神山町と考える、これからの地域留学 レポートシリーズ② 「どこでも、住めばふるさとになる練習」
学び2018年11月26日
いまいる場所を離れて、田園部や中山間地の高校で3年間を過ごすということが、高校生自身や地域にどのような可能性をもたらしうるか。自然に囲まれたまちで、今なにが学べるか。
そんなことを、まちに暮らす保護者や先生、地域留学経験者など、様々な立場の人たちから様々な視点で語ってもらい、レポートとしてお届けすることにしました。
最初の数回は、7/14に東京で開催した「いま、地方の高校で学ぶということ 神山町と考える、これからの地域留学」でご登場いただいた方々のお話をお届けしたいと思います。
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こんにちは。神山つなぐ公社ひとづくり担当の秋山です。
今回は、慶應義塾大学大学院の教授であり、ご自身も高校時代に地域留学を経験された石川初さんのお話。
石川さんとは神山の前に東京の仕事でご一緒したことがあります。
それは、『GPSで地上絵を描こう!』という小学生向けプログラム。GPSを持って歩き、その軌跡をたどるとどんな絵が描けるか、予めデザインした通りに歩けるかを六本木の広い公園で実践。
ユーモアのある話し方が印象的だったのと同時に、デザインで遊ぶ感覚を学んだのを覚えています。
石川さんは、神山を研究対象にされて4年目。現在は、ご自身が卒業した山形の高校に息子さんが地域留学中。地域留学した本人として、また保護者としての視点でお話を聞きました。
(以下、石川さんのお話です。少しでも会場の様子が伝わるよう、イベント時に使用した写真・スライドを織り交ぜ、掲載用に編集しました。)
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生活の空間を自分たちでどんどん作るFAB-G(ファブ爺)
私は長く建設会社にいたんですけど、ご縁があって大学に移り、
今は慶應大学の湘南藤沢キャンパスで教えながら研究をしていて、研究室には学生が10数名集まってくれています。
神山町を訪れたのは3年前、西村さんに声をかけていただいて、学生共々神山に魅了されたのがきっかけでした。それ以来、神山をいろんな角度から学び伝えるということを続けています。
例えば、石積みの風景を観察しているうちに、B級の石積みをコレクションしたり、
人が作った手作りの小さい橋をコレクションしたり、
生活の空間を自分たちでどんどん作っていってしまうおじいちゃん達、農家のスキルに感心して、
我々は「FAB-G」って呼んでいるのですが、
そのFAB-Gの仕事を集めたり、そうした様々な生活風景を集めて「暮らしの風景図鑑」という本にまとめるなど、こんなことをしています。
*FAB-G:Fabrication Skilled Grandfather
あとは図鑑を作った一年目の終わりに町の人たちに集まってもらって、報告会をしました。
学外でも神山の展示をしたり、
「レゴで神山の風景を作ろう」ということもやっていて
それが、今イタリアのベネチアに展示されています。
地元農家の農繁期のお手伝いが高校の通例行事
私が通った高校は山形県の西置賜郡小国町で、
神山は人口5,000人、小国町は8,000人なので、少し小国町のほうが大きいですね。
写真で見ると神山(上写真)のが都会にみえますね。小国町の、私の出身校のある地区(下写真)は、かなり田舎なんです。
この高校はキリスト教系の私学で、
元々は、内村鑑三(キリスト教思想家)の弟子が田舎にキリスト教を伝道するために作った私塾だったのですが、次第に地域の外から来る生徒が増えて、現在では地元から通う生徒はほとんどいなくて、事実上全寮制になっています。
1学年26人という少数の学校です。じつは今年、息子が入学しました。
共学の普通高校なんですけど、
1年の行事の中で農繁作業というのがあって、
5月と9月に1週間くらい学校が休みになり、地元の農家に手伝いに行く習慣があります。
農家さんもそれを期待しておられて、農繁期は地元の村との交流のシーズンでもありました。
また、普通高校なのに学校に農地や畜産があり、
「労働も勉強だ、受験勉強してる暇があったら、土を耕しなさい」
というのが学校のポリシーでした。
修学旅行は、北海道に19泊20日で
そのうち1週間は酪農実習でした。
そういう環境で高校時代を過ごすことによる人生への影響は大きくて、同校を卒業した私の妹も今は北海道で牧場をやっています。
先日、保護者参観デーで学校を見学した時の写真ですが、
こちらは男子寮、
外から見ると綺麗、中はいかにも男子寮という感じですが、
息子は楽しそうにしてました。
建物が新しくなっていても、学校の風景というのは、私の30年前の時とそんなに変わりません。
地域留学することで、親に育てられていることを改めて実感
地域留学ということについて私が考えたことですが、
一つは、家族の関係です。私と私の両親の関係も、
息子と私たち夫婦の関係もこれはこれでいいなと思ってるのは、
だいたい15歳くらいで親と一旦離れて関係をクールに、冷静な関係を結ぶことができる、そういうタイミングとしてはなかなか良いなと思っています。
あと、自立はできないのですが、家を離れることによって自分が親に育てられていることを一回りして、実感する状況がありました。
例えば、実家からの送金は勝手に使えず、学校の口座で管理されていて、学校で購入するものやお小遣いは伝票でやりとりするシステムでした。そこで残金いくらとか、にらみながら、お金を計算していて、それをすると、
「自分が経済的に自立してないということを逆に思い知らされる」
「被・支援感覚」のようなものが養われていました。
また、高校生くらいで家を離れると休みとか帰るとすごく待遇がよく、
自分が大事にされている時もあるんだと感じることがありました(笑)。
私たちの高校の場合は、微妙に行きにくい場所であることがすごく重要で行くのに腹をくくらないといけない。
逆に気軽に親が行ける状態ではだめだったと思います。
特に私が入学したときは日帰りだと絶対行けず、
私の入学式は両親とも来れなくて祖父が代わりに来ていました。
今は、新幹線が近くまで繋がったので行けますが、
それなりに時間がかかるところに行くということが、いろんな意味でよかったです。
どこでも住めばふるさとになる練習
最初は、高校そのものが第2の故郷になり、それから村自体もそうなってきます。
農繁休暇で1度手伝いに行くと、同じ農家さんからまた来てほしい、
「よね子さんち、石川」と黒板の予定表で指名されるようになります。
そうすると馴染みになっていき、
私にとって「よね子さんち」は、ある種のふるさと、ホームになっていきました。
それがどう作用するかというと、
山形県西置賜郡小国町町自体がふるさとになる、ということもさることながら、
そこに限らず、ある一定期間滞在し、強い関係を積めば、その場所は第2、第3の故郷になって行くんだなということ、どこへ行っても自分の故郷にできる、ということを学ぶわけです。
当時はそこまで言語化されていたわけではないけど、高校くらいの年齢で、どこでも住めば故郷になる練習ができた、というのは大変貴重な経験だったと思います。その後の私の人生にも、大きく影響を及ぼしています。
それが、自分が地域留学で得たものの一つで、
できれば息子もそういう風に育ってくれたらいいなと思っています。
農村風景の視え方
田舎の場所で3年過ごしたということもあって、
自然、植生、農業、農業景観に対する関心を高校のときに刷り込まれたというのが、その後の進路を考えてもよかったと思います。
特にちょっとでも農繁休暇があって、田植えや稲刈りをへとへとになるまで手伝いに行ってると、農村の風景はシャレでできてるのでなく、その人たちのギリギリの生産によって積み重なってできていると感じるようになりました。
要するにそれを成り立たせているのは、自然というよりも自然に対してどう働きかけるかという。それが、当時はそこまで言語化されてないにせよ、体でなんとなくわかるようになっていた気がします。
だから、そのちょっと田舎の人のような目で農村景観を見始められ、ただ綺麗だっていうのではなく、草生えてるとみっともないというような、都会的な価値観からするとマニアックな見方を身につけられるようになっていました。
それが、その後、農村集落の景観などに関心を抱く原体験になったと思います。
進路選択も多様、「色々やってもいいんだ」と思える経験
ー(西村)地域留学というと、子どもの卒業後の進学どうするんだろという心配をする人がよくいます。卒業生は進学と働き始めるということでいうと進路はどんな感じですか?
受験勉強的にいうと、競争から一旦全員脱落するんですよね。
検索してもらえばわかると思うんだけど、私の母校はかなり低い偏差値です。
でも、卒業後、勉強を続ける人は多くいて、浪人して大学へ行っていました。
それから、一部のキリスト教系の大学に高校から推薦してもらえるという制度がありました。そんなわけで、殆どの生徒が卒業後、進学します。大学も、わりと簡単なところへ入って、進学しながらより難しい大学や大学院へ移って、頑張って勉強を続ける、という人もいます。
他には、保育や看護の大学や短大に進学して福祉や医療関係の仕事に就く人たち、さらに、私の妹みたいに農業や酪農への希望を抱いてそちらに進む人たちもいました。
私の妹は最初は看護短大に進学して、しばらく看護師をしていたのですが、あるとき、これからどこかで牧場を開きたいという青年を連れてきて結婚したいと言い、両親は驚きました。まあ、その青年も同じ高校出身で、知らない仲ではなかったのですが。いまでは、母などは北海道の牧場へ毎年のように遊びに行きます。
そういう、あたりまえだけど「よくある進路だけが進路ではない」ということを、その高校では予めわかってしまう、というところがありました。
ー(西村)教育は、子ども達の可能性を広げるものであるべき、教育で可能性を広げるために、学力で担保しようとして、地域留学というと学習センターをすることが多いんですよね。結局さらに勉強したい子たちがいい学びができるよう、受験勉強したい子たちへのサポート体制を作っているところが多いんです。
今の石川さんの話を聞いてるとそれ以外の可能性も広がってるように見えますが、可能性というところはどう思いますか?
実はものすごい可能性はあるし、高校出てからすぐに大学に行かなくても、どこかにホームステイしながら留学しても良いし、一年くらいフラフラして全国で何かを見てきましたというのも良いと思います。
例えば、大学入学時にその子が18歳なのか23歳か、なんて私たちからしたら大したことなくて
本人はすごい気にすると思うけど、
いろんな人がいるし、別にそれ問題ないんじゃないのっていう空気さえあれば、
「色々やってもいいんだ」
と思ってくれると思います。
我々もそういう空気の中で高校生活を送れたので、バラバラの進路でもそんなに悩みませんでした。
息子なんか見ててもそう思います。
「嫌だ」って言ってもピアノだけはずっと習わせてました。でも、発表会とか小中の合唱祭でピアノの伴奏を自分から手を上げて引くことはなかったです。
でも、今高校では音楽室で一人でピアノを弾いていて、
「ピアノ楽しい」
と言っています。
なんかそういう姿を見て、やらせるところから、好きなことやってていい
みたいな環境に移すタイミングとしてはよかったなとそんなことを思いました。
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(聞き手:西村佳哲)
以上、イベントでお話しくださった内容を中心にまとめてみました。
「どこでも住めばふるさとになる練習」
高校へ通って勉強し、高校生同士で交流するだけでなく、
地域の人たちと繋がり、地域の仕事をする中で、
単純に
「高校のある町」から
「ふるさと、また帰ってきたいと思えるような町」になる。
高校時代にそんな経験ができていたら、
自分が住む場所の選び方や暮らし方に変化があったかもしれません。
神山の高校で過ごす3年間とつながることの多い石川さんの経験。
神山の高校生にも石川さんが感じたようなことを感じてもらえたらと思う一方、
神山ならではの高校生と地域の関係もつくっていけたらと思っています。
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