神山町旧役場文書(12) 「徴用援護関係書」

なんでも2010年5月13日

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投稿者:稲飯 幸生

昭和18年
旧阿野村役場文書

○昭和14年7月に国民徴用令という勅令が出ました。これは軍需を中心とした重要産業に国民を強制的に従事させるものでした。当時の徴用せられた人々は主として軍需工場に行って働かされたのであります。この文書は主人が徴用に行った留守をどのように援助したかという記録です。
昭和16年に国民徴用扶助規則ができそれに沿って各県に国民徴用援護会が出来ました。会長は徳島県の場合は県知事です。

○国民徴用援護ニ関スル件 昭和18・10・28
財団法人国民徴用援護会徳島県支部長(県知事)~村長宛
○○ヨリ申請ニ係ル標記応急生活援護ノ件別紙決定書ノ通リ支給 相成候。
(別紙)援護金ハ郵便小為替トシテ同封(参拾円拾銭)致置候。○戦力増強国民徴用援護強化運動実施ノ件
18・11・17 県内政部長・県警察部長~村長宛
実施事項(抜粋)
・文書宣伝・新聞・雑誌ニヨル報道
・官公衛・学校・団体・工事事業場等ニ於ケル講演・訓話
・物故応徴士ノ慰霊祭ノ執行
・遺族慰安会ノ開催(大相撲ノ観覧)映画館・劇場ノ観覧
・家事・家業ノ手伝・援助
・優良家庭ノ表彰
・応徴戦士ノ歌(勝利の生産)の普及

○被徴用者死亡ニ関スル件
19・5・10 県警察部長~村長宛
左記ノ者19年5月4日呉海軍工廠ニ於テ勤務中死亡ノ旨通報 有之候。・・・・遺族出頭セラルル場合ハ1名ニ限リ金拾円以内ノ実費旅費を援護会ヨリ支給・・・。

○被徴用者扶養関係事項通知書
19・5・5 呉市広町呉工廠長~村長
勤務地 呉海軍工廠
業務  艦船兵器及軍需品ノ製造修理ニ関スル業務
場所  内地(但一定期間外地ニ勤務セシムルコトアルベシ)
徴用期間 19・1・9~20・2・20給料其他
・総額        92円
・就業日数     28日(最近3ケ月平均)
・日給     1円60銭
・家族手当     20 円
・早出・残業手当 27円20銭
・控除額        5円80銭
差引 86円20銭
・住居費 1円50銭
・食費 12円50銭
・小遣 25円20銭
・家族ヘノ送金 約47円

○応徴士留守宅並ニ遺族家庭ニ対スル勤労奉仕援護ニ関スル件
19・9・22 徳島県支部長~村長宛
・・・応徴士ノ留守宅ヨリ農繁帰農ヲ願出ルモノ頗ル多ク・・・ 急迫セル情勢下ニ於テ帰農セシムルコトハ軍需増産ニ障碍ヲ来シ・・・被徴用者ノ遺族家族ニ対シ、軍人家族同様物心両面援護ノ点尽力相煩シ度・・・

○繰替支弁金請求書
20・5・21 村長~徳島県支部長
一金弐拾円参拾銭也
応徴工員呉海軍工廠製鋼部組鍛鋼部鍛錬班起重機勤務  ○○危篤ノ為妻○○看護ノ為出呉ニ要セシ旅費繰替金頭書ノ通
参考
阿野村ヨリ徳島市ニ至ル自動車賃往復壱円七拾銭
蔵本駅ヨリ呉駅マデノ汽車賃往復拾八円六拾銭

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応徴士の留守宅の玄関に貼った札

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稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

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コメント一覧

  • 戦時中とはいえ、徴用された人は過酷な労働を強いられた様子。 一ヶ月平均28日の勤務だと、休日は10日に一度しかない…。 どうしても病気や事故にあう確率が高くなりますよね。 呉に向かう家族の心境が脳裏に浮かんできます。

    2010年5月13日 22:04 | 大南 信也

  • 応徴士(軍需工場で働かされた人)の家には、「勲章」みたいな 「お札」が掲げられていたのですね・・・・

    2010年5月14日 22:09 | ニコライ

  •  私は、今父の足跡を調べています。現在93歳です。1941年に国民徴用例に基づいた、いわゆる「白紙」を受けとりました。その結果、広島県呉市広における教育訓練を受けた後、パプアニューギニア州のブーゲンビル等の北西のブカ島に動員され、1946年に帰還しています。  そこで、「白紙」の現物を見たいのですが、そちらには保管されておられますか?

    2011年1月14日 12:07 | 井上裕吉

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