神山町と考える、これからの地域留学 レポートシリーズ①後編 「自分自身の価値基準はどこに?」

学び2018年10月11日

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投稿者:森山 円香

 

城⻄高校神山校は2019年度より、農林業を基盤とするこの土地に学び、未来を拓く人づくりの拠点として、「地域創生類 環境デザインコース/食農プロデュースコース」へと生まれ変わります。あわせて、県内遠方地や県外からも移り住み神山町で暮らしながら学校へ通えるように、住まいの準備もしています。

いまいる場所を離れて、田園部や中山間地の高校で3年間を過ごすということが、高校生自身や地域にどのような可能性をもたらしうるか。自然に囲まれたまちで、今なにが学べるか。

そんなことを、まちに暮らす保護者や先生、地域留学経験者など、様々な立場の人たちから様々な視点で語ってもらい、レポートとしてお届けすることにしました。

 

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こんにちは、神山つなぐ公社の森山です。
お待たせしました、原っぱ大学ガクチョー 塚越さんのお話・後編です。

前編では、イベントでお話いただいた内容をお届けしました。
「今を大切に」「ただ遊ぶこと」を大事にして活動していらっしゃる教育者(という言い方は塚越さんは望まないかもしれませんが、あえて書きます)としては神山の環境は魅力的であると思う一方で、一人の親として考えると子どもをどこに行かせるとどのような進路が展開されうるかという「将来」が気になってしまう、という自身の中にある矛盾を正直にさらけ出してくれました。
(続きは、前編「親としての葛藤。ぶっちゃけ進路はどうなるの?」をご覧ください。)

 

後編は、このイベントの3日後(!)に神山を訪れた塚越さんから聞かせてもらった話です。
とある高校生の男の子と塚越さんのやりとりの話から始まります。
(聞き手:西村、森山)

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自分自身の価値基準と、子どもの選択に向き合うときのそれが異なっていた

知り合いの子どもに3度の飯よりゲームが好きな子がいて、高校を辞めたがっていたそうなんです。その話を聞いた時に、僕は「そんなに好きなら(辞めて)いいじゃん。好きなことがあるっていいことじゃん。それで飯を食っていけるならね。」って反応をしたんです。つまり、プロのゲーマーになれるなら高校辞めたっていいと反射的に思った。でも、その子の話を本人からよくよく聞いてみると、「いやいや、食えるとか食えないかとかじゃなくて、僕は純粋にゲームが好きなんだ」という感じだったんですね。

それで、ちょっとびっくりして。何にびっくりしたかというと、自分に。

「飯を食える」のが最優先事項であって、「好き」とか「熱中する」の前に飯が食えるかどうか、という判断基準が自分の中にあったことに気づいたんです。その子が心の底から「好きなこと」と出会えていることをシンプルに喜べばいいのに…。でも、そうじゃなくて、「食えるかどうか」のジャッジを僕がしたこと、そんな無意識の判断基準が自分の中にあったことに驚いた。

もっと言うと、「食えるの?」の問いの中には、単純にお金を稼げるか稼げないかだけじゃなくて、どう生きてほしいか、ということまで含まれていた気がします。つまり、プロゲーマーとして世界に名を馳せて生きていけるならオッケーだけど、アルバイトで食いつなぎながら家に帰るとゲームに没頭する40代のその子の姿を想像すると、ちょっとな・・・と思っている自分がいた。子どもに対して、こうなってほしい、というある種、偏った思いが、言語化できない中でいろいろあるんだなと。

 

−(西村)びっくりしたんだ。

そう、自分に。そういう目線を自分が持っているということにびっくりした。

今の僕自身の行動原理は、お金が儲かるかどうかじゃなくて、単純に自分が好きかどうか、心動かされるかどうかという感情ベースのものなんです。実際、神山が好きだからこうして通っているし、それでご縁が広がっていると思っている。でも、子どもと接するときや子どもの選択に向き合うときには、自分の行動原理とは違う判断基準で考えている。この矛盾はいったい何なんだ!と。

 

−(西村)塚越さん自身のその行動原理は昔からずっとあるもの?

違います。僕は割と長いこと親のレールみたいなものを勝手に感じてきました。それなりの大学を出て、就職して、お金を稼ぐことにこだわって・・・。いわゆる外のレールに則って、自分の人生をつくってきたんです。30代半ばくらいまでは、外の鎧をどんどん武装していった感じ。人から評価される、稼ぐ、昇進する。そういう自分の外側にある価値を信じてやってきました。

変わったきっかけの一つは、東日本大震災だったと思う。

あの大きな出来事でこれまで信じて来たものってなんだっけ?と疑ったことと、greenz.jpとのご縁が大きかった。彼らが伝えてくれたことは、僕の価値観を180度変えました。外からの評価ではなく自分が心の底からワクワクするものを世の中に差し出すと、少人数かもしれないけどきっと共感してくれる人がいる。そうやって生きていけるんだよという、いまでいう「ソーシャルデザイン」の原型みたいなことを伝えてくれました。

それが原っぱ大学のはじまりなんです。ワクワクの連鎖みたいなものを回し続けていくと商売が成り立つということを、2011年以降ちょっとずつ積み重ねてやってきて、今がある。まだ5、6年なんですけど。

原っぱ大学を始めて以降は、鎧を脱いでしまって、常に答えは自分の中にあると思うようになった。自分がワクワクすることをする。あるいは嫌いだと感じることからは逃げる。そうやって感情に基づいて行動すると必ず道は拓けるということに行き着いた。それが今の僕の行動原理になっているんです。

だけども、子どもに対してだと、かつての自分の行動原理が色濃く残っているということに気づかされた。 

 

(塚越さんが原っぱ大学を立ち上げていく過程はgreenz.jpの記事に詳しく書かれています)

 

自分を形作った幼少期の原体験

−(西村)ストレートな質問になってしまうのだけど、いま塚越さんは「食えて」いる?

はい。「食えて」いけているベースは、10年間の社会人経験、つまり「マシーン」として働いてきた自分の経験です。どんな言葉を使ってプレゼンするか、どうやって金勘定するか、というハードの部分を鍛えてきた。いまはそのハードの部分と、感情に従って動くというソフトの部分がいい感じに噛み合っている。お金を稼ぐことと、自分の楽しいように生きるということの接点が見えているから動けています。

 

−(西村)スペックはトレーニングされているけれども、いざ何かやりたいと思ったときに自分の好きなことやワクワクすることがわからないという人は多いと思う。塚越さんの場合、どうやって見つけたんだろう?

僕の場合は、原体験に戻りました。自分の内面を掘っていったんです。自分の中にワクワクするものがあったというのはすごく幸福だと思うんですけど、小学生の頃の遊びにすべてが詰まっていた。地元の山で友達と秘密基地をつくったり、探険したり、焚き火をしたり、原っぱでBB銃の打ち合いをしたり…。そのひとつひとつが僕自身の核のようなものだと気づきました。

そうやって自分の内面を探っていたのが、ちょうど子育ての時期で。長男が幼稚園入ったくらいのとき。自分の子どもと、自分が生まれ育った町で、僕自身が幼少期に楽しんでいたことを一緒に追体験してみたんです。そしたら全部がつながっていって…。

会社での自分の仕事とオフのどちらがワクワクするかとか、会社の仕事でもワクワクすることは何かとか。自分がワクワクすることしないことをたどっていくと、ワクワクすることはどれも子どもの頃の遊びにつながっていた。結局そういうことだったんだって気付けた。

僕の母は外で遊んでこないと怒りました。日焼けしていないとバカにされた。外で遊べ、外で遊べって変なプレッシャーをかけてくる親だったんですけど…。結局はあの頃の遊びが僕の素地をつくってくれた。だから自分は帰って来られる。ラッキーだったと思う。自分の子どもとも遊んでばかり。だから、彼らが今後どんな選択をしてもなんとかなると思う。最終的に帰って来られるベースは渡せたんじゃないかなと。そういう信頼関係を子どもとは結べていると思っています。 

 

(塚越さんは8月にも来町。全国各地から集まった子どもたちと一緒に、鮎喰川のそばで野外キャンプ「セイシュン野宿」を行いました)

 

−(西村)冒頭の高校生にとってのゲームは、塚越さんにとっての野山のような「原体験」になりうると思う?

なると思う。その彼と直接話したけど、いまのウェブゲームの世界って本当にすごい。映画「マトリックス」のような世界。そこでは顔は見えないけど世界中の人とつながって、協働して何かを作ったり、世界一を目指したり。僕らのような接点が薄い大人には見えていない世界が広がっている。そこで彼が体感するものはリアルなものだろうし彼にとっての原体験になると思う。古い世代には理解できない世界がそこには広がっている。

彼は「マトリックス」の主人公ネオみたいなことを言うんです。ここで起きていることをちゃんと現実の世界とつなげて伝えていきたい、それが僕の使命だ、ですって。

彼のそこまでの思いを聞いて、その道を突き詰めていきなよって思いました。でも、表面的には僕らには彼が何をやっているのかわからないと思う。ただ画面に向かってゲームをやっているだけだから。でも、それでいいんじゃないかな。その子にとってはその時間はかけがえのないもので、強烈な原体験になっていると思う。僕には理解できない部分が多々あるけど、彼の本気の「好き」を否定する気は全然起きなかった。

僕は手触りや肌で感じるリアルな体験が好きだけれども、自然体験原理主義は大嫌い。自然体験こそが子育ての中心にあるべき、みたいなのは結局一つの価値観の押し付けでしかない気がする。原っぱ大学は自然学校みたいな言われ方するけど、そうじゃない。ぼくらは遊んでいるだけ。たまたまそのフィールドが山の中にあるだけ。「バーチャル」のカウンターの「リアル」じゃなくて。いろいろある遊びの中の一つだと。どっちもありだともともと思っていたし、その子の話聞いてより強く思った。 

(川で自分たちで捕まえた魚をさばいて料理。夜は焚き火を囲む。全身で楽しんでいます。)

 

保証されているものを選びたがる「メガネ」を自覚する

イベントのときに西村さんが冒頭に話してくださった説明の中で、「標準化された教育のカウンターとしての地域教育」「小径としての地域の担い手を増やす学校」という話があったと思うんですけど、都市vs.地域というか、綱引きのように聞こえて。親として素朴に求めていたのは、都市と地域の事情の話でなく、その子が都市のシステムの中で育つことの意味合いと、地域に入ったときに、どう育つか、何を受け取るか、なんだと思った。

わかりやすいのは海外留学。英語が話せるようになって、多様な人と出会って、グローバルに生きていける、というイメージがつきやすい。なので地域の事情でなく、子どもにとってどうか、ということをもっと言葉にしてくれるとわかりやすいなと。おぼろげじゃなくて、メッセージとして伝えてくれるとわかりやすいなと思ったんです。

 

−(西村)都市と地域と対比の中で話してるつもりはなくて。いまのトレンドはそうだけど、神山でそれをやるのはちょっとな…と思ってる。教育というのは、個人の可能性を増やすこと。減らすことであってはいけない。いま、勉強できる・できないで序列化されて、上は優遇されるけど下はどんどん厳しくなっていっている。鬱になったり、使い物にならないと切り捨てられたり。可能性の高さを広げられないと何の意味もない。

神山が面白いのは、このまち自体がいま初めてのことに取り組んでいるということ。初々しさというか。たとえば、新設された学部の第1期生って面白いじゃない。初々しいところに身を投じると、面白い人間に育っていきやすいと思う。

 

切り取った「いま」の魅力こそが、心動かされる部分というか。思うのは、親のしょーもない、保証されているもの、見えているものを選びたくなってる「メガネ」を自覚できるといいな、と。4年制大学出たからどうなんだっけ?と。身を投じることの大きさの中で揺さぶられたい。この感覚、すべての親が共感できるものなのかはわからないけど。 

(好き・嫌いの基準を自分の中にちゃんと持っているからしっかり立っていられるんだろうと思います)

 

ジタバタしている場所に身を投じてみる

ナマモノさ加減、みたいなものは僕らも大事にしています。遊びって、慣れてくると楽しくないし。逗子で活動して4、5年なんですけど、「遊園地みたいですね」と参加者に言われたことがあって、それはすごくショックだった。何を用意したら参加者が喜ぶかが見えた気になってしまったことがあって。それらを配置するようになっていたんですね。順番に回るアトラクションみたいになっていた。危機感を感じて、ぜんぶ外しました。出来上がったと思った瞬間、終わってしまう。捨てるなり、壊すなりしていかないといけないんだなと、その時思いました。

神山の話に戻すと、いまが旬というのはわかりやすいし、本当にそうなんだろうなと思う。ジタバタしている大人だらけの場所に身を投じてみる、みたいな。落ち着いたあとに、次はどうブレイクスルーしようか、というフェーズも面白いと思いますけど。

 

−(森山)学校からすると「いまが旬」とは言いづらいよなーと思いながら聞いています。(汗) いま、地域でいろんなことが動いていますが、人によって話す神山像がちょっとずれてて、その狭間にいます。

−(西村)おなじになるといいと思ってるの?

−(森山)地域の人はこう言うんだけど学校関係者は違うことを言ってて、となると、「あれ、結局どっち?」と子どもたちを混乱させてしまうのでは、と。

それでいいんじゃないですか。キレイにまとまりきらなくても。大人たちの言ってることが違う、ということ含めてのジタバタだと思うね。こんな意見もあればこんな考えもあるから、くらいがいいじゃんと僕は思う。

−(西村)子どもたちも感じ取るんじゃないかな。大人もそれぞれ違う人生経験の中で話してるんだなってこと。

僕が神山すごくいいなと思うのは、その幅だと思っていて。純度100%じゃなくて、いろんな血が混じってる。ザ・田舎のプレッシャー!みたいなのだけじゃなくて、都会の血も感じるのが心地いい。あっち(関東)に暮らしているとある意味、一様で。ここに来ればいろんなバックグラウンドの人たちや多様な価値観に出会えるというのがやっぱり魅力だと思う。いいじゃないですか、矛盾を感じても。悩んでしまえ、強くなれ、と思う。道をつくりすぎる、整えすぎるとつまらないよ。

 

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幼少期・思春期に見聞きしたことや考えたり感じたことは、何年経っても、むしろ時間が経てば経つほど熟成されて、自分を形作るものであり続けます。塚越さんにとってのそれは、20代・30代半ばまでに身につけてきた鎧をベリベリッと剥がしてしまうくらい強力なものでした。バーチャルであろうがリアルであろうが、意識的だろうが無意識的にだろうが、「何度も続けたこと」がその人の基礎になっていくのだろう、と塚越さんと高校生の話を聞いて思いました。

 

このまちの魅力として、「寛容さ」を挙げられることがしばしばあります。初めてのことに挑戦している人たちが多いからこそ、他者の挑戦に対しても寛容で居られるのだと思います。それは、「ナマモノさ加減が大事。整えすぎない」と言いながら、大人も子どもも一緒になって遊ぶ塚越さんの姿勢に通じるところがあります。

地域留学で神山にやってきた高校生たちが、まちのいたるところで、いろんな人たちとともに、何かに熱中したり没頭したり、時々葛藤している。・・・想像すると、顔がにやけます。そんな未来を夢見て、私もしばらくジタバタしてみようと思います。

 

塚越さんの、人が持つ矛盾やズルさみたいなものもまるっと受け止めてくれる感じが、たまりませんでした。ありがとうございました。

次はいつ、イン神山でしょうか。

塚越さんと遊びたい人、この指とまれ。

 

 


【神山町と考える、これからの地域留学レポートシリーズ】

 ① 親としての葛藤。ぶっちゃけ進路はどうなるの?(原っぱ大学ガクチョー 塚越暁さん)

 

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 ▶︎ 城西高等学校神山分校ホームページ

 ▶︎ 城西高校神山校新コース開設(神山町役場HP)

 

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森山 円香

岡山出身。 2016年4月〜2022年5月まで、神山つなぐ公社でひとづくり分野を担当。NPO法人まちの食農教育の理事をしています。 このまちに来て、石を積めるようになりました。(でもまだまだ)

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