「まちの外で生きてます」#08 阿部友希さん

なんでも2022年11月15日

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投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・白桃さと美・中川麻畝・海老名和、神山町出身の5名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第八回は、広野出身で今は東京の大学院に通う阿部友希さん(24歳)に話を聞きました。

 

―幼少期から中学時代の思い出を教えてください

阿部 幼稚園に上がる前は、両親が共働きでおじいちゃんも消防に勤めていて家にいなかったので、おばあちゃんが一緒に散歩に連れて行ってくれたりして、近所のおばあちゃんと仲良くしていました。幼稚園では外で遊んでいたかな。近くに同級生があまりいなかったので、おばあちゃんに遊んでもらっていましたね(笑)。広野幼稚園が広野保育所に変わるタイミングだったので、鬼龍野幼稚園に1年通って、その後広野保育所に通ったんじゃないかな。当時の印象深い思い出は、ジャングルジムに上って蜂に刺されて泣いたこと。

 

(写真/幼少期は、祖父母のお手伝いをすることが大好き。梅の出荷のための準備も手伝っていました。)

広野小学校の同級生は10人。小学校1年生からずっとバレーボールをしていました。4年生から金菅バンドにも入っていたけど、小学校のころの生活の軸はバレーボールだからそれが一番思い出。私はまわりの子たちより身長が高かったので、それを生かしてアタッカーに。運動音痴だったけど、単純に上手くなりたいと思って監督に怒られるのに耐えながらやっていました。一個上の学年が5人だったので、私を入れて6人に試合に出ていました。その時は、四国大会に行ったりと強かったです。その経験があったから、精神力が身についたと思います。結構、バシバシ言われていたけど、それが良かったかな。監督に出会えたことに本当に感謝しています。

 

幼稚園のころの夢は、ありがちですがケーキ屋さんやお花屋さんだったと思います。小学校の低学年もコロコロ変わっていて、イルカのショーを見に行ったらイルカの調教師になりたいって思っていました。高学年になると、友達に勉強教えるのが楽しかったし、「分かりやすい」って言ってくれるのが嬉しくて、学校の先生になりたいと言っていました。

(写真/小学校1年生から始めたバレーボールは、楽しくて生活の中心に。5年生の夏には四国大会にも出場し、2位という好成績。)

 

―中学・高校時代に頑張っていたことは何ですか?

阿部 神山東中学校に進学してもバレー部で頑張っていました。でも“神山あるある”で、陸上と駅伝も兼部(笑)。バレーボールをやりたくて、東中を選んだのに「陸上や駅伝もするなんて聞いてないわ!」って(笑)。だからバレーに還元できないことしかしないと決めて、長距離だけ。しかし、中学1年の冬に膝の靭帯を切ってしまう大けがをして手術をしなければならなくなりました。1月に断裂したけど学校を休めなので、8月まで手術が延びました。そうすると翌年6月にある総体のバレーの試合に間に合わないってなって。リハビリも頑張って、4月に復帰して総体に間に合いました。ちょうど自分たちの代に変わる時だったので、けがをしている時はもどかしかったですね。

(写真/中学校でもバレーボール部に入部。膝の靭帯を断裂するけがをしてプレーできない期間も長かったけど、顧問の先生やチームメートの支えもあって復帰でき、バレーボールを楽しみました。)

中学時代の夢はお医者さん。かかりつけの小児科医の先生がすごく優しくて、行くと絶対治るんですよ。それが印象深かったからかもしれません。だから医療系に進みたいという思いがあったのと、理科とか数学とか理系が得意だったから、城東高校の数理コースに進みました。中学校までとのギャップでいえば、卒業する時9人だったのに学年主任と担任、副担任と先生が3人もいる世界から、1クラス41人、それが8クラスある世界……。それだけいる人のなかで気兼ねなく話せるのが、神山中学校出身の海老名 和ちゃんくらいだったので、最初、めっちゃ孤独だった。でも徐々に友達が増えていった感じです。新しい友達のつくり方を学んだのは、多分その時が初めてです(笑)。今思えば、神山出身という“レアキャラ”感があってそれが良かったかも。

 

高校時代は、ほぼ塾の思い出。小・中学校はずっと勉強が得意な方でした。当時から、お父さんに「その世界に慣れたらあかんよ、世界は広いよ」って言われていましたが、高校のテストではクラスの順位が下から数えるほどで……。その時、初めてに近いくらい「あぁこんな世界なんや」って思いました。学校で習っていない問題をスラスラ解けるまわりの子たちを見て、「やばい、このままじゃ」って思った記憶があります。私は負けず嫌いなところが強いから、コツコツ勉強をしました。次第に結果が出てきて、それが楽しくて勉強のモチベーションになっていたかな。医学科に入ってお医者さんになりたいというよりは、目の前の目標に向かってコツコツ積み重ねる。私はそういうタイプだと思います。

(写真/中学生までずっと少人数で学校生活を送っていた阿部さんにとって、大きく世界が広がった城東高校時代。今まで以上に学業に励みながら、食物部として活動し部長も務めていました。)

 

―高校卒業後の進路はどのように選びましたか?

阿部 大学は東京のお茶の水女子大学に進学し、今は同大学院の2年生です。入試の時には医学科を目指していたのですが、センター試験で微妙な点数を叩き出してしまい、二次試験を医学科にするのはちょっとギャンブル。保険をかけて動くタイプなのもあって、当初医学科ではなく薬学部を考えていました。そんな時お母さんに「薬学部に行ったら薬剤師にしかなれん。今の時点で絞って良いん?」って言われて。私は国家資格だから良いだろうって思っていたんですけど、「理学部行っても教員免許で資格はあるよ」というアドバイスを受けて思い直しました。高校時代から化学の授業がすごく好きで面白いって思っていて、研究や実験もあって楽しそうだし追求してみたいなと。お茶の水女子大学の過去問を一度解いてみたら解きやすかった。それがあったのと、小学生のころから思い描いていた、いつか東京で住みたいという夢が後押しになりました(笑)。少人数だというところも手厚くて、学びが充実しそうだと思い決めました。

(写真/上京して一人暮らしが始まり、何もかもが新しい大学生活。学科やサークルでの友達は大きな刺激をくれる人たちばかり。写真は、所属していたバドミントンサークルでの一枚。)

徳島を出ることに未練はなかったし、とにかく実家を出たかったんです(笑)。もちろん神山も好きで、結果的に東京に行っても休みの度に帰ることになるんですけど、それは出てから気づいたこと。当時は自由になりたかった(笑)。とはいえ、3年ぶりに友達づくりをしなければならなかったり、土地勘もないし帰っても親もいない……。それはやっぱり孤独で、若干ホームシックになりましたね。でも友達ができてからはめっちゃ楽しいです。

(写真/生物化学を専門とする研究室に所属。細胞を使って生体内のタンパク質についての研究しています。)

学んでいるのは理学部化学科。化学の中にもいろいろ分野があって、私は生物化学を専攻、タンパク質の研究です。タンパク質がどういう構造か、どういう働きがあるのか、何に影響を及ぼすのかなどを、大学4年生から大学院まで継続して研究しています。

(写真/いつも私にたくさんの刺激をくれる、大学で出会った友人たち。定期的に集まり夕食を食べることが、今の一番の楽しみ。)

 

―来年、大学院修了後の予定は?

阿部 理化学研究所に就職する予定です。研究職ではなく事務職。研究に携わりながら研究まわりの事務的なこと、派手じゃないけど大事なことを固めていく仕事です。研究は実験する技量があるだけではだめで、出た結果をどう解釈するかっていうのが大切。新しいことを探っていく分野なので、発想の転換とか広い視野をもつ必要があるのですが、私はそうしたことが得意ではないと大学院に進んで思いました。手堅く進めてしまうタイプで、そこの適性があんまりないなって思い始めていた。そういうなかで、理研の募集を知り受けようと思いました。楽しみです。

(写真/大学生のころには、オーストラリア・メルボルンに留学。初めての海外で、とても楽しい思い出ができました。)

 

―今、神山とどう関わっていますか?

阿部 神山には夏休み、年末年始、春休み、ゴールデンウィークと、めっちゃ帰っています。あんなに出たいって言っていたのに(笑)。今の神山に対しては、活性化っていう言葉だけじゃなく実際に形になっているのがすごいなと思います。東中はなくなって少子化が進んでいるイメージは強いけど、退化を放置するのではなく、進化しているように感じます。ニュースや雑誌で神山のことを知っている人も増えましたよね。

 

去年は「助っ人大学生」にも参加しました。大学生が長期休暇を利用して、鮎喰川コモンで小学生に勉強を教える企画です。私たちのころはなかったですが、こういう企画は良いですよね。こういう機会があるから神山に帰れるし、大げさかもしれないけれど少しでも神山に貢献できるのは嬉しいです。

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!

Q: 神山を出て、高校や大学に通って、今思うことはありますか? (中学生)

阿部 上京して一番感じることは”世界が広がった”ということです。この進路を選んで本当に良かったと思える一番の理由は、尊敬する友達と出会えたこと。育ってきた環境が違う友達は、考え方や発想などでとても大きな刺激をくれる大切な存在です。これからも、神山の幼馴染、神山を出てから知り会った高校や大学の友達、たくさんの人々との出会いを大切にしていきたいです。

Q: 休日はどのような過ごし方をしていますか? (中学生)

阿部 東京都文京区という立地の良さを生かして、渋谷や池袋で買い物をしたり、友達と遊びに行ったりすることが多いです。また、実験や細胞のお世話のために研究室へ行くこともあります。

Q: 今の大学を選んだ理由はありますか? (中学生)

阿部 理由の一つは”少人数”という環境に引かれたからです。先生と距離が近くより深い学びができるのではないかと考えました。もう一つは、人生で一度は東京で生活してみたかったから(笑)。期待以上に東京での生活は楽しくて便利なことが多いです。

Q: 好きなこと、得意なことは何ですか? (中学生)

阿部 大好きな友達と遊んだり、お話したりするのが大好きです! 休日に出掛けたり、平日研究室終わりに空き教室でたこ焼きをしたりすることも多いです。好きなアーティストのコンサートにもよく行きます。得意なことは、人に説明すること。これは、大学4年の教育実習の時に生徒から気づかせてもらいました。友達にもプレゼンの資料や発表が分かりやすいと言ってもらえることが多く、自分の得意なことだと思っています。

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
デザイン:白桃さと美
編集部とりまとめ:大家孝文

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やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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