「まちの外で生きてます」#14 粟内佑紀さん

なんでも2023年11月15日

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投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十四回は、広野出身で今は岡山で暮らす粟内佑紀さん(31歳)に話を聞きました。


―小さいころの神山での思い出を教えてください。
粟内 広野出身で、家族は祖母、父、母、私、妹、弟の6人家族です。小さいころの遊びといったら、川、川、川。家の近くに阿野橋という橋があって、そこが一番の遊び場所でした。小学校三年生から少女バレーをしていたので、放課後はずっとバレー。あと、習い事でピアノや硬筆・習字、金管バンドなど、やれること全部やっていました。金管バンドは広野だけなんですかね。いろいろやっていたので、平日は何かしら習い事がありました。バレーを始めたきっかけは、運動がもともとすごく好きで、広野は少年野球と少女バレーがあったのですが、先輩たちがしていたので私も早くバレーがしたい!みたいな。始められる三年生になってすぐ始めました。楽しくて仕方なかったですね。そこから完全に体育会系に。

(写真/2歳頃の粟内さん。近所の川へ向かう道で撮った一枚)

粟内 今、ウェディングプランナーの仕事をしていますが、実は小学生のころから、将来の夢はずっとプランナー。小学生のとき、親戚の結婚式でベールもつ役をしたんです。それで花嫁さんを見て良いなぁって、式を体験したのがきっかけです。「プランナーっておもしろいよ」という母からの一言を聞き、それからブライダル一本! 小学校一年生くらいのときだったと思います。それから、学校の作文など、将来の夢を書くときは全部プランナーと書いていました。でも、実際にプランナーが何をするなどは全然知らなかったです(笑)。でも、ウェディングが良いと思って、それに携わりたいと思っていました。

粟内 当時の広野小学校の同級生は17人。幼稚園から中学校までメンバー変わらず。割と仲が良かったと思います。メンバーが変わらず上がった神山東中学校では、部活一色。バレー部は、駅伝部と陸上部も掛け持ち。そんなに好きではなかったけど、駅伝と陸上はバレーのためにやっていました。高校に進学してもバレーを続けたかったので、駅伝をやっていたら体力がつくと思い、そのために長距離を走ろうと……。全部「バレーに生かせるかも!」というくらいバレーが好きでしたね。でも中学校のバレー部は、人数ギリギリ。私の学年では一人だったんですよ。学校行事で覚えているのは、修学旅行。沖縄に行ったのですが、17人と担任と教頭だけだったので、結構ゆるくて楽しかった思い出。あとは……、毎日平和でした(笑)。部活や近所に仲良い先輩がいて、部活もずっと年上の人と一緒だったので、遊ぶのは先輩が多かったです。

(写真/中学のバレー部は学年で一人だったけど、先輩たちと毎日練習に明け暮れた)


―将来の夢が決まっていて、進路はどのように選びましたか?
粟内
 進路は、バレーが強いところを選び城南高校に。春休みからバレー部の練習に参加していて、バレー部内はもう仲が良かったので、入学時には何の不安もなかった。でも、部活が「恋愛禁止」「間食禁止」「お菓子禁止」だったので、高校生活は終わったなって思っていました(笑)。週一回、体重や体脂肪を測って記録していました。でもバレーを頑張るため、「もうしゃーない。やるぞ」って感じです。強い部だったので、最初、他校から来た子たちと実力の差を感じたけれど、やっぱり陸上や駅伝をやっていて体力もあったし忍耐力もあったので、三年ではその差はほとんどなかったと思います。

粟内 土日も部活。朝3時間は自習時間で、お昼ご飯を食べてその後バレーの練習。顧問の先生が、「バレー部で頭が悪いのはあかん」という文武両道のタイプでした。自然と勉強もできるし、バレーの練習もできる。というか、せざるを得ないっていう……。神山の実家から通っており、部活のために親と祖母に途中まで車で送ってもらって、自転車で通っていました。本当に感謝ですよね。三年生の大会では、県の決勝で負けました。めっちゃ悔しかったです。インターハイの予選が6月に終わり、その後の四国大会で引退。夏休みに部活は終わりました。二年生のクラスが結構賢くて、先生も厳しかったおかげで成績が上がり大学進学も考えるようになったこともありました。でも結局は、大学よりブライダルの専門学校に。諦めきれない。こんなに思い続けているので、やらないと後悔すると思いました。それで大阪の専門学校に進みました。

(写真/日常はほぼバレー。部活の仲間たちと撮った写真の最前が粟内さん)

―初めて徳島から離れてどうでしたか?
粟内
 大阪で初めての一人暮らし。毎日が楽しいですよね(笑)。私は、専門学校の夜間コースに通っていました。午前中は、自分で希望して学校が提携するホテルで現場経験を積み、夜は授業。忙しかったけれど、めっちゃ楽しかったです。座学が苦手なので、現場の方が向いていたのかもしれません。授業では、ビジネスマナーやパーソナルカラーなどを勉強したり、ウェディングの知識や婚礼料理について学びました。着付けなんかもやりますが、現場に出ていることもあって、割と知っていることが多かったですね。現場は楽しいのですが、考えることが多かったかな。教科書に書いてないことがいっぱいあり、それが勉強になった。そういった忍耐力は、バレーと陸上、駅伝の経験が生きていますね(笑)。

(写真/専門学校の夜間部で、ハードなスケジュールを耐え抜いたクラスの皆と。写真の前から二列目、左から二番目が粟内さん)

粟内 専門学校を2年で卒業後、最初は神戸で就職。プランナーと一言で言っても、営業のプランナーと、実際に式まで見られる現場のプランナーが違うということを知りました。私は両方やりたかったから、分業するホテルではなく、両方できるゲストハウスを受けました。最初の職場では2年働きました。最初なので教えてもらうことがメーンで、担当は数えるほど。でも本番を迎えると達成感がありました。でも、人間関係にちょっと悩んだことがあり、退職して大阪の保険会社に転職。そこで1年半くらい働きましたが、私には合わなかったですね。お給料は良いけど、ちょっと違うかなと。そう思っていたとき、神戸で一緒に働いていた後輩から「ブライダルに戻らないんですか?」と連絡がありました。「あるホテルの部長が粟内さんに絶対合うから行ってみて」と紹介され、受けに行ったらそのまま採用に。保険会社を辞めてホテルのブライダルに戻りました。そこは完全分業で、私は営業のプランナーだったので、担当指名があったら現場も担当。このホテルでの経験が、私のブライダルの転機になりました。27歳くらいまでいたのですが、若い割にはいろんな仕事をさせてもらいました。ゼクシィの誌面の構成担当をして集客マーケティングや広告用の撮影など。そこからはどんどんのめりこんでいきましたね。今まで知らなかったブライダルの仕事も知りました。私にとって結婚式本番は栄養ドリンクみたいな感じ。お客さんも喜んでくれるし、もちろん自分自身の達成感も。

(写真/これまでに粟内さんが手掛けた、広告撮影のためのコーディネート)


粟内 あるとき、転職のきっかけになった部長が別のホテルに異動になって……。私、その翌日に辞めますって言いに行ったんです(笑)。本当にめちゃくちゃ尊敬できる人だったので。私の強みを見て、引き上げてくれる。だから楽しく頑張れました。「こうやって人は育てられるんやなぁ」って思いました(笑)。その部長に、辞めることを伝えると、「次はゲストハウスに行って、人材育成をしたらどうか」と言われました。そこで次は岡山のゲストハウスの立ち上げに参加することに。立ち上げとはいえ、担当を持って基盤をつくるくらいだったのですが、本番もプランナーとして入れるため、最初から最後まで見える良さがありました。ここで新店舗に関わる機会があったので、チーフになった際には横浜の新店舗の立ち上げに携わることができました。

(写真/ブライダル人生に大きな影響を与えてくれた、前職の部長)

粟内 プランナーの仕事は、いろんな立場の人の感情を感じられて、人間的にたくましくなれる仕事。どんなプランナーでありたいか、今までいろいろ考えていたのですが、最近はお客さんと楽しくできれば良いかなと思うようになりました。私がお客さんを好きで、お客さんも私が好きで、それで楽しければ良しということに行き着きました。今年からフリーのウェディングプランナーに。岡山や関西で活動しています。

(写真/ゲストハウスでの可愛い元部下たち。写真の後列、真ん中が粟内さん)


(写真/結婚式が終わった後、プライベートで仲良くしているお客さんもたくさん。写真の左が粟内さん)


―今の粟内さんにとって、神山はどんなところですか?
粟内
 私の仕事は神山でできる仕事ではないかもしれないけど、落ち着ける、帰れる場所。帰ったときは、実家でゴロゴロするか友達に会うか。最近は、町外の人にも神山のことを知ってもらう機会が増えて良いなというのは、純粋に思います。移住してきた人もちらほらいますが、あんまり実感はないですね。神領とか"奥"の方で起こっていることという印象。でも頑張ってほしいです。今の目標は、仕事を軌道に乗せること。プライベートで犬を飼い始めて、それが私の癒し! ボストンテリアのKONAです。今はこの子のために働いています!

(写真/粟内さんの愛犬、KONA。11月13日で1歳に)

 

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(大学生)

Q:学生時代にやり残したと思うことはありますか。
粟内 もっと勉強しておけば良かったと思います。数学や理科が仕事に直接役立つ訳ではないですが、一般教養として知っておくことでお客様との会話の幅も広がるので、大嫌いだった勉強ももう少ししておけば良かったです。

Q:転職をするときやフリーに転身するときに不安はありませんでしたか。
粟内 不安だらけでした! でも、ありがたいことに今まで一緒にお仕事をしてきた方たちに助けて頂いて、何とかなってきているので本当に感謝しています。

Q:仕事をするなかで一番大切にしていることは何ですか。
粟内 自分が元気で楽しくいることです! 自分が happy じゃないと他人のことなんか幸せにしてあげられないです(笑) 。不幸そうな人よりも幸せオーラのある人と結婚式したくないですか(笑)? お客様だけではなく、一緒にお仕事をするパートナー企業様に対しても同じです!

Q:仕事以外でハマっていること(趣味等)はありますか。
粟内 かわいいかわいい KONA たん(愛犬)がやってきてからは、KONA たんと一緒にお出掛けをしています♡ 友達と遊びに行くのも飲みに行くのも買い物するのも好きですし、最近はキャンプも行くようになりました。

Q:粟内さんにとって神山の 一番の魅力は何ですか。
粟内 帰りたくなる場所です。実家だからというのもありますが、自然が豊かで山も川もあって、本当に落ち着ける所だと思っています。特に KONA たんが来てからは、一緒に帰ると川や、近くを走り回れるのでさらに良さを感じています。

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文 


 

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やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

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