「まちの外で生きてます」#15 笠原直人さん

なんでも2024年1月15日

アバター画像

投稿者:やままち編集部

〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。

「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。

紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。

町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第十五回は、鬼籠野出身で今は滋賀で暮らす笠原直人さん(24歳)に話を聞きました。


―小さいころの神山での思い出を教えてください。
笠原 鬼籠野出身です。僕が小さいころは元山のあたりに同級生や近い年代の人はいなかったですね。母はずっと仕事をしていたので、基本はじいちゃん、ばあちゃんと遊んでいました。下分保育所の後、神領小学校に通うようになって同級生は20人くらい。でも家が皆とめちゃくちゃ離れていたので、放課後一緒に遊んだりはできなかったです。家に帰ってきてからは、じいちゃんとばあちゃんと一緒に山や畑に行っていましたね。金槌と鋸をぶら下げて……(笑)。木登りしたり、木で武器のようなものをつくったりして、野生児でした(笑)。

(写真/祖父母の畑仕事の手伝い(?)をしていた2歳頃の笠原さん)

笠原 小学校に入ってからは、鬼籠野小学校の前からバスが出ていてそこに集まって皆でいくんですが、そもそもそこまでがめちゃくちゃ遠いので、車で送ってもらっていました。もはや家から直接車で神領小学校まで送ってもらった方が早いんですけどね(笑)。バスで行くといっても、同級生はいなくて、別の学年の何人かと一緒に。

 

笠原 小学生のころはずっとサッカーをやっていました。一年生のときから阿川FCに入っていたんですが、三年生のときになくなってしまったので石井にサッカーに行っていました。阿川から来ている子もいましたけど、サッカーのおかげで石井にも友達ができました。なんでサッカー始めたかっていうと……。小学校って持久走大会であるじゃないですか? 一年生のとき2位になって、それが悔しくて鍛えようって!(笑) 親に何か運動をさせてほしいと頼んで、一番走る量が多そうなのがサッカーだったのでサッカーに。そこから小学校三、四、五、六年の持久走は全部ぶっちぎりの1位! というわけで、最初はサッカーがしたかったわけじゃなくて持久走で1位になりたかった。あと野球は坊主のイメージがあったのでそれもあんまり……(笑)。でも途中からはサッカーは面白いなって思い始めました。週に四日行っていたので、気づいたら生活の一部。当時、石井はベスト4に入るくらい強くて。そのなかでレギュラーでずっと試合にも出て自分が活躍できていたから、余計楽しかったですね。

(写真/小学生時代はサッカーに夢中。毎日ヘトヘトになるまでボールを蹴っていました)

笠原 当時の将来の夢は学校の先生。勉強とか、友達に教えたりしていて楽しいなって思っていたんだと思います。でも低学年のときは無難にサッカー選手と言っていたかもしれないですね。

中学校のときはどんな学生でしたか?
笠原 進学した神山中学校はサッカー部がなかったんです。ここが、結構自分の転換期。中学一年生のとき、家族の都合で徳島市内に引っ越すことになりました。そこで、転校して市内の中学校に通うか、市内から神中に通うかの二択を与えられました。サッカーをやりたかったら市内の中学校に転校するという方法もあったんですが、僕は今までの友達とおりたいって思って神中に残ることを決めました。母が道の駅で働いていたので、朝来るときに送ってもらって。で、神中ではとりあえず野球部に。「坊主にしろ」って言われたんですが、断りました!(笑) 前代未聞だったらしいです。坊主にしたら野球が上手くなるんかなって……(笑)。実際、野球もやってみたら楽しかったですよ。そのときに野球をやったからこそ、今野球はめっちゃ好きです。

笠原 部活もあって放課後に神山で遊んだ思い出はないですが、土日は基本元山のじいちゃん、ばあちゃんの家で過ごしていました。ハイブリッドな生活ですね。市内に住んでいたとはいえ、平日はほとんどいないので神山での生活との違いはあまり感じなかったけど、コンビニが徒歩圏内にあるっていうのは革命でした(笑)。中学生活で、文化祭は思い出深い。僕、生徒会長で、文化祭ではリーダーというかまとめ役をするんですが、それは頑張ったなって感じです。司会などして一番目立ちました(笑)。生徒会長をやろうと思ったのは……、僕しかおらんやろって(笑)。皆の前でいろいろをするのは好きな方だったと思います。

(写真/神中際の集合写真。走って、踊って、歌って、とても楽しかった思い出。)

笠原 立志式では、航空管制官になりたいと発表しました。理由は、当時やっていたドラマ「TOKYOエアポート」。飛行機も好きだったし、指令しているのが格好良いなと。英語を使っていたので、こんな風になりたいと思いました。ドラマがなかったら知らなかった職業かもしれないです。英語はすごく得意というわけではなかったけど、中学校二年生の夏にイギリスのマンチェスターに二週間くらい行ったこともあって、そこで英語には結構触れましたね。向こうでは、現地の人とサッカーをしたり、それも楽しかった。

その後、将来のこと、進路のことで考えていたことはありますか?
笠原 とはいえ、将来どんな仕事をしたいかはそれからいくつか変わって。でも、高校進学の際には家から近くて、大学進学も考えていたので普通科で……と考えて城南高校に。サッカー部に入りました。中学三年間やっていなかったけど、その前に六年間やっていたので基礎はありました。高校の一学年に人数が多い状況は衝撃的でしたね。カルチャーショックで熱が出ました(笑)。部活も勉強も頑張った思い出です。

笠原 高校生のときは、夢がまた戻って先生になりたいと思うように。それで大学受験の際は、教育学部などを探していました。ただ、ある日、父と喋っていて「直人は教師になりたいのか、それとも“教える”ことをしたいのか」って聞かれて。僕はどちらかといえば、教えることに楽しさを覚えていたので、そう話したら「じゃあ先生じゃなくても、教えることはいくらでもできるぞ」と言われました。そこから先生ではなく、幅広く探してみようと思うようになったんです。一回リセットして、じゃあ何に興味があるかなって考えたとき、高校生のころからやっぱり皆に健康であってほしいという思いがありました。それで、そのプロフェッショナルというか人にアドバイスができる専門家になりたいと見つけたのが、立命館大学のスポーツ健康科学部です。自分の地域の周りの人も結構糖尿病の人が多くて、自分の家族や近しい人にもこうなってほしくないというのがあったんですよね。それでスポーツ健康科学部に進学。

笠原 スポーツ健康科学部は、大まかに分けてアスリートの競技力向上のためのトレーニング支援の専門性を得るっていうところと、健康科学部で人々の健康維持増進するための運動 とかを勉強するという二つがあります。僕は後者。今、大学院二年生で、研究の内容は主に動脈硬化予防について。卒業後は徳島の製薬会社に就職する予定です。健康増進に貢献している会社というところで自分にとっても身近なところを選びました。

(写真/実験風景を撮影したもの。超音波を使って動脈の柔らかさを測定しているところ)

(写真/大学時代は短期留学で、カナダ・バンクーバーに)

今、神山についてどんな風に見ているか教えてください。
笠原 神山には3、4カ月に一回は帰っています。帰ったらじいちゃんとゴルフ。じいちゃんはずっとゴルフが好きで、僕にもやらせたいと5歳のころから小さいクラブをプレゼントしてくれ、始めました。あと、帰ったときは地元の友達と絶対ご飯に行きます。いつ帰るから集合!みたいな。市内に行くか、あとは寄井のやまびこ。神山が高専のことなどで全国的にニュースで取り上げられるようになったら、大学の友達にも「神山って直人の地元?」と言われましたね。神山は昔と全然イメージが違う。このまま衰退してしまうんかなって思っていたので……。なので嬉しいです! いつか神山に戻るかどうかという話はじいちゃんとしたりします。農家なので誰が継ぐかといった話題が上がるんですが、「直人は外に出ていくやろ」と言われています。なので、言われた通り、いろいろチャレンジして羽ばたいていきたいですね!

(写真/5歳からゴルフを教えてもらって祖父と初めてコースを回ったときの一枚)

 

インタビュー・文:大南真理子


質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中学生)

Q:中学生活で一番の思い出は何ですか。
笠原 神中祭の出し物で、全力のダンス(おどるポンポコリン) をしたこと。恥ずかしかったけど、本当に楽しかったです。皆も中学生活の思い出を写真としてずっと保存しておいてほしい。10年後に友達と見返して、その時のことを語ることが何よりも楽しいと感じる時が来ると思います。

Q:中学生活でやっておいた方が良かったと思うことはありますか。
笠原 英語の勉強かな。研究をしていると、英語で書かれた論文を読んだり、英語で学会発表をしたりするので、今から英語の勉強を頑張ることでキャリア選択の幅が広がると思います。

Q:なぜ今の大学を選んだのですか。
笠原 高校時代から、すべての人の健康を守りたいという気持ちがあったから。運動は一番簡単でほぼすべての人ができるし、健康の維持増進に効果的な運動を専門的に学びたかった。今いる大学は、施設が充実しているし、実績がある学校だったから。

Q:大学と大学院の違いは何ですか。
笠原 大学は専門的知識を学び深めるところで、大学院は研究をするところです。研究は今分かっていないことを明らかにしたり、今教科書に載っているような知識をアップデートしたりすることです。

Q:どのように勉強したら身につきますか。
笠原 一番身につく勉強法は、人に教えること! 勉強したところを友達に教えると、知識の定着につながる。自分でしっかり理解していないと、人に教えるのは難しいと思うので、友達に教えられるようになるまでしっかり理解することが大事です。

Q:上手くなるために良いトレーニングはありますか。(野球部、駅伝部)
笠原 野球や卓球部には、瞬発的に強い力を発揮するトレーニング(プライオメトリクストレーニング)がお勧め。長距離選手は、心拍数を最大まで上げてしっかり追い込むトレーニングを定期的に取り入れることが効果的。ダラダラとジョギングをしていても体力は向上しづらいので、最大負荷の運動を取り入れるべき。ただしトレーニングのし過ぎには注意してください!

 

Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文 

アバター画像

やままち編集部

やままち編集部は、神山町出身の5名(大家孝文・大南真理子・白桃里美・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)

やままち編集部の他の記事をみる

コメント一覧

  • 現在、コメントはございません。

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください