神山町旧役場文書(11)「恤救願ニ関スル書類」

なんでも2010年4月16日

アバター画像

投稿者:稲飯 幸生

-神山町旧村役場文書を読む(その11)-

明治19年~明治21年
旧上分上山村役場文書

恤救(じゅつきゅう)の恤とは「憐れむ」と言う意味です。村が不幸な人をどのように救ったか、ということがこの文書に収められています。

○伝染病救済願
00002831.jpg

村に住む一人の男から「願」が出されています。内容は次ぎのようなものです。
・長女が明治19年8月13日に赤痢病に罹りました。8月20日に死亡しました。
・私どもは貧窮の生活であり、私1人が日雇い稼業で長男・次男に助力させ、妻は乳飲子をかかえて賄方をして露命を繋いでいましす。
・この度長女が赤痢病に罹り、長男に看病をさせていたところ、長男が赤痢病になり、続いて次男、果ては私ども夫婦までも病に冒され、残るは8才の次女と本年生まれの乳飲子のみになるという憐れな状況になり、長女は死亡ししたのです。
・親戚・知人にも援助をしてくれる資力のある人もなく、村役場や他人の救助を仰いでいる状態です。
・そのようなことでこの度、治療費・食料費・予防などに要した金参円四拾参銭の補助を書類を添えお願いします。

明治十九年九月七日
父(氏名省略)
徳島県知事殿

○戸長(村長)奥書

00002830.jpg

・この書類につ調査をすると誤り無く事実と相違無いことが証明できるので明細表を付けて奥書します。
明治十九年九月九日
上分上山村戸長

○県知事よりの指令(朱書)
・願いのことは聞き届け金参円四拾参銭下付します。
明治十九年十一月五日
徳島県知事

○この文書によると本人より県知事宛の請求文書に戸長(村長)が奥書(証明書)を添えて提出するようになっています。本人の文書も自分ではとても書けないので戸長が書いたようです。

○この時代の伝染病の恐ろしさがよく分かります。一家に誰かが伝染病に冒されると、たちまち家族に伝染するわけで、それが地域の隣家にも伝わり、医療設備のととのった現在とは違います。長女は死亡し、家族のほとんどは病気でこども2人のうち1人は乳飲子というと家庭のなかはどうなっていたのでしょうか。

○この頃の貨幣価値ですが、次の記載があります(明治27年)。
・薬代(1人1日分):6銭
・医師出張費(4キロ):5銭
・患者食料費(1人 1日分):4銭
・看病人雇賃(1日):5銭

アバター画像

稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

稲飯 幸生の他の記事をみる

コメント一覧

  • 墓地に小さなお墓が並んでいた理由は、こういうことだったんですね。貴重な資料で、それがよく分かりました。 で、「最近頻繁に起こる子どもの虐待は・・・」とついついグチりたくなりますが、止めておきましょう。

    2010年4月16日 10:09 | 大南 信也

  • 今から、わずか、120年ほど前の話。 まだまだ、実に貧しかった様子が生々しいです。

    2010年4月17日 01:09 | ニコライ

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください