「まちの外で生きてます」#09 阿部剛さん

なんでも2023年1月16日

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投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・白桃さと美・中川麻畝・海老名和、神山町出身の5名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第九回は、阿川出身で今は徳島市で暮らす阿部 剛さん(37歳)に話を聞きました。

 

中学卒業まで、神山での思い出を教えてください

阿部 阿川生まれで、姉と弟の三人兄弟。小さいときは外でばかり遊んでいました。つくしを採って食べたり、ふきのとうで水車を作ったり、竹で鉄砲を作ったりしていました。

(写真/小さいころは、とにかく外で遊ぶことが多かったという阿部さん。)

小学時代、同級生は13人だったかな。毎日サッカー漬けでしたね。二つ上の先輩がサッカーをしていて、それでサッカーを始めました。その下の代の人がスポーツ少年団に入ったので、僕も。最初は中部の選抜に呼ばれても興味なかったし、背番号にもこだわりがなかった。でも、海外のサッカーを見て興味をもちました。トヨタカップでマンチェスターUが勝ったとき、1999年だったかな。それまでは友達とするだけで楽しかったんですけど、今思ったら選抜とか出たら良かったなって後悔していますね。

(写真/神山中学校では、サッカー漬けの毎日。写真は土成中との試合(左が阿部さん)。)

神中を選んだのもサッカー部があったから。中学校の思い出もほとんどサッカーですね。駅伝や陸上もしなかった。いろいろするのではなく、サッカーだけしたかったので。僕の代のサッカー部は十何人いたけど、高校でもサッカーしたのは僕だけです。中学一年生のころからサッカーの推薦で高校にも行きたいと思っていたので、とにかく部活を頑張っていました。中学生活は楽しかったのですが、修学旅行もあまり覚えてないし、神中で恒例の、体育とときに川で泳ぐ授業は嫌だったので一回もしていないです(笑)。厳しい先輩や先生もいたりしたけど、今思えば楽しい時代でした。

 

当時の夢は何でしたか?

阿部 立志式のときは、「立身出世」と習字で書きました。四文字熟語がたくさん書かれた紙が配られて、そこから選んだのですが、海賊王みたいなことですね(笑)。当時の将来の夢は、美容師と料理人。小学校のときはサッカー選手だったけれど、当時放送されていた「ビューティフルライフ」という美容師が主人公のドラマの影響もあったかもしれません。

(写真/神中卒業後に進学した城西高校の体育祭で。高校時代に遊ぶのはサッカー部の友達ばかり。)

 

高校生活はどのように過ごしましたか?

阿部 神中を卒業して、サッカー推薦で城西高校に進学しました。まだ卒業したばかりの春休みには、他校の推薦の子と高校の練習や試合に呼ばれたりしていました。部活では一学年に十何人はいたと思うけれど、春休みから練習に参加していた1年生の三人くらいはすぐレギュラーでした。結構やんちゃな先輩もいましたが、神中出身の先輩がいたのでまぁやっていけるかなっていう感じ。僕、小学校2年から高校までサッカーをして、カードをもらったことがなかったんですよ。これは自慢。フェアプレーの塊ですね(笑)。割と心掛けてはいたかな。

サッカーは高校三年生まで続けました。選手権なので高三の冬まで。結果は全然良くなかったです。僕自身のプレーのピークも高一だったと思います。県ベスト8までいったころ。ヘルニアになったんですよ、練習のしすぎで。その後はどうしても思い切り走れなかったし、思うようにプレーできなかった。でも、一番上手かったのは小学校のときだと思う(笑)。

高校時代は、名東で姉とアパートに住んでいました。神山から通いたかったけれど、部活が終わったらバスがなくなるような時間帯だったので。姉もすでに仕事をしていたので、ほぼ一人。週末も部活なので、神山に帰ることはなかったです。お盆とかお正月にも帰った記憶はないかな。友達ができて、市内の生活が楽しかったというのもあります(笑)。休みの日も部活をしていると、結局遊ぶのはサッカー部の友達。当時は親や神山が恋しいとか思わなかったです。あと、中学時代がすごく楽しかったので、高校は割と冷めていましたね。修学旅行も行かなかったし(笑)。

神山から出たといっても名東なので、あまりカルチャーショックみたいなものはなかった。でも、自分では思わなかったけど、神山弁がすごかったみたいで(笑)。固有名詞が違ったのかな。同級生の間で神山の方言が流行っていきました。
 

―高校生活が終わり、どのように進路を決めましたか?


阿部 具体的には決めてなかったけれど、進学はしたくないって思っていました。高校時代にバイトができなかったこともあって、その反動で働きたいという気持ちが強かったのかな。就職活動の時期、調理師と美容師の二択とは思っていて、学校にくる求人票を見て、美容室の面接に行きました。調理師は、朝が早いので難しいのでは……と担任の先生に言われたような気がします(笑)。今でも調理師はしたいですけどね。料理は小さいときからずっと好きでした。名東に住んでいる間も自炊していましたよ。

そんなこともあって、徳島市内の美容室で働きながら、美容学校で免許を取ることに。実際働いてみると、バイトもしたことがなかったので働くということの基準が分からなかったですね。きつかったと思うんですが、これが今きついのかきつくないのかも分からないって感じ。

(写真/美容師になって初めて指名をもらったお客さんとの一枚!)

そういうなかでも続けられたのは、お店のお客さんにおばあちゃんが多かったっていうのもあります。おばあちゃんには可愛がられていた(笑)。その美容室で働きながら3年くらいで美容師免許をとって、5、6年働きました。そのころ、たまたま店長を探している市内の美容室を紹介されて、それで転職。23、4歳のときです。もっといろんなお客さんの髪を切りたいという気持ちでした。僕のほかに二人スタッフがいるお店でしたが、大きい美容室と違って自分でできる範囲が広いのは良いなと思いました。その店で店長を7年しました。その後、30歳のころにその店を引き継ぐかたちで独立。特に独立する気がなかったので貯金もないし経営の知識もない状態でしたが、やってみようって。自分では特に独立したいと思っていたとは覚えがないけれど、母親が結婚式のときに手紙で「30歳までに独立したいって夢かなって良かったね」って書いていて、そんなこと言っていたのかもなって。独立とほぼ同時に結婚しました。

 

―今後の夢、目標を教えてください。


阿部 今は自分で店を持って7年。方針として、収入よりも時間を優先するようにしている。それを考えるようになったのは独立してからです。前の美容室ではとにかく忙しかったので。独立していれば自分が働いた分だけお金が稼げるけれど、もうそれはいらないかな。それより時間が大事。それは結婚して子どもが生まれて家族ができたことが大きかったと思います。今は17時には帰って、毎日子どもの保育所のお迎えに行っています。9時から17時の8時間勤務。僕が若いときにできなかったことを若い子にはしてほしいと思って、ほかのスタッフ二人も8時間勤務です。時間をずらしてシフト制みたいに。あと、年一回の夏休みをとるようにしています。美容室の世界では珍しいかも。

 

―神山との関わり、今は?


阿部 神山が変わっていることについては、難しいなぁ……。否定も肯定もないけど、変わりすぎるのもやっぱり寂しいと思います。もちろん否定ではないし、誰かが何かをやっていかなければ人が減っていくばかりですよね。複雑な気持ちです。

神山に帰りたい気持ちもありますよ。神山に家を建てようかなと思ったことも。ただ、今の店の場所を考えたら現実的じゃないかな。今後、店を誰かに任せて、自分は違った感じの店をやるのも良いかもしれませんね。美容師をしているのでみんなと休みが合わないのですが、結婚して子ども生まれてからはお正月も帰っていますし、地元の子たちとも遊んでいます。同級生の男の人は神山にいる人が多いし、髪を切りに来てくれる人も多い。10年くらい前までは、阿川でフットサルをしたりと、神山とはずっとつながっている感じです。

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)

 

Q: 学生時代のサッカーのように、今夢中になっていることはありますか?

阿部 釣りとキャンプとオンラインゲームです。

 

Q: 日常生活(仕事も含む)の中で心掛けていることはありますか?

阿部 一日一日後悔しないよう大事にしています。反省する日もありますが、やり直しはきかないので精一杯生きています。

 

Q: 今までで一番幸せだったことは何ですか?

阿部 子どもが生まれてからの毎日です。

 

Q: 中学時代に思い描いていた将来像に今なっていますか?

阿部 思い描いた将来像に近づけるように、現状に満足せず努力しています。

 

Q: 今考える「理想の生き方」はどんな生き方だと思いますか?

阿部 後悔しない生き方ですね。本当に時間は大切で、学生時代の感性も楽しみ方も戻ってきません。一瞬を大切に。

 

Q: サッカーのポジションは何ですか?郡大会や県大会で優勝したことはありますか?

阿部 中学時代はトップ下(攻撃的ミッドフィルダー)とボランチ(守備的ミッドフィルダー)で、高校 3 年間は右 MF(ミッドフィルダー)でした。中学1年のときの郡大会では優勝しました。このときに人生で唯一、ヘディングで決勝点を入れて勝ちました。

 

Q: どんな料理が得意ですか。

阿部 パスタとチャーハンです!それぞれ専用のアルミフライパンと鉄フライパンを育てています(笑)

 

Q: 神山の良いところはどんなところだと思いますか?

阿部 自然ですね。当たり前だと思わずいっぱい楽しんでください!

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
デザイン:白桃さと美
編集部とりまとめ:大家孝文

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やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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