空き家のミカタvol.1 まちの輪郭

住まい2023年6月5日

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投稿者:移住支援センター

 こんにちは。神山町移住交流支援センター吉田です。ようやくvol.1です。今回は家の細部に入る前の立地についてです。 ※今までの連載記事はこちら
 最初のvol.1だろうと思うテーマだったのにいざ書こうとすると非常に難しいもの、年度初めにアップしようと思って書いたのに、今までずっと校正を続けていたという始末・・・。実際に神山に生活する時間が長くなればなるほど、知らなかった土地のことをさらに知っていく、それは際限がありません。(が、そろそろいい加減にします笑)

 神山町移住交流支援センターでは、問い合わせをいただいた方には「神山町に来たことはありますか」とまず訊き、家探しに入る前にとにかく実際に町に来て出来るだけ多くの時間を過ごしてみることをおすすめしています。最初の面談では、旧村が合併して今の「神山」になったこと、端から端まで移動すると国道を車で走っても1時間以上、各集落に行くとなると国道からさらに細い道に入っていくことなどもお話します。

 メディアの情報を見て遠方から来られる方には、まずそこでイメージしていた以上の「広~い神山!!」があると驚かれることがよくあります。そんな中、神山でどんな暮らしをしたいか、あるいは自分の希望する暮らしが本当に神山には向いているのかいないのかも含めて、じっくり考えていくことになります。

 移住を検討するには、物理的な住居だけでなく仕事、教育や医療、日々のお買い物のことなど、いくつかの大きなポイントがありますが、人間が生活する場所はそのどれにも関わる話です。今回の記事では、本来の一回目ということで、空き家を見る時に「家」と「町」が繋がるようなポイントをいくつか挙げてみようかなと思います。

 町外の方、以下で説明もなく遠慮もなく出させてもらう地名(神山の地勢を理解する頻出単語になります!)を覚えてみようと思って読んでみてもらえたら嬉しいです。


■神山町は広い
 1955年に旧五村が合併した町は一口に神山というのは難しいくらい、地域・集落ごとに風景や住環境の雰囲気も違うのです。
旧五村とは、
下から①広野村+阿川村→阿野村 ②鬼籠野村 ③神領村 ④下分上山村+左右内村→下分上山村 ⑤上分上山村

 この話はいろいろな所に書かれていますので詳細は省略します、調べてみてください!まずはこの地区を覚えると、頭の中に地図を作る第一歩になると思います。
町内のどこにいるかによって、天候すらも違ったりしますね。
 ここでその例をひとつ。
 下の写真はこの前の冬、ある日の移住交流支援センターの駐車場、神領の中津です。天気は悪いですがまだ平穏ですね。

さて、ここから車で5分ほど鬼籠野公民館まで走っていったところ、、、

かなり雪降ってました!!吹雪いてはおりましたが、まだここは移動ができる積もり具合。
しかし、この時広野の方に電話したら、家からでれん!!と言っていました。

 移住を検討する時には、病院・学校・徳島市内へ距離感など、交通事情的な判断も大きな要因です。まずは、ぜひ神山をドライブして回ってみてください。


 当然のごとく、ドライブしてみてください。と書いてしまいましたが、車社会です。徒歩や自転車、公共交通のみで生活しようと考えておられる方は、神山生活の中でできることが限られるという現状を実感していただけたらと思います。人の密度と移動方法というテーマ、ですね。
 都会に住んでいると想像しにくいですが、一家に一台ではなく、一人一台(以上)の世界。町内では軽トラ、遠出するとき用にしっかりした乗用車もあり、というような方も。そして、細くて傾斜のきつい道も多い神山、地元の方と話していると「軽四最強!」という言葉がよく出ます。また、四国は南国とイメージされてくる方もいると思いますが、神山は山のまち、冬季は道が凍るのでスタッドレスタイヤで生活しています。

■鮎喰川を把握すると土地勘ができてくる
 町の背骨のようになっているのが鮎喰川です。
 まず鮎喰川の上流ー下流の軸、次に川の南岸か北岸かを把握したら、自分が今だいたいどこにいるかイメージできます。先述、旧五村の紹介で「下から~」と書きましたが、鮎喰川の下流からという意味です。神山の人達は下流の方向を下(シモ)、上流のほうを上(カミ)と言っています。徳島市内や石井町へ行くときにも「シモ行ってくるわー」なんていう会話です。

 山の中の各集落を把握するには鮎喰川に流れ込む各支流を知ると、またさらに頭の中の地図が広がっていきます。

 ここで一つ、川を切り口に、「神山町は広い」というのを感じられる写真3つ紹介してみましょう。
①広野・歯ノ辻の鮎喰川

②上分・川又の鮎喰川

 川又も国道沿いでまだ簡単にアクセスできる地点ですが、鮎喰川上流に行くとこんなに集落の様子が違います。
③広野・雨返の支流
 ここは①と距離的には近いのですが、鮎喰川から支流の集落に入るとすぐ山の雰囲気になってきます。

神山町の地図上での①②③の位置です。


■町の境界
 鮎喰川本流の周辺が神山町の中では低地、そして川の両側に山があり山の稜線が隣町との境界になっています。つまり、神山町から他の町へ出るということは「峠を超える」ということに当たります。峠道を通って神山町から隣町に行ってみるのは、真ん中に山脈のある四国の構造が実感できてなかなか楽しいですよ!

 下の写真は鴨島から神山町に入るルートの一つ、「へんろ転がし」としてお遍路道のなかでも難所と呼ばれる道ですが、昔の人はこうして険しい山を歩いて越えて今の神山エリアに入ってきたのですね。

 実際の日常生活でよく使う徳島市内への行き来は、鬼籠野→佐那河内村へ出るトンネル、広野→石井町へ出るトンネルの二つがあります。
例えば、佐那河内へ出るトンネル、こちらは新府能トンネル。2007年(平成19年)一般供用開始。意外とそんなに昔ではないのですね。二車線の大きな道で、みなさんここは飛ばしまくってます。

 昔の道と比べてみます。
いかにも旧道らしい道をくねくね登っていきます。標高も上がってちょっと心細くなったころ・・・

昔の隧道が出てきました!!1923(大正12)年竣工。土木学会選奨土木遺産ですって。

隧道を抜けたところの佐那河内側の風景です。だいぶ高く上がって山を越えたのですね。(写真が曇りの日ですが・・・)ここはとても美しい集落です!

 今普通に使っている道は近年出来たもの、元々の道を辿ってみると「ここは山のまちだな」と改めて実感します。トンネルによってかなり町の地勢が変わったであろうことが想像されます。


■神山町は平らではない
 傾斜地の中に住む、ということが住環境の多くの状況を決めていると言えるでしょう。「神山町史」の本を開いて見ると、まず最初にこのような図で解説されています。


 裏山を切り取って盛土する。神山は石積みの風景が多く印象的ですね。山林内でも突然に石垣が出てくることがあります。つまり段々の平らな土地を人為的に造った跡、植林前は田畑あるいは家屋があったということが分かります。こうした作業によってようやく家が建てられる土地が得られるわけです。
 もう一枚「神山町史」から拝借します。テーマが多岐にわたるこの本において、厳選された数少ない住居のページに石垣の写真が取り上げられているというのが、なにより町の特徴を物語っているかもしれません。

「傾斜地に家を建てる」ということが根本の理由になって、下記に挙げていくような空き家あるあるの特徴が出てきます。

・家のすぐ裏が石垣に密接
・二階から入ることができる
・土地は広くても家や駐車場・農地として利用できる範囲は狭い
・方角で日当たりのバランスが全然違う
・山の影になるので陽が当たるという意味での日の出日の入りの時間が違う
・車が入れない部分がある
などなど。

 また、一見傾斜が比較的ゆるそうに見える地域でも、地元の方からは、「この場所は昔一度山崩れが起きた後にできた地形の上に集落ができた」というような話が出てきたりします。

 神山の方たちは、傾斜とつき合って生き延びてきた、ということですね。

 ここでお隣り町石井町と神山の田んぼ風景の一例です。
・石井町の田んぼ

・鬼籠野元山の田んぼ

 家を建てる土地だけでなく、営農の条件としてもどうしても段々の小分けの土地になるので、効率的とは言えない中で工夫することが求められます。

 特に都会から問い合わせいただく方の中には、田舎だから日当たりがよく広い土地でしょうとイメージされがちなのですが、実際なかなかそんな土地は無い、神山は「山のまち」なのです!


■山と緑
 空き家を見る時に、どう生計を立ててきたお家なのだろう?と想像しながら見ています。そこに家の特徴が出るからです。古いお家の形態はなんらか農林業に関連していることが多いわけですが、そうすると同じ農業といっても様々、土地の特徴がダイレクトに反映されるんだなあと思います。一口に「山」といっても、地形や植物が違うとそれが家にも繋がってくるわけです。

家からの眺めも違いますね。下の二つの写真は①植林(杉や檜)された山と②広葉樹の山の例です。
①上分にて。

②広野にて。

同じ山といっても植生によって風景は違いますね。「マギヤマ」と「アサギヤマ」というそうです。
 実際、神山町では植林された杉の山が多いです。林業が盛んだった上流に比べると、広野や阿川は比較的植林が少なかったようです。
 昔は陽があたっていたけど、現在では木が成長して家の日当たりが悪くなっているという話も神山でよく聞く話です。

■川の近くに住むかたち
 さて、具体的な家の形態として、川沿いによくある例を一つ。
上分川又の商店街、二階建ての家が並んでいます。

ここを川側から見ると・・・

3階建てみたいですね。

地下の階(川からみると一階)の様子。川に向かって土地が下がっているので、中に石垣が見えていますね。

 ちなみに、川の近くでなくても傾斜が大きい立地だと、一見2階建てで反対から見ると3階建てというお家はよくあります。それが納屋の場合、一番下が牛小屋になっている例がよく見られます。

■道
 移住交流支援センターでの空き家紹介は現地案内のみとしています。その理由の一つが、家に至るまでの道のりを体感してほしいから。時には車の入れない家があったり狭い幅の道も多いです。

こんなに細い道、ドキドキしますね。でも地元の方々は大きな乗用車も器用に入れていたりします。

こちらのお家は車が入れないので、徒歩で行きます。

 家へのアクセスは空き家を案内していても多くの皆さんが懸念される点です。
 でも神山の光景で私が個人的おすすめは「旧道」、集落ごとに様々に神山の生活が映し出されている道はとても魅力的です!


 人間社会は地勢の特徴にしたがって出来上がってきたのだなあと感じますね。中山間地域は現代人には住みづらい面も多いですが、そこを分かっておくと個人としても社会としても、暮らしが楽しく持続的になるヒントがあるのかなと思いました。
 空き家を見ていて、なんでこうなっているんだ!?と感じることも、土地が分かるとなるほどと腑に落ちる、そういった繰り返しがおもしろいところです。

 神山の土地についてなどとは偉そうに言いづらい入門編な記事ですが、ご興味のある方はさらにいろいろと調べて、そして何より実際に訪れてみてください。

 移住交流支援センターのある神山町農村環境改善センターや旧広野小学校には「ほんのひろば」があり、たくさんの郷土資料も借りて読むことができますよ!こんなに内容の濃い資料をまとめられた先人方の郷土愛と熱意には尊敬するばかりです。今回の記事でも改めて町史をたくさん参考にさせてもらいました。

  
 その中から一冊ご紹介、ほんのひろばメンバーに教えてもらって気に入った本はコレです。コンパクトにまとめられていますが暮らしの風景が浮かぶような文章でイメージが膨らみます。これは昭和35年に書かれたものです。今の町には見えづらくなっていることもありますが、そんな時間軸も含めて神山を探訪するとさらにイメージが膨らんでいきますね。神山を掴む第一歩にはおすすめです。

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移住支援センター

物件紹介から交渉、契約、地域への順応支援にいたるトータルサービスを提供。 「こんなところに住みたい」という移住希望者の要望と、「こんな人に来てほしい」という所有者や地域住民の仲介役を果たします。 「これがダメなら、あれはどう?」というような不動産屋さん的な対応はしません。 最適で、最善の組み合わせを実現するため、一件一件に時間をかけます。 家探しには忍耐が必要です。その忍耐力をお持ちかどうかも、マッチングの大きな要素となります。

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コメント一覧

  • 内容が濃いので、書くのに半年くらいかかります。納得します!「稲飯幸生」先生はユーモアがあり、素晴らしい人でした。 生前は改善センターによく遊びに来て頂き、職員を笑わせてくれました。教養はそこはかとなく知れましたが、本も書いているとは存じませんでした。

    2023年6月8日 22:56 | 河野公雄(ニコライ)

  • ニコライさん、 いつもコメントありがとうございます。励みになります。 稲飯幸生先生のお話が聞けるなんて!素敵な時間ですね!うらやましいです。

    2023年6月16日 09:08 | 移住支援センター

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