神山町と考える、これからの地域留学 レポートシリーズ①前編 「親としての葛藤。ぶっちゃけ進路はどうなるの?」

学び2018年9月9日

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投稿者:森山 円香

城⻄高校神山校は2019年度より、農林業を基盤とするこの土地に学び、未来を拓く人づくりの拠点として、「地域創生類 環境デザインコース/食農プロデュースコース」へと生まれ変わります。あわせて、県内遠方地や県外からも移り住み神山町で暮らしながら学校へ通えるように、住まいの準備もしています。

いまいる場所を離れて、田園部や中山間地の高校で3年間を過ごすということが、高校生自身や地域にどのような可能性をもたらしうるか。自然に囲まれたまちで、今なにが学べるか。

そんなことを、まちに暮らす保護者や先生、地域留学経験者など、様々な立場の人たちから様々な視点で語ってもらい、レポートとしてお届けすることにしました。

 

ただ、いきなり出鼻をくじくようですが、誰しもに神山校への入学を推すつもりはありません。これからの時代は地域留学だ、なんて言うつもりもありません。親元を離れて暮らすということは良い点もあればそうでない点もあるし、ここの環境が合う人もいればそうでない人もいるでしょう。高校時代という貴重な時間をどこでどのように過ごすかということは、本人にとっても家族にとっても大きな決断だろうと思います。だからこそ、いろんな観点から考えていただけたら。

地域留学を検討している・関心がある方たちはもちろん、受け入れる側のまちの皆さんとも、この内容を共有していきたいと思います。

 

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こんにちは、神山つなぐ公社の森山です。

すこし前置きが長くなりますが、シリーズをはじめるにあたって思うところを。

7月に、「いま、地方の高校で学ぶということ 神山町と考える、これからの地域留学」という場を東京と大阪で開きました。各ゲストが、それぞれの目線から神山や地域留学について思うところを語ってくれ、情熱や葛藤含めて個々人の思いが溢れ出る、熱気に溢れたイベントになったと思います。ただ個人的には、そこに参加してくれていた中学3年生の女の子の言葉が忘れられません。

 

イベント終了後、そそそと近寄って、どうだった?と女の子に話しかけてみました。

「しんどかった。」

そそそ、そうだよね、2時間もずっと話聞くのってしんどいよね、と焦る私。

いいえ、そうじゃないんです、と彼女。

「普段、学校で言われていることと、今日聞いた話があまりにギャップが大きくて。」

すこし詳しく聞いてみると、その子は涙を流しながら話してくれました。

 

学校では先生から、テストの点数をもとにして「あなたはこの高校へ行くのがいい」と言われる。なぜ10ほどしか年の離れていない人から、さも全てを知っているかのように決め付けられないといけないのか。でも完全に反発することもできない自分もいる。今日、神山の話はとても魅力的に聞こえた。でも、ここに行くと得られるものはたくさんあるだろうと思う一方で、失うものもあると思う。もう中3で受験に向けて勉強しなきゃいけないときで、急にこんな話を聞いて、とても混乱している。と。

 

ある程度近い価値観の人たちで構成されるコミュニティから一歩踏み出して全く違う世界に触れたとき、あるいは、自分の考えや胸の中にある気持ちがちゃんと言葉にできる気がしないとき、自分を支えてきた土台がぐらついて不安で仕方なかったり、逃げだしてしまいたくなることがありませんか。

自分の頭で考え抜こうとしている彼女のような人を前に、こうしたらいいよなんて無責任なことは言えないのですが、せめて考えるためのヒントになるよう、いろんな目線を持つ大人の言葉を届けてみたいと思ったのでした。きっともっと悩ませちゃうんですけど。

そして、中学生本人の意思決定においてそこに意図があろうとなかろうと大きな影響を及ぼすのが、保護者や先生たち、周りにいる大人です。

大人の皆さんにも、今一度これからの進路決定への関わり方について、一緒に考えてみませんか、という投げかけをこのレポートに込めてみたいと思います。

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最初の数回は、7/14に東京で開催した「いま、地方の高校で学ぶということ 神山町と考える、これからの地域留学」でご登場いただいた方々のお話をお届けしたいと思います。
イベント概要はこちらから

第一弾は、原っぱ大学という、神奈川県逗子市の山や海をフィールドに、大人と子どものための「遊びの学校」をひらいている塚越暁さん。

何度かお会いしていますが、基本ゆるめのスタイル(短パン&ビーサン)で、夏休みの虫取り少年がそのまま大きくなった感じ。その大きく響く声と気持ち良く豪快に笑う姿は、会う人に安心感を与えてくれます。

そんな塚越さんは、短期間の間で神山を3回訪れ、その土地や人の魅力に惚れ込んでいるとのこと。ソトの目から関わっていて感じる神山の魅力と、中学生の子どもを持つ一人の親としての疑問や葛藤をドンっとその場に差し出してくれました。

(以下、塚越さんのお話です。少しでも会場の様子が伝わるよう、イベント時に使用した写真・スライドを織り交ぜ、掲載用に編集しました。)

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人と自然の関係がおおらかに流れている場所

私が感じた神山町の魅力ですが、1つはおおらかであること。

これは、かまやさんの中庭スペースの写真なんですけれども。 

4月の日曜日でとても混んでいて、駐車場には車がいっぱいな状況。実は写真の手前側には人がたくさんいるんですね。で、中庭のほとんど全てを使って、うちらの子どもたちが集団で遊具を使ったりボール遊びを始めて。これを東京でやるとただの迷惑なんですけれど、ここではみんなが笑って見ていたり、時々別の子どもが入ってきたりして。この土地のおおらかさをとても感じました。

あと、これは西分の家(編集注:町内の鬼籠野・西分地区にある住みはじめ住宅)での様子。 

それまで高田さん(編集注:つなぐ公社スタッフ)とは会ったことなかったんですけれど、何かやりたいですと言ったら「西分の家の裏が荒れ放題だから手伝って」と。会って10分くらいで、こんな感じで遊ばせてもらいました。高田さんだからなのかわからないけど、ウェルカムな感じ。

よそ者と地元との線引きがあまり無くて。来たら、すっと受け入れられる。この気持ち良さげな空気、あんまり地方で感じたことなくて。

 

あと僕がこのまちを好きなのは、川があって山があって、その距離がすごく近いこと。だから遊びやすい。山に人が近い。

この写真は、山の中で撮ったものです。 

人の入った痕跡、人の捨てた木なんですよね。自然が遠くの雄大すぎる大自然ではなくて、手が届くところにある。でも人が自然を制御しきれていない、制御しようと思っていない。過度に人の手が入って整うことがなくて、だんだん苔むしていく。人と自然の関係がおおらかにゆったりとそのまんまの時間が流れているのが、神山の魅力だと思います。

 

目的のためじゃなくて、「ただ遊ぶ」

僕の活動について。原っぱ大学では、逗子の捨てられた林をフィールドとして遊んでいます。「ただ遊ぶ」ということをやっていて、泥やペンキで遊んだり、秘密基地を作ったり。  

原っぱ大学の名物は泥すべり。 

今後、かまやの向かいの雑木林を滑ってそのまま川につっこむ、みたいなことが神山町でできたら面白いなと妄想してます。笑

 

僕らがやっていることは、大人も子どもも、「ただ遊ぶ」こと。

子どもと何かやるって言うと大抵、「その目的は?」という話になるんですよね。生きる力とかロジカルシンキングとか英語とかグローバルとか、子どもに獲得させたいそういうのがあってその目的に向かってやるんだ、と。最近は「遊び」もそんな感じで、「創造力を育むために遊ぶことが大事です」なんて言われちゃう。~~のために遊ぶって・・・アホ!と。違います!そういうのどうでもいいからとにかく遊ぼうぜ!と。目的のためじゃなくて、「ただ遊ぶ」ということがすごく大事なんだ、というのが僕たちが言っていることなんです。

今まで僕らの年間のプログラムに通った家族だけで450家族くらいいます。それ以外も含めるとほんとにたくさんの親子と接してきました。たくさんの出会いを通じて思うのは、親としての役割意識をとても強く持っている人が多いんだなぁということ。この子をきちんと育て上げなくちゃいけないとか、親というのはこうあるべきだ、みたいな鎧を背負ってるというか。

その延長だけど、子どもを守って導いて教えて、みたいな。自分のレールに乗せるって言うと語弊があるんだけど、きちんとしたレールを作ってあげる、というスタンスが強いように感じる。

塾に入れる、そのリターンとしてこういう中学に入る、というと典型的なんだけど、例えばスイミングスクールに通わせたらちゃんと泳げるようになってほしい、とか。別にそんな典型的な消費者的な親じゃなくても、これだけの金を払って時間を使ったらこうなってほしい、みたいなのはあると思う。うちの子なんて6年間英語を習わせてるんだけど全く使えない。笑 お前、この野郎!どれだけお金使ってると思ってんだ!と。笑 こういうのは、まぁ当然の感情として僕自身の中にもあります。

あと、ロジック重視。A+B=C、みたいに子育ても論理の筋道を大事にしている感じ。常に目的があってそれに向かって一直線、最短距離で行く。回り道とか寄り道とか偶然とかっていうのをあまりイメージしていない。「遊び」がない。

このあたりの呪縛、というとあれだけど、想像するにビジネスの世界など子育て以外の考え方で良しとされているものを全て取り込んでいて、それが子どもに対する関わりにも色濃く出ていると思うんです。

それはそれで大切なことだろうけど、もっと回り道をしたり、論理的じゃなかったり、いい加減でいいんじゃないのかしら、とも思います。だから僕らはもっと遊ぼう、今を大切にしよう、とか、失敗を楽しもうぜ、という話をしているんです。

 

ぶっちゃけ、進路ってどうなるんですか?

ここまでが、仕事での「私」の話。

でも実際、父親としての私で言うと・・   (イベント会場にドッと笑いが起きました)

神山での取り組みの話として聞いている分には素敵だと思うんですけど、親としての目線で自分の子どもにその選択をさせるかと考えた時には、進学ってすごく気になってくる。ぶっちゃけどうなんですか?大学っていけるんですか?と。

例えば、将来、地域の発信者のような存在になったり、神山だけじゃなくて別の地域に行っても活躍している、なんてイメージがつけばOKって思っている自分がいて。でも、農家さんになって細々と畑を育てている、というのはどうなんだろう、と思ったりして。

完全に自分のエゴなんですけど、ここに行くことでどんな仕事の選択があるのかは、やっぱり気になる。将来の姿がどうなっているのかっていうのが見えないと、不安で子どもを出し切れないな、と。

 

ということをイベントの打ち合わせの時に正直に言ったんです。

で、その時に登場するのが、この人。


(編集注:西村佳哲・公社理事)
(イベント会場にさらに大きな笑いが起きました)

 

西村さんがこんなことを言っていたんです。  

自分の心の動きが不思議で、西村さんのトーンで言われると、「あ、いいじゃん」って思っちゃったんですね。まぁ、西村さんが言ったということを差し引いても、この言葉で地域留学の見え方がガラリと変わったんです。中学・高校・大学という一連の流れの中での高校の選択と考えるとやはり「進学はどうなるんだ」っていう話にどうしてもなっちゃう。だけど、その選択を 1人の生活者の選択というか、生きていくうえで一定期間をどこで暮らすかを選ぶ、みたいな感じで捉えることができそうな気がしたんです

そのときにただ「田舎のまち」で暮らすというのではなくて、この変化のただ中、全国からいろんな血が入ってきてぐるぐるとうごめいている「このまち」で、試行錯誤しまくっている大人たちとの接点をたくさん持ちながら暮らす選択。そんな風に捉えると腑に落ちるというか、とってもワクワクする。なぜなら僕が神山町に惹かれて何度も通っているのと同じようなことを子どもも体感できる、というような話なのかなと。それ最高じゃん、と思えたんです。

 

縁を感じた場所に直感で飛び込む

僕が今、子育てをしている町は僕自身が子どものころに住んでいた町なのですが、当時と大差ない「レール」がある。この高校に行ったらこの大学を狙える、みたいなランキングのようなものがある程度学校選択時に見えているんですね。

その流れから、飛び出す・はみ出す、みたいなのもアリだと思う。 

貴重な10代の3年間を「将来への通過点・準備期間」としてだけで捉えるのでなく、現在の僕自身がそういう暮らしをしているように、なんだかよくわからないけどワクワクが転がってそう!みたいなのを信じて、ご縁に乗っかって、その次どうなるかわかんないけど、そこで道を拓く。そんな10代を過ごせたら、すげーいいんじゃないかと。そして、そんな子どもの選択を認められる親であれたらいいな、と改めて思いました。

 

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以上、イベントでお話しくださった内容を中心にまとめてみました。

「この場所で過ごす3年間が、進路にどうつながるのか?」

当日のイベント会場でこの問いが出たとき、「よくぞ切り込んでくれた!」という声が聞こえてくるくらい、参加者の方々がぐっと身を乗り出した感じがありました。

塚越さんは、この問いをすぐに手放さず、ご自身の中で咀嚼することを試みてくれました。自分も含めて多くの親が投資とリターンという観点を教育においても適用させがち(期待しがち)であることを自覚した上で、「未来に備えるための今」という考えを一旦手放し、変化を生み出している大人たちや新しいことに取り組んでいる大人たちの多くいる環境に身を置いて「今この瞬間」を生きる、という考え方もアリかも、と。そうすることが結果的に将来の選択肢や可能性を広げることにつながるという予感を、いまの神山からは感じ取れるのだとも言ってくれたように思います。

 

実は、このイベントの3日後に塚越さんに改めてお話を聞く機会がありました。(なぜなら早速また神山に来てくれたから。笑)そのときは、「自分自身の行動を決める価値基準と、子どもの行動を判断するときの価値基準は異なる」という話に。

・・・すでにドキッとしますね。塚越さんの鋭い切り込みが、ヤミツキになりそうです。

 

後編に続きます。お楽しみに。

 


【後編を公開しました】

 ▶︎神山町と考える、これからの地域留学 レポートシリーズ①後編 「自分自身の価値基準はどこに?」

 

【県内外から神山校への地域留学に興味をお持ちの方はこちらをご覧ください】

 ▶︎11/17-18  城西高校神山校・地域留学2days 参加者募集【お申し込み:11/11まで】

 ▶︎ 城西高等学校神山分校ホームページ

 ▶︎ 城西高校神山校新コース開設(神山町役場HP)

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森山 円香

岡山出身。 2016年4月〜2022年5月まで、神山つなぐ公社でひとづくり分野を担当。NPO法人まちの食農教育の理事をしています。 このまちに来て、石を積めるようになりました。(でもまだまだ)

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コメント一覧

  • うわっ!レベル高いっす。 プログラミングとかアルゴリズムとか求められる時代でしょうが、 思うに「少年時代」には「脳の中」だけで完結するのではなく、 自分の身体や五感を使った経験をさせることが重要だと思うのであります。 古代ギリシャの教育方法を原点にしているというシュタイナー(教育学者)は、こう言っています。 古代ギリシャでは、 0才から7才(小学2年生)までは、家庭の温かい環境の中で、ひたすら すくすく育てること。(教育の対象としない) 7才になると、体育教師の下に送られ、14才(中学2年生)までは「神々しいほどの自然の美」を表現するようにするのが体育教師の課題であった。 古代ギリシャ人は 「若いときに肉体を健全に調和的に成長させておけば、 人間のより高い内的な能力は、おのずとそこから花を咲かせる」 と考えていた。 たとえば、 子供が自分の身体を幾何学的に美しい線を描いて動かせないと 「円の美しさ」とか「直線の美しさ」も認識できない。 と考えていたそうです。 「遊ぶこと」、「ひたすら遊ぶこと」、「一時期 遊ぶこと」 大変よろしく存じます。

    2018年9月9日 12:14 | ニコライ

  • 偏差値・・・学校のテストの点が良い・・・。 そんなに重要なのかな?と思います。 テストの点数を上げるために塾へ通い詰め。 良い大学へ入るために、良い高校へ。 (何をもって「良い」なのかが理解出来ない) その結果「人間としての心」を失い、経験のない理論で物事を考える方が増えたのではないかと思います。 『遊ぶ』って、凄く大切な事ですよ。 今の子にとって「イジメ」が「遊び」なのかな、と個人的には思っています。

    2018年9月12日 16:41 | 阿川松尾のローバーMINI(クリーム色)

  • >ニコライさん 教養溢れるコメントと普段の親父感溢れるギャグとのギャップにドキドキします。笑 ぜひ、一緒に遊んでくださいませ。

    2018年10月5日 16:27 | 森山 円香

  • >阿川松尾のローバーMINI(クリーム色)さん (ちゃんと分かっておりますよ^^)    関わる大人がどういった価値基準を持ち、どう子どもに接するか。子どもたちは敏感に受け取っているのだろうと思います。対話を重ねられる環境・関係を育めると良いなぁと。

    2018年10月5日 16:34 | 森山 円香

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