「まちの外で生きてます」#07 白桃さと美さん

なんでも2022年9月13日

やままち編集部

投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・白桃さと美・中川麻畝・海老名和、神山町出身の5名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第七回は、神領出身で今は徳島市で暮らす白桃さと美さん(35歳)に話を聞きました。

 

神山で過ごした幼少期のことを教えてください 

白桃 神領の上角で生まれました。三つ上に兄がいます。実家は農家で、私が小さいときはお花のハウス栽培をしたり、植木やお米を生産していました。

(写真/0歳の頃。実家の軒先で農業用コンテナに入って虫取り網を振り回していた)

母は働きに出ているし、父は畑で仕事をしていたので、ずっとおばあちゃんと畑にいましたね。ミミズやおたまじゃくし、カエルの卵をとって遊んでいました。植木畑なので季節になると落ち葉を拾ってベッドにして寝転んだり、果実がなったら勝手に取って食べたり、探検して遊んでいました。

 (写真/1歳の頃、実家の庭で兄と。ハンコと長靴という出立ちで庭や畑を探検していた)

これは珍しいかもしれないんですが、トラックにおじいちゃんとおばあちゃんと兄と4人乗って香川の鬼無や三重の植木市に行っていました。当時はまだ明石海峡大橋が通っていなかったので、途中フェリーに乗ったりして大冒険をするっていう。植木市は競りがあり、帽子に番号ついた人が「なんやらなんやら~」って言うようなところ。おっちゃんやおばちゃん、みんなに可愛がってもらっていました。当時の夢は、お花屋さん。お父さんの作った花を売りたいと思っていました。

(写真/小学2年から始めたバレーボール。練習は厳しかったけど、目標を持って仲間と打ち込んだ日々は充実していた)

 

―中学時代はどんな思い出がありますか

白桃 神山中学校ではソフトテニス部に。一つ上の先輩とペアを組んでいました。なので、始めたばかりだけど団体戦に出たりしていました。「これは負けたらあかんな」「サーブ、アウトにしたらやばいな」って感じていました(笑)。でも、同級生とは出られる試合の数も違うし、良い経験になったなと思います。あと、駅伝部にも入っていました。中学生活は、駅伝とソフトテニスの思い出がほとんど。

(写真/テニス部と駅伝部の先輩と後輩と、部活帰りの一コマ。校庭で真っ黒に日焼けするまで練習した)

アーティスト・イン・レジデンスが始まっていて、中学校の空き教室で海外の作家が制作していました。話を聞いたり、作品を見せてもらったり、学校に先生と生徒以外の人がいるって新鮮ですよね。だからすごく印象に残っています。今も影響を受けているなぁって。

 

―中学卒業後の進路はどのように決めましたか

白桃 立志式は……、黒歴史なのか全く記憶になくて(笑)。どんな夢を発表したか忘れましたが、高校は名西高校の美術科に行きたいと思っていました。うちは、父方の叔父や叔母が美術系で、彫刻や日本画を制作していたり、おじいちゃんもお花やお茶をやっている家系。そういう環境で育ったので自然と。あと、アーティスト・イン・レジデンスでアーティストが作品を作っているのを見ていたので、憧れていました。

(写真/中学校の教室で友達と、当時、イラストレーターの326ブームだった「ポーズに時代を感じる」と白桃さん)

でも、大学進学を考えたら総選(総合選抜高校)の方が良いかなと思ったので、駅伝部を辞めて勉強して、総選を受けることに。第何希望か覚えていないですが、進学先は城南高校になりました。城北高校に通っていた兄の後住むことにしていた、佐古の川人寮からまさかの眉山を半周して城南に行くことになって、泣きましたね(笑)。

(写真/城南高校女子空手部の先輩や仲間と)

高校では、特に勉強もしてないし楽しんでもない。そういえば、1年生のときだけ空手部に所属していました。かなりガッツリ練習したので新人戦で団体戦準優勝して。でも、ふと私って何がしたいんだっけ?となって(笑)。それで辞めました。あと、おばあちゃんが神山温泉の近くでしていた林田直子先生の絵画教室に通っていて、私も行っていました。あちこち彷徨いつつも、これは高校卒業するまで続けられましたね。

(写真/高校時代の友だちと後輩。放課後が一番楽しみだった)

高校生活ですが、学校外では少し変わったこともしました。私が編集長みたいな感じで、川人寮の住人たちとフリーペーパーを作りました。絵を描いてもらったり、お薦めCDを紹介する記事を書いてもらったり。同じ高校生に配りたいなと思って。当時、新町のボードウォークは高校生が集まって、ギターを弾いたり、服も売っていたりして賑わっていたんです。そこで出会った人のなかで徳島新聞の記者がいて、「楽しいことするときは教えてね」って言われていたから、「フリーペーパー作ることにしました、手伝ってください」って言ったら「良いですよ」って(笑)。「後ろに『徳島新聞ニチヤン』って載せてくれるなら、印刷してあげる」と言ってもらって、多分4回くらい発行しました、不定期で。10ページとか12ページとかそんなもんですよ。でも、当時まだライブハウスでライブをしていた四星球の記事を入れさせてもらったりして、楽しかったですね。そのとき、こういう感じ好きだなと思ったんです。

(写真/20年前に作ったフリーペーパー、もうええけん。第3号まで残っていた)

でも、いざ卒業後の進路を決めるときになるとどうしたら良いのか分からず、美術教師をしていた叔父に相談に行きました。フリーペーパーを作った話や色彩が好きとか、そんな話をしていたら、「推薦ならこの大学に行けると思うから受けてみたら」とアドバイスをくれて受けたのが、宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)です。

 

―大学ではどんなことを勉強しましたか?

白桃 徳島を離れることになったのですが、新しい世界にワクワクしていたように思います。専攻したのは、造形学部のアドバタイジング&グラフィックデザインコース。広告とデザインの勉強です。私は基礎を習っていないので本当に基礎から。色彩の勉強やポスターを描いたり、ブランディングの勉強をしたり。感想としては、全然絵描けんなぁって(笑)。大学には工芸や美術高校から入ってくる子もいて、ポスターもすらすらと描いて提出するけど、全然自分はできなかったです。そんなとき、博報堂のクリエーティブ職の先生がいて、「広告はラブレターだ」みたいな話をしてくれたんです。それまでは、絵を奇麗に描かなきゃとか、オリジナリティーを出さなければとか、そんなことばっかり考えていたけれど、広告は、誰にどういう風に伝えるかが大切だということを知り、素敵なものだなと思いました。そこからデザインや広告がすごく好きになりましたね。

(写真/大学3回生の頃、中国の延吉大学との交流プログラムで仲良くなった中国の芸術学部の学生と、夜行列車に乗ってマイナス25℃の冬のハルビンまで旅をした)

大学3年生の終わりくらいに、父が病気で倒れたんです。そのとき、築110年くらいの母屋を壊すタイミングも重なって、「私の好きな場所がなくなってしまう」と、家族や神山に対する危機感みたいなのを感じました。ほとんど大学に行かず、実家がなくなっていく様子や地域の写真を撮ることに決めました。その写真を集めて、写真集を作り神山の道の駅で「宝箱」という名前の写真展をしました。私のアイデンティティーを作品にしたもの。それを卒業制作にしたら特賞をもらいました。そしたら、なんかもう神山に帰りたくなって。もう徳島に帰る予定で就職先を決めました。

(写真/道の駅の2階ギャラリーで写真展を開催した時。町内外から友達や先生がたくさん見に来てくれた)

 

―社会人になって、今の仕事をするまでの話を聞かせてください

白桃 最初の就職先は、徳島市内のイベント企画施工会社。学生時代にも看板工場でバイトしていたので、看板のデザインとか施工とかしている会社に面接を受けにいきました。大きい会社ではなかったけれど、文化の森の企画展など県内では大きなイベントを請け負っていました。あまりにハードすぎて、2年くらいで辞めてしまいましたが、新人なのにいろんな経験をさせてもらいました。その後も、印刷会社や社会福祉法人で働きました。あるときは、デザインに疲れてしまってクレジットカード会社で、電話対応をしていたこともありましたよ(笑)。その後、広告会社に就職しましたが、長男を妊娠したことをきっかけに退職。

 (写真/20代前半働いていた会社がイベントに出店していて、子どもたちにワークショップをした)

そんなとき、北島町の商工会にTシャツアート展をするからと、Tシャツのデザインをしてほしいって言われて、4枚くらいデザインしました。そうしたら、高知の砂浜美術館のTシャツアート展に知らないうちに出してくれていて(笑)。突然「白桃さんおめでとう」「すごいなぁ」って、テレビの映像が送られてきて、砂浜大賞を受賞していました(笑)。そのときの審査員がデザイナーの梅原 真さんと原 研哉さんだったんですよ。仕事も辞めちゃって凹んでいたんですが、教科書で見るような人に認められて、それが嬉しすぎて、もう自分でやろうと思って2018年6月にデザイナーとして独立しました。

(写真/2018年、砂浜美術館の会場で白桃さんの作品と。全国から集まったTシャツが展示されていた圧巻だった)

 

―デザイン事務所を設立してからの活動は?

白桃 独立したのですが、2カ月後、長男出産した後に産後うつになって働けなくて。日常生活もままならない感じ。次男は、コロナ禍での出産になりました。そうして産後うつからようやく立ち上がった頃、市長が変わって、7つの保育園の建設計画が白紙になったんです。そのとき、ちょっと待てよと。長男が待機児童になったのも産後うつになった原因の一つなのに、この状況は困る。すごくもやもやしてfacebookにそのことを呟いたら、4人集まって団体が立ち上がり私が代表をすることに。お母さんの声を300集めて市に届けました。そしたら入園の選考結果が早く出るようになったり、AIが導入されたりいろいろ変化がありました。そのとき、私が大変だったころと同じようなお母さんがまわりにたくさんいるのだと気付いたんです。お母さんたちをつなぐ共助コミュニティー「ママノワ」というLINEグループを立ち上げたら、一気に60人になりました。今は200人くらいいて、情報を交換したりしています。

(写真/2022年冬、デザイン事務所とママノワ拠点のある徳島市沖浜の昭和レトロな長屋の中庭で、ママノワに参加するママや子どもたちと)

そんなことをやっていたので、本格的に仕事ができるようになったとき、お母さんや子どものためにできることはないだろうかと思うようになりました。保育士になろうかと思ったりもしたんですよ(笑)。でも、今までいろんな問題があったけど、広告やデザインの力で解決できてたことを思い出して。普通のデザイン事務所じゃなくて、子育ての未来をひらくような、問題解決をしていくデザイン事務所にしたいと思って今活動しています。それまでは表面的なところのデザインは全然できなかったんですが、問題解決するためのデザインだと思えば、いろいろ作れるようになりました。7月に開催した「イヤイヤ展」も、そういうことから生まれたもの。コロナで赤ちゃんやお母さんの横のつながりがなくなっていました。だから展示会を通して、共感とか応援する意味でやりました。

(写真/2022年夏、小松島市金磯町のNPO法人、アーツシコクのギャラリーで開催した「イヤイヤ展」の主催メンバーと参加者のママや子どもたちと一緒に)

 

―今の神山をどう見ていますか?

白桃 今、神山とのつながりで言えば、この「まちの外で生きてます」の編集部での活動くらいかな。先日、鮎喰川コモンで水質浄化池の地域交流シンポジウムがあったのですが、チラシのデザインを任させてもらって、仕事ではそれが初めての関わりでした。今注目されていることに対しても、何が起こっとんかなぁって(笑)。大学卒業したあたりでは、関わりたいと思っていましたが、あまりにも自分の仕事が忙しくて、その後は子育てが忙しくて、何かやっているなっていう遠目にみる映画みたいでした。

(写真/実家の植木畑で剪定作業をする母の隣で、葉っぱを集めたり昆虫を探したりして遊ぶ白桃さんの子どもたち)

子育てをしていると神山は魅力的。高専ができたり、フリースクールがあったりもしますよね。市内でいると公園に遊びに連れていかなければいけない。安心して子どもたちを遊ばせられる場所は神山やなって思います。自分が幼少期に畑で遊んでいたように、原体験とか体を動かしたり、いろんなものに触れたり未就学のときしかできない経験をしてほしいので、あわよくば神山に住みたいと思っているところです。

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!

Q: フリーペーパーづくりで気をつけていたことは何ですか? (高校生)

白桃 高校生の頃は自己表現として自由に作っていましたが、今デザイナーとして作るなら「だれに・なにを・どう伝えるか」ということを大切にします。 

Q: 今神山で生活している高校生や、これから神山での生活を考えている中学生に期待することは何ですか?(高校生)

白桃 子どもたちのそのままの生きる力に圧倒される日々で、期待はありません。若いこれからの皆さんが、堂々と興味や好きを、精一杯味わえる日々であってほしいなと心から願っています。

Q: 神山町から出てみて、やり残した!っていうことはありましたか?(高校生)

白桃 大自然がすぐそばあるのに、いつも同じ場所で生活していたことに後悔しています。子どもたちがもうすこし大きくなったら、一緒に山に登ったり冒険したり、いっぱい挑戦してみようと思っています。 

Q: 今の神山と昔の神山の大きな変化ってありますか?(高校生)

白桃 知らないことがあったり知らない人がいたり、帰省する度、目新しいこととの出会いがあり、変化を感じています。

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
デザイン:白桃さと美
編集部とりまとめ:大家孝文

やままち編集部

やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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