かみやまの娘たち vol.30 神山の人たちの“地元愛”をつなげたい。

なんでも2019年10月7日

ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち

投稿者:ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち

(hinagata)

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑


高田友美さん(「神山つなぐ公社」すまいづくり担当)

高田さんの神山暮らしも今年で4年目。家庭菜園の会「ノラ上手」もすっかり板についたようす。今回のインタビューは、『おひーさんの農園チーノ』さんの談話室をお借りして、お話を聞くことになりました。

季節は、すだちの白い花が咲き始める初夏。とてもお天気のよい朝で、談話室の窓の外は本当にきらきらしていて。どうにも、うららかな雰囲気のなかでインタビューは始まりました。

さりげないやり方で
興味を持ってもらうには?

今年から、3人体制になった神山つなぐ公社のすまいづくりチーム。高田さんは、主に「大埜地の集合住宅」や「西分の家」の入居募集と入居者の暮らしのサポートを担当することになりました。

2018年8月に第一期の入居者、2019年6月に第二期の入居者を迎えいれ、現在9世帯30人が「大埜地の集合住宅」で暮らしています。そして、今年7月から第三期募集をスタートしました。

「大埜地の集合住宅の入居募集は四期に渡っていて、合計20世帯・約80人が暮らすことになります。

第一期は、ちょっと開拓者的な人たちが入居してくれたところもあるなぁと思っています。まだ建物が建っていない段階で入居を決めてもらったり、入居者同士の自治を一緒に考えてもらったり。そんななかでも、『自分たち自身で整えていくんだな』と思ったり、『次の人を迎えていくのも自分たちの役割だよね』と考えてくれたりする人もいました。

また、大埜地の集合住宅に携わる私たちの方も手探りする部分が多くて。役場・公社・設計者からなるチーム内の連携がうまくいかず、走り始めてから『あちゃー…』となったこともありました。たとえば、工事完了から入居開始予定までの間に時間がなく、竣工時に内覧会を開く余裕をつくれなくて。一部の方に見ていただく、完成お披露目会を開くことしかできませんでした。

神山町内外から100名以上が参加した「ぐるっと内覧ツアー」

その反省を生かして、第二期の竣工時には事前に計画をして、『ぐるっと内覧ツアー』を開催。入居希望者だけでなく、まちの人にも見てもらえる機会をつくりました。失敗して、次の機会に改善することの繰り返しですね。

また、一期目に比べて、二期目は説明会の参加者が少なかったので、役場の人たちに相談してみると、『“入居募集説明会”と銘打つと、町内の人が来づらくなるんじゃないか』という意見をいただきました。説明会に参加しただけなのに、『あの人は入居するつもりなんだ』と周囲に見られることを恐れて、二の足を踏む人もいるかもしれないからです。

でも、まずは来て見て知ってもらいたいんですよね。もっと敷居を下げるにはどうしたらいいだろう?と考えて、大埜地の集合住宅と関連する別なテーマを掛け合わせた企画を仕込んだりもしました。

たとえば、『あたたかい家のつくり方』というテーマで開いた『鮎喰川すまい塾』。やっぱり、大埜地の集合住宅の幸せなところは、冬は暖かく、梅雨どきでも乾いた状態を保てることだと思っていて。大埜地の集合住宅に取り入れた工夫を、ご自宅を改修するときの参考にしてもらえるといいなと思います。

住むかどうかは別としても、この集合住宅のことを知って、周囲に伝えてもらうきっかけになればと思っています」。

「入居者募集」からはじまる
新しいコミュニティづくり

大埜地の集合住宅を必要とする人に、情報を届けることも高田さんの仕事のひとつ。第二期の入居募集では、雑誌への広告出稿にもチャレンジ。「専門の人がやるよりも、何十倍も時間がかかっているだろうな」と言いながら、大埜地の集合住宅を紹介する映像制作の指示も担当しました。

「大埜地の集合住宅が面白くも複雑なのは、単なる住まいを建てるだけに尽きないところだと思います。

町産材を使用したり、町の大工さんに建ててもらうことで技術の継承を目指したり。エネルギー循環のしくみを入れることにもチャレンジしています。そのうえに、『鮎喰川コモン』という新しいコミュニティを育む場もつくろうとしていて。全部ひっくるめてが面白いなと思っています。

環境やサステナビリティ、住まいとコミュニティづくりに取り組んできた私としては、気になるポイントがぎっしり盛り込まれていて。いろんなツボを刺激されすぎてしまうところもありますね。

そのなかで、私が一番大事にしたいのは、やっぱり入居者のコミュニティを育てるということ。そのためには、まずはこの住宅の趣旨に共感したり面白がったりして入居してくれる人がいないとだめですよね。なので、最近は大埜地の集合住宅を知ってもらうことに、心のボリュームの多くを割いているなあと思います。

あと、役割分担を決めたときに、いったん『鮎喰川コモン』のことは手放したんだけど、やっぱり入居者にどう関わってもらうかはすごく大事だと思っています。『鮎喰川コモン』は入居者のためだけの場所ではないけれど、入居者の人たちがいい状況であるほうが、大埜地の集合住宅の”縁側”的な存在である『鮎喰川コモン』もいい場所になるよなぁというのがあって。

少しずつでも、入居者のみんなとどうやってこの空間をいい場所にしていくかを考えていけたらと思っています。

繁殖力の強い外来種を選択的に除草。在来種の草地をつくっていきます。(神山つなぐ公社提供)

月一回のミーティングに参加したり、敷地内の“選択除草”を呼びかけて一緒にしたり。以前に『すまい塾』で紹介した生ごみ処理器『キエーロ』を、入居者のひとりが試作してくれたのはうれしかったですね」。

3年間暮らしてみて、
今気になっていることは?

高田さんと話していると、よく「ここが気になる」というセリフが登場します(前にも書いたことありますが)。私はそれを聞くたびに、高田さんのアンテナのありかを見つけたようで、ちょっとうれしくなるんですよね。

神山で暮らすなかで「気になるところ」はどんどん増えただろうし、変化もしてきているはず。高田さんは今、どんなことが気になっているんですか?

「3年間暮らしてみて感じたのは、滋賀のときよりも地元出身の人とそうではない人との間に壁があるし、動きにも違いがあるということですね。その分、地元の人にとっては新しく起きていることへのわからなさがある気がしています。

もうひとつは、『よそから移住者が来てくれるのはうれしいけど、なんでうちの子どもや孫は神山に帰ってこないのだろう』という地元の人たちの気持ち。はっきり口にはされないけれど、寂しさというかもどかしさがあるような気がしていて。

『神山がいい感じで続いていくためにはどうあるべきか』と考えると、神山出身者の”神山愛”をちゃんとつなげたいというところが、気になるかな。

子育ての環境を考えたり、実家の田畑や山の手入れをどうしようかと悩んだり、親の暮らしが心配になってきたり。地元や家族への思いがあって、暮らしを変えるきっかけってあると思うんです。

『今神山で暮らしている人たちはこういう仕事をしているよ』『Uターンしてきた人はこんな風に楽しんでいるよ』と伝えていけば、そのきっかけをつかんでもらえるかもしれません。たとえば、東京や大阪にいる神山愛のある神山出身者が集まって、地元出身者が神山トークをする会とかどうだろう?と思っていたんです。

その思いがつながって、帰省する人が多いお盆の時期に『地元出身の3人が語る、神山のいま』というお話会を開催。40名以上の方に集まっていただいて、すごくあったかい場になりました。

「地元出身の3人が語る、神山のいま」にて。左から司会する高田さん、「めし処 萬や 山びこ」店主・谷真宏さん、 下分保育所の湯浅あゆみさん、神山町役場の馬場達郎さん。(神山つなぐ公社提供)

9月27日に開催された「徳島 神山町とドアーズで考える『山あいの町の心地よい暮らし』について」のようす。高田さんは司会として登壇。(神山つなぐ公社提供)

ほかにも、大阪の『アーバンリサーチ ドアーズ』で働いている、神山出身のスタッフさんが神山推しのコラムを書いていることがわかって。連絡をとりあうなかで、大阪DOORS HOUSEで『神山ええもん展〜ドアーズが選ぶ徳島 神山町のいいもの〜』を開催することになりました。

都会の良さも理解しながら、地元に戻ってくる人たちの感覚値って、移住者にかなり近いと思うんです。たとえば、その人たちが親と同居をするまでに、大埜地の集合住宅に入ってくれるのもいいなぁと思っています。Uターンそそのかし、みたいな?

大埜地の集合住宅が『ここがあるなら、大埜地に、神山に帰ろうかな』と、地元出身の人たちに思ってもらえる場所になるとうれしいし、Uターンはしなかったとしても、集合住宅プロジェクトに限らず、メディアから伝わるだけではない神山の最近の状況を知って、神山に帰省するときの楽しみにしてもらえたらいいなと思っています」。

3年後は、
どこに向かっていくんだろう?

神山つなぐ公社に参画したとき、高田さんは「できれば3年間は続ける」というゆるやかな約束をしていました。滋賀から神山に移り住んで、まったく新しい環境に暮らすなかで、高田さんの人生の景色はどんな風に移り変わってきたのでしょう。仕事を通じて見えてきた方向性のようなものはあるのでしょうか?

「神山町の地方創生において、神山つなぐ公社がすごく面白いのは、外部のコンサルタントみたいな関わり方じゃないこと。役場の人たちをはじめとして、一緒にやっていくメンバーとは、苦楽をともにするチーム感がすごくある。だからこそ、できることがいっぱいあると思っています。

神山つなぐ公社での今のポジションは、新卒ではなく経験者だから入ることができたと思っていて。そのわりには手探りのことも多いし、専門家として入れていない残念さはあるんだよね。自分の領域をはっきりさせていかないといけない時期なんだろうとは思っているんだけど……。

相変わらず、『自分の仕事はこれです』と言い切るのがなかなか難しいのは、なんなんだろうね? 自分の仕事も、暮らしのあり方をつくっていくことも、ずっと模索していくんだろうけど。

3年間が終わったらどうするんだろう、どうしたらいいだろうというのは、いろいろ思ってみたことはあるし、今もたまに思います。次への仕込みをしたほうがいいのかなと思ったりするけど、あまり見えてはいなくて。

次、どこに向かっていくんだろう、自分は?

いったん、目の前のプロジェクトに関してやりきった先に、ポンと見えるものがあるんじゃないかと思っていて。まだ、真っ最中というか、真っただ中にいて、まだまだやれることもあるし、やってみてわかることもあるだろうなっていうのがあって。

これからの3年間で、まちのなかの状況も、日本も世界も状況が変わっているだろうと思うと、3年後には思っていなかった仕事やポジション、関わり方がある気がしています。全然決められていないな。

地元の人たちや、徳島市内の友だちには『ずっと神山にいてくれるのかな?』と言われたりすると、『いや、それはわからないな』と思うけれど、離れる想定で関わっているわけではないんですよね。もし、居つづけられるなら、このまちがどうなっていくのかをずっと見ていきたい。

ただ、これから何をするにしても、暮らしも含めてどっぷり入り込んで地域に関わるタイプなんだろうとは思います」。

チーノさんが育てているチャボの雛。かわいかったです!

 

 

インタビューのなかで「神山出身者の神山愛をちゃんとつなげたいなあ」と言った後、高田さんは「そこまで思っていなかったけど、今しゃべっているとそういうことなのかな?」と自分に問い返していて。いいシーンだなあと思っていたのですが、きっと「そういうこと」なんじゃないでしょうか。

その後、めきめきと具体化していった「神山のええもん展」を見ていると、そんな気持ちがしています。関西におられる方はぜひ、この機会に大阪の「DOORS HOUSE」にやってくる神山を見にいってください。わたしも遊びに行こうと思っています!

 

高田さんのこれまで


かみやまの娘たち vol.42 何が起きるかわからないけど、この場にいる人に委ねてみたい。

 

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なんでも2020年12月22日

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ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑


高田友美さん(「神山つなぐ公社」すまいづくり担当)

2016年秋にスタートした連載「かみやまの娘たち」も残すところあと3回。繰り返しインタビューしてきた、「神山つなぐ公社」の立ち上げメンバーの3人と、それぞれの5年間を振り返りながら閉じていきたいと思います。まずは、9月の終わりに5回目のインタビューをした高田友美さんから。

早朝6時半、神山町に新しくつくられた「大埜地の集合住宅」*につくと、あかるい日差しにたくましく伸びた木や草の緑がきらきら光っていて。先に着いていた高田さんが、「やっほー!」と元気に手を振ってくれました。

5年前、ここにはまだ神山中学校の寮「青雲寮」の建物がありました。青雲寮が取り壊された後、敷地内で再利用するためのガラが山になり、住宅が建ちはじめて。わたしは、来るたびに育ちゆく大埜地の風景を、変化するこのまちの姿に重ねていたように思います。

高田さんと鮎喰川のほとりに腰掛けて、前回のインタビューのあとに起きたこと、そしてこの5年間の変化について、ゆっくり聞かせていただきました。

*「大埜地の集合住宅」は、入居者が暮らす「大埜地住宅」と鮎喰川沿いの広場と文化施設からなる「鮎喰川コモン」で構成されています。以下、「大埜地の集合住宅」全体を指すときは「集合住宅」、住宅部分は「大埜地住宅」と表記します。

(2019年11月撮影)

入居者とともに育ちゆく、
大埜地の集合住宅

ーー前回のインタビューは、2019年5月。大埜地住宅には、第1期工事で竣工した「家族・夫婦棟」に4世帯が住みはじめてまだ間もなくて。入居した人たちの様子や、第3期の入居者募集に向けた取り組みについて話してもらいました。

高田:そっか、まだ第2期の入居者が住みはじめる前だったんだ。うわ、すっごい昔!あれが1年3カ月前なんだ、すごい進化だねえ。大埜地住宅には、すでに51人が暮らしていて、半分くらい(22人*)が子どもたち。しかも、そのうち3人は今年生まれた赤ちゃんなの。ちょっとしたベビーブームって感じだなぁ。
*2020年9月時点

最近は小学生の男の子が増えて、お兄ちゃんたちに連れられた小さい子どもたちが遊んでいる姿が見えるようになってきて。大人が遠巻きに見守るなか、子どもだけでウワーッて遊んでいるのね。「大埜地の集合住宅」を計画したときに「こうなればいいな」とイメージしていたことが、本当に実現しているなと思います。

ーー入居者の人たちは、少しずつコミュニティになってきている?

高田:毎月、入居者ミーティングをしているんだけど、最初は場所がなかったから、町内の公民館や農村環境改善センターにわざわざ集まっていて。でも、第2期に単身者3人で暮らすシェア棟ができたから、そこの広いリビングダイニングで車座になってミーティングさせてもらうようになったんです。

同じ敷地内なら歩いて来られるし、子どもたちも参加しやすくなってすごくよかったなあと思っていて。みんなの顔を見ながら気楽に話せる雰囲気があったし、最後のほうに雑談的にふっと出てくる「最近こんなことが気になってるけど、みんなどう?」とか、「これがやりたかったんだ」みたいな発言がぽろぽろこぼれてくる時間を大事にしていて。

第3期の入居で人が増えたから、今はまた外の場所を借りて机と椅子に座って「進行役と参加者の皆さん」って感じになっているんだけど。「鮎喰川コモン」ができたらまた敷地内でミーティングができるし、違う座り方もできるだろうなと楽しみです。

大埜地の集合住宅の敷地内、鮎喰川に面して建てられた「鮎喰川コモン」。子育て、子どもたちの放課後、読書を軸に、多様な人のかかわりが生まれることが期待されている。

運用がはじまった鮎喰川コモン。訪れる人たちがみな「この場にいることが心地よい」と口を揃える。日が暮れるとコモンのあたたかな光にホッとする(写真提供:西村佳哲さん)。

 

子どもたちにも人気で、すでに放課後の待ち合わせスポットに。日々のなかで開かれる小さな企画にゆるやかに人が集ってくる(写真提供:高田友美さん)

 

そうそう。今年の5月くらいのミーティングで「大埜地住宅のために必要な係をつくりませんか?」と提案したら、緑の手入れをする係とイベント係ができたんですよ。あとね、入居者さん側の申し出で、毎回手を上げた人が議事進行をしてくれるようになって。ちょっとずつ、ここに暮らしている人たちが自分たちで何かしようとする動きがはじまっているなぁと思います。

あ、そろそろ通学時間だね。7時半くらいになるとみんなで集団登校していくんだよ。この時間帯によく草取りに来ていて。夏休みの終わり、6時半くらいにみんながわらわらと家から出てきて「今週は、毎朝ラジオ体操をやるんです」って言っててね。じゃあ、一緒にやっていこうかなーって、勢いあまって私も一緒にラジオ体操しちゃってたんだよね。

みんなの「こうなるといいな」を
集めて動き出す「鮎喰川コモン」

ーーそして、11月にはついに「鮎喰川コモン」がオープンしますね。運営スタッフも決まったと聞きました。

高田:そうそう。「鮎喰川コモン」のスタッフには、本当にいろんな個性のある人が集まっていて。地元の出身でUターンしてきて仕事を探していたという女性2人の存在も頼もしいし、移住してきたばかりで、「自分の活動をはじめる前にまちのことを知りたい」と参加してくれた人や移住して長く暮らしている男性もいる。

「大埜地住宅」に住んでいるお母さんもひとり、スタッフになってくれてね。そこのお宅はお子さんが3人いるのもあるけれど、気がつくと子どもたちが集まる家になっていて。いい感じの人だなあと思っていたんだよね。

ーー入居者さんが暮らしはじめたことで、「鮎喰川コモン」を利用する側の人の顔も見えてきて、少しずつ運営イメージが具体的になってきたのでは?

高田:そうなの。全員には聞けていないけど「鮎喰川コモン」でやってみたいことがある人がけっこういるみたい。お子さんの手が離れたお母さんは、「鮎喰川コモンでなら、他の入居者のお子さんを見てあげられそう」と言ってくれて、うれしかったな。

本人たちに、聞いてみないとわかんないことがあるなあと思う。もちろん、私が知らないだけで不満もいろいろあるだろうけど。みんなの「こうなるといいな」みたいなものが集まって、ちょっとずつ動いていく。誰かが動いているのを見て、自分も動きたくなるんだと思います。

ーー誰かの思いや行動が、熱として伝わっていくみたいに。

高田:うん。自分の楽しいことが誰かの楽しいことになって、誰かのやってみたいことを手伝いたくなって、ぐるぐる回っている感じになればいいな。

「どん底」に入ったこともあったけど、
今は
「これでよかった」と進んでいきたい

ーー3年くらい前は、高田さんは「鮎喰川コモン」の担当でいろんな準備を進めようとしていて。その後、「大埜地の集合住宅」の工期が変更されて、「鮎喰川コモン」のオープンが2年遅れるという経緯がありました。

高田:あのとき「鮎喰川コモン」ができていたら、どういう状況だったのかな?というのは思いつつ。でも、なんだろう? 「もし、こうだったら?」は、もうわかんないなぁと思っていて。結果的に、入居がはじまって2年経ってしまってからのオープンだからこそ、入居者さんやまちの人たちとの関わりもつくれたし、今だからこそできることもあるなと思います。設計も、2階建てから平屋建てに変更になった分、目が行き届きやすくもなったと思う。

ーー工期の延長や設計変更も大変な決断だっただろうなと思います。

高田:うん、みんなにとって大変だったけど、今は「これでよかった」という方に全力で進んで行きたいと思っているし、そうなっているかなと思う。「鮎喰川コモン」のオープンを2年延期すると決まったときは、私はいったんどん底に入ったけど。

ーーそうだったね。インタビューでも、その気持ちを聞かせていただきました。

高田:もう、何をしていいかわかんなくなって。本当にスランプというか。いや私、よくあそこから戻ってきたなあと思う。あの頃、行き詰まってしまったのは、周りの人たちが、良かれと思って「もっとこうしたらいいんじゃない?」と言ってくれることの一つひとつに頭を持って行かれていたからだと思う。

本当は、自分が「こんなことやっていたらいいかな」と思いかけていたかもしれない、まだまだ地中に埋まっている感じのものが見えなくなる。土が大きくかぶさっちゃう感じがあって余計に動けなくなっちゃって、結局「鮎喰川コモン」の企画開発の担当を手放すことになってしまった。

今は、誰かに意見を聞くタイミングや受け止め方も、自分で調整できるようになってきたからか、のびのびさせてもらっています。入居者の人たちとも少しずつ話を交わす機会が増えていて、何が起きるかわからないけど、この人たちに任せてみようと思えるようになった。

ーー誰の声に耳を傾けて進んでいけばいいのか、高田さんのなかではっきりしたということかな。「鮎喰川コモン」についても、自分で何もかも決めるのではなく「この人たち、この場に任せてみよう」というのがあるのかな?

高田:それも、入居者さんたちとのミーティングを重ねてきているからというのもあるのかもしれない。

私の「専門」はわからなくても、
気になることを追いかけたい

ーーなんだか今の高田さんはさわやかだなぁと思います。今までずっと「神山に来るまでの経験や専門をあまり活かせてないな」って言っていたけれど、そのあたりについてはどう思っていますか?

高田:そうそう。私はなんの専門なんだろうなって日々思いながら、結局わかんなくて。新卒からずっと住まいづくりには関わっているけど、設計のことは中途半端にしかわからないし。コミュニティビルディングの専門家かというと、そればかりしているわけでもない。「私はなんだろうね?」と思いながらも、この分野のことがすごく気になる。気がついたら、神山つなぐ公社でもすまいづくり担当になっているし。

ーー「私は住まいづくりが気になる人なのね」という風に諦めがついた?

高田:あー、確かに住まいづくりは気になるね。ただ、「住まいづくりのなかで、どの部分が気になるのかな?」っていう問いは相変わらずあるんだけど。でもなんか、住まいづくり自体をやりたいというよりは、人が住む場所を選ぶときの「こうなったらいいのにな」という思いをかたちにするお手伝いができたらいいと思っているのかな。

だから、「大埜地の集合住宅」に「鮎喰川コモン」があることにワクワクしたし。移り住むことを検討する人たちのための「すみはじめ住宅」も、住みながらいろんな可能性を探していってもらうのが面白いなと思っています。


あと、たぶん必要とされていないんだけど、「雑草好き」をもっとちゃんと極めてみようかなと思い、仕事以外でもここ数カ月いろいろ試みていて。こういうまちで暮らしていると、草はあちこちに生い茂っているからね。今ここから、どれだけやるかもわかんないけど。

ーー草には飽きないものがある?

高田:メインの仕事にしちゃうとしんどいのかもしれないけど。いわゆる種苗ではなく、雑草管理という分野もたぶん世の中にはあるんです。友だちには、「日本雑草学会にやっていることを論文に書いて投稿したらどうですか?」って言われて。草を極めるのもいいかなと思ったりはしました。

たとえば「まちの雑草部」とかできるんじゃないかと思って。雑草は管理しないといけないものだと思うとすごく大変だけど、草取りをしながら七十二候に合わせて写真を撮ったり、名前を調べたりしていると面白いのね。ひたすら野草を食したり、雑草だけで生け花をしたり、遊びがいはいろいろあるなと思います。

友廣裕一さん(一般社団法人つむぎや)たちが主催した連続オンライン講座「地域とつながる仕事」に参加したときに、高田さんがマイプロジェクトの一環として作成した「雑草を楽しむ四十八手」の図。たしかに雑草でかなり遊べそう!

高田さんはこの5年間で、
どんな風に変化したの?

ーー神山に移り住んで5年目になりましたが、まちの変化をどう見ていますか?

高田:まち全体の動きは、この5年間でますます加速したり、さらに面白い人が増えたりしていると思う。特に、神山に戻ってきて「まちに関わりたい」と言ってくれる地元の人の顔が見えてきたのは大きいなとは思うかな。

なんだろう?よく、メディアで言われる「神山はすごい」みたいな意味じゃなくて、スーパーヒーローばかりがいるわけではないすごさ、というか面白さ、味わい深さ……だめだ、言葉がわからないけど。普通に暮らしている人たちの、一人ひとりの思いの組み合わせが今の状況をつくっていると思うんだよね。

ーーわたし自身、4年あまり神山に通い続けるなかで、みんなから影響を受けてきたし、それによって自分が暮らす京都の見方も変わってきたなと思います。高田さんは、自分自身に変化を感じるところはありますか?

高田:なんだろうなぁ、なんだろうなぁ? ないわけないよね……。今、振り返ってみて、こんなに役場の近くで仕事をしたのは人生ではじめてだなと思ったんだけど、私の変化じゃないな。えっと、わかんないなぁ。生津さん(カメラマン)に聞いてみようかな。セカンドオピニオンで……。

ーー今はわからないなら、無理に言葉にしなくていいよ。

高田:またひらめくかな? あまり考えたことなかったな、自分の変化について。私のなかでは、「鮎喰川コモン」にまつわるスランプからやっと抜け出した今だなと思っていて。これからも、また沈むことはあると思うけど、停滞するときは停滞してもいいんじゃないかなと思っています。自分なりの浮上のしかたもちょっとわかってきたしね。

このインタビューから2カ月後、神山を訪れたときに「『かみやまの娘たち』で5回もインタビューを受けてどうだった?」と高田さんに聞いてみました。

「インタビューをされるというよりは、杉本さんに話を聞いてもらうという感じだったかな。けっこう毎回無防備だったし、あまり記事としてアウトプットされることを意識していなかった気がする。そのとき聞かれて出てきたものを、うまく形にできなくても渡してみるという感じだったかな。スランプだったときなんてふつうは話したくないんだけど……。あのとき聞いてもらって、思い切って記事として外に出してみたのは良かったかなと思っています」

そう言ってもらえて、私の側にはほっとした気持ちがありました。

高田さんは、その言葉の通りとても無防備な状態で、私にいろんな話をしてくれました。「インタビューでうまく話せないかもしれないから」と、前日にごはんを食べながら高田さんの気持ちの棚卸しをしたり。インタビュー以外の時間も含めて、一番多く声を聞いた人だったと思います。

「なんだろうなあ?」「〜が気になるんだよね」

こうして書いていると、今も高田さんの口ぐせが耳の奥から聞こえる気がする。これからも、「気になる」を見つけて歩く道すがら、誰かに会ったら「やっほー!」と呼びかけてちょっと早口でおしゃべりをして、またピンと姿勢を正して歩いていくんだろうな。ともちゃんありがとう。そう遠くない日にまた会いましょう。



高田さんのこれまで

▼第一回目(2017.02.15)
「ここなら、経験してきたことをすべて生かせると思えた」

▼第二回目(2017.09.08)
「私の仕事は、コミュニティに命を吹き込むこと」

▼第三回目(2018.10.12)
「切り拓く人たちのなかで立ち止まる」


INFORMATION

“神山ええもん展” 〜ドアーズが選ぶ徳島 神山町のいいもの〜

日程:開催中〜10月15日(火)
場所:DOORS HOUSE (南船場店併設)

 


ライター/杉本恭子(すぎもときょうこ)
大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

転載元:ウェブマガジン「雛形」

ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち

ウェブマガジン「雛形」 かみやまの娘たち (hinagata)

神山に移り住んだり、還ってきた女性たちへのインタビュー・シリーズ「かみやまの娘たち 」。ウェブマガジン「雛形」で全44回にわたり連載された記事をイン神山にも転載させていただきました。

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