘れられようとしている。

私が半鐘の音を最後に聞いたのは確か小学生の頃だったか・・・・。

そして、町内の風景を撮影に行く途中にいくつか目にした半鐘を、「今のうちに写真に残しておきたい」と思うようになった。半鐘の数だけ集落があり、そこにはきっといくつもの物語があったはずだ。

さあ、一緒に半鐘探しの旅に出かけましょう。

麻空弘美

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麻空弘美

退職後、カメラを片手に町内をぶらつく長靴かぁちゃん!

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コメント一覧

  • 下分にお城があった・・・と聞いたことはあるのですが、 上分にもお城があったのですか? 半鐘半疑(はんしょうはんぎ) ・・・・・すみません 半信半疑(はんしんはんぎ)の間違いでした。ぎゃは!

    2012年11月27日 23:41 | ニコライ

  • ニコライさん、半鐘半疑ですか。参った参った。下分にお城があったのですか。それは知りませんでした。神領の谷にも長満寺の北にあったようで、今でも「城山」と呼んでいます。

    2012年11月28日 19:42 | 雨乞滝の女神

  • 先ほど差し上げたコメントにミスタッチがあることに気づきました。どうかご容赦ください。

    2012年12月14日 04:57 | 祖父江政義・愛子

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