「まちの外で生きてます」#04 白土文久さん

なんでも2022年3月14日

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投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・白桃さと美・中川麻畝・海老名和、神山町出身の5名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、神戸の大学に通っていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた中学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第三回は、下分出身で今は京都で暮らす白土文久さん(40歳)に話を聞きました。

 

―幼少期、神山での思い出を教えてください。

白土 生まれたのは下分。市内の病院とかではなく、現在の下分保育所の場所に神山町母子健康センターがあって、そこで生まれたと聞いています。

2歳から下分保育所に行っていましたね。その後、下分小学校、神山中学校に通いました。小学校のときの遊びで覚えているのは、まずはサッカー。当時はJリーグが人気だったので。

スポーツ少年団ではソフトボールもしていました。あとは、近所の川で秘密基地をつくったり、夏はほぼ毎日川遊び。

―中学校生活で思い出に残っていることは?

白土 中学校は自転車通学ではなくて寮生活。1年生のときに徳島市内から怖い先輩が転校してきて、それで寮の雰囲気変わった(笑)。寮の部屋は3年・2年・1年が同室という制度。それまで仲が良かった先輩が劇的に怖くなりました(笑)。今までと違って、名前に「さん」付けじゃないといけないみたいな。寮ではおやつの時間があって、自学(自習)の時間の後、夜の9時くらいにおやつとジュースが出るんですが、結構なボリュームだったなぁ……(笑)。ご飯もおいしかった。僕は寮長もしていました。寮って点呼がすごく重要で、きちんと人が揃っているか各階にいる副寮長から報告を受けて最後に先生に報告する、みたいな仕事でした。

中学時代に印象に残っているのは、校訓の「やり遂げる」。「やり遂げる」ってすごい言葉で、今の自分にもつながるところがあります。中学校の時にこの校訓についてどう思っていたか忘れたけど、今も覚えているということは当時からすごい言葉やなって思っていたのかも。

5年くらい前にあった閉寮のイベントのときにも、あの校訓が書かれた石碑の前で写真を撮りましたよ(笑)。

 

―立志式のとき描いていた将来の夢は何ですか?

白土 立志式の夢は「大工さんになる」って書いたと思います。実家が工務店なので。ものづくりの仕事を側で見ていたし、親父が今の家を建てているときもちょっと手伝ったりしていたので自然とそういうことを考えていたのかな。それもあって、卒業後は阿南高専に進学。建設システム工学科という学科で、どっちかっていうと土木。授業では建築もあるけど、土木の勉強の方が多かったです。

高専は学校が楽しかったので、もう少し建築系の勉強がしたいとか、将来はこうしたいとか、そんなことは考えてなかったです(笑)。高専も寮だったので余計に楽しかった。15歳から20歳は楽しい年代。そういう年代の仲間が一緒に過ごしているのでそりゃ楽しいですよね(笑)。

 

―高専卒業後は、どのような仕事をしていましたか?

白土 今の会社が学校に求人を出していました。当時、明石海峡大橋ができたときでした。その会社を調べていくと、明石海峡大橋の仕事とかすごいことをしていることが分かった。明石海峡大橋ができて、それまでフェリーで行っていたところに高速バスで行けるようになって、関西と徳島がかなり近くなって便利になったことを実感していました。そういうインフラの整備をする会社に興味があったので、「一回受けてみよう」と思って東京まで試験を受けに行きました。それが今働いている、宮地エンジニアリングです。宮地エンジニアリングは、橋梁やドームの屋根、タワーなど、ゼネコンより専門的なものをつくっています。大鳴門橋もJV(複数の企業が一つの工事を受注・施工する共同企業体)でつくっていた会社なので親しみはありました。

最初は研修で東京に行って、その後の配属で僕は現場に。最初は名古屋の現場。高速道路の仕事で規模の大きな仕事でした。職人さんに怒られながら、分からないなりに一生懸命しましたね。高専の勉強は生かされたと思います。数えてみると今までで20府県行っていますね。

印象に残っている現場は、明石の現場。長女が生まれた時に鉄道の上に橋梁を架ける仕事があって、難易度が高かったんです。それをやり切れたのは、自分の自信になっていますね。現場には所長がいて、重要なときにはもちろん所長が来るけど、普段、現場を回しているのは僕なので、それを回し切れたという。京都から徳島に帰るとき、自分が架けた橋をいくつか通りますが、子どもたちも「父ちゃんの現場やな」って分かっています。僕がどんな仕事をしてるか分かって生活をしている感じ。形に残る面白い仕事ですよね。もちろん仕事の達成感もあります。毎日目に見えて成果が現れる、自分が準備したことに対して形がつくられていくので。社員の仲間や職人、みんなで一緒にものづくりするっていうのも面白い。今は京都の現場で、国道とJRの上に新名神高速道路の延伸工事で高速を架けています。

昔は、親父の仕事を継ぎたいって言っておきながら、次男ということもあり、頭のどこかでは自立して自分の形をつくっていかなあかんって思っていた部分があります。中学校から寮だったので、自分で判断する機会が多かったからかも。それは今の仕事で生きています。結局人と一緒にする仕事。人間関係って大事で、職人さんも一人一人違うから、指示するときの言い方も考えたり。みんなでものをつくるので、指揮をとる側としてうまく回さないといけない。それって人と接していないと身に付かないと思います。そういう意味では、それぞれ違う環境で育った人と寮で一緒に生活するっていう経験は、役に立っているんじゃないかな。現場によっていろんな人と会えるっていうのもこの仕事の良いところかと。知らない人たちのなかに飛び込んでいくのは割と平気な方。20歳の頃にあった、徳島県スポーツ少年団全国大会の交換交流のおかげもあるかもしれませんね。全国から500人くらい集まるイベントで青春って感じでした。

―今、神山に思うことは?

白土 高専ができるという話を聞いて「息子がいけるかも」って思ったりしました。これからの選択肢に良いし、神山に学校ができるって良いですよね。人も集まるし。何より高専は自分も楽しい思い出があるので。コロナ前は、年3回くらい神山に帰っていました。町が変わっていっているのは知っていますが、新しい人たちと接してないから実感はあまりないです、接点がないというか。かま屋に行ったり、実家から神山のクラフトビールを送ってもらったりして、変わっているなぁとは感じています。いろんな人が入ってくるっていうのは良いことやと思いますよ。今後はイベントとかで関わっていけることがあったら……。いろんな人に会えてプラスになることがありそう。

 

―これからの夢・目標は?

白土 今はマラソン! マラソン大会に出ることです。2020年の夏頃からめっちゃ走っているんですよ。長い現場とかは草野球のチーム入れてもらったりしますが、短期の現場や単身赴任のときは、時間持て余したりする。そういうときランニングは、やる気さえあれば、いつでもどこでもできるから良い。アプリで記録が残っていくのも面白いです。いっときは、ランニング中毒みたいになっていました。月に220~230㎞くらい走って(笑)。今年はマラソン大会に出るのが目標。どの大会に出たいとかはないんですが、42.195㎞走れるかっていうのを試したい。兄貴が結構走っていて「何が面白いん」って思っていたけど、面白いですね(笑)。いろんな頭の整理もできるし。あと、去年、息子が生まれたことも走っている理由にあります。長女が14歳、長男が12歳で、当時上の子たちと遊んだことと同じようにやってあげないとあかんでしょ(笑)。そのために足腰鍛えときたい。それもモチベーションになっています。それがなかったら諦めていたかもしれません。それと、何といっても徳島で橋を架けたい。

インタビュー・文:大南真理子 


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!

 

Q 中学生の時に勉強して今につながったことはありますか?(神山中学校1年生)

白土 何をするにしても過去のすべてが今に繋がっています。勉強の仕方は人それぞれ違うと思うのですが、社会人になっても勉強はずっと続いていくので、中学時代は自分の勉強の仕方の基礎をつくる場所だと思います。

 

Q:12歳で寮に入って、親と離れるのは不安ではありませんでしたか? (神山中学校2年生)

白土 兄や近所の先輩、友達も多く寮に入っていたので不安はありませんでした。自分が親になって初めて気づきましたが、本人の不安より親の不安の方が大きかったのではないかと思います。

 

Q:中学生の時はどのようなことを目標にして頑張っていましたか?(神山中学校2年生)

白土 特にこれといった目標なく過ごしていたような気がします。テストや部活の試合など与えられた課題に取り組み、努力して、クリアしていくようにはしていました。

 

Q:今の仕事で大切にしていることは何ですか?(神山中学校2年生)

白土 何事も自分ごと化して捉えるようにしています。自分の考えがないと、仕事に対しての達成感が得られないし、ひとつの目標に向かって全体を動かすことができなくなります。

チーム一丸となって目標を達成できるようにするためには、コミュニケーションの取りやすい環境づくりも大切だと思っています。

また、建設現場では危険が常に付きまとうため、しっかり事前のシミュレーションや打ち合わせを行うことで安全が保たれた良い品質、良い出来の構造物を施工することができます。

 

Q:白土さんにとって働くとはどういうことですか?(神山中学校2年生)

白土 一言でいうと、自己研鑽(スキルアップ、自分磨き)です。成長過程において超えるべき壁が違うと思いますが、私は今でも神山中学校で教わった『やり遂げる』の精神で頑張っています。自分に与えられたミッションを楽しみながらクリアしていきたいと思います。

中学生のみなさんは、これからたくさんの人と出会い、たくさんのことを経験していきます。いろんな刺激を受け、なりたい自分になれるよう自己流で自分磨きに取り組みましょう。


Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
デザイン:白桃さと美
編集部とりまとめ:大家孝文

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やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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