松本定夫さん – 鮎喰川コモンとの出会いからうまれた「生きがい」

なんでも2024年4月4日

投稿者:donanzo

(みんなでどなんぞしちゃげんで)

『生きがい』とはなんでしょうか。
そう考えるきっかけをくれた方がいます。

松本 定夫(まつもと さだお)さん、90歳。
松本さんと鮎喰川コモンの出会いは、今から三年前。
散歩コースの途中にある、コモンのベンチで休憩されていた時。
「もし良かったら、中で休憩していかれませんか」
と声がかかりました。
それが、松本さんとコモンスタッフの初めての触れ合い。

なんだか、心地いい。家にいるようだ。
そう感じた松本さんは、時折コモンへと足を運ぶようになりました。
移住をしてきたスタッフに、神山の昔のお話をしたり。
あるときは、遊びに来ていた子どもたちに昔のお札を見せてあげたり。
スタッフが「今年のコモンのお正月飾りをどうしようか」と悩んでいたので、せっかくなら、と神山に古くから伝わる松飾りのもなかを持参し、飾る方法を教えたこともあります。
「手の届かない天井の付近に埃がたくさん積もっているけれど、どう掃除をしたらいいんだろう」
そんな呟きを拾って、煤払いの道具を手作りして贈ったこともありました。

そうして、スタッフをはじめとしたコモンで出会う皆さんとお話を重ねていくうち、松本さんの中で次第に強くなる想いがありました。
『自分がこの人生で培ってきた知識や技術を、後世に伝えたい』
その想いは、不思議なほどの縁を繋いで広がってゆくこととなります。

「昔は、石井まで歩いて行き、帰ってくるまでに草履が三足必要でな」
と松本さんがふと口にした話題に、スタッフ達はとても驚きました。
「三足も必要なほど、険しい道のりだったんですね。小学生の頃に草履を自分で作っていたなんて想像もできない…。」
「草履って、一体どうやって作るんですか?実際にやってみたいなぁ!」
「じゃあ、やってみようか」と松本さんが答えて。
コモンで初めての、草履作りが決定したのでした。

そうして昨年の秋のこと。
松本さんに教わりながら、皆で藁草履を作りました。
縄を綯(な)うところから教えていただき、10時間かかってようやく、一足が完成。
「嬉しい、できた!大変でも、ちゃんとできた!」
その一言に、
『この企画をしてよかった。これからも、こんな風に、誰かに伝えていきたい』
松本さんの中でそれは、生きがいとも呼べる想いとなっていきました。

後日、藁草履作りの感想を話し合ううちに、
「他には何で作ると面白いかな?」「ビニール紐だと簡単かな?」と話題が広がっていきました。
そして「……そうじゃ、竹の皮じゃ!」と松本さんが思い立ち、
次の草履作りが決定したのでした。

2024年3月、本番当日。
松本さんによって習字で書かれたイベントのチラシが、参加者をお迎えしてくれました。

ピッ!と小粋なクラクション。
車に乗って、颯爽とコモンに来られた松本さん。
その手には、追加で用意していた、たくさんの竹の皮。
「今日は、初めての人も多いじゃろうから、長めがええかなと思っての」
短いものは、継ぎ足しが多くなってしまって、作るのが難しいかもしれない。
参加者の顔ぶれを想像し、先を取るように準備をしてくださったその表情は、いつもよりも凛々しく見えました。

「今日は全部で何人来る?」
「芯にするビニール紐は今の内に切っとこう、端も結ぶけんな」
松本さんから、しっかりとしたお声で、段取りの指示が飛びます。

「さっ!いくぞ!」
そんな威勢のいい掛け声とともに、いよいよ草履作りが始まりました。
今日は、秘密の道具もあります。
足を伸ばしているのが少しお辛い松本さんが自作した、草履の芯となる部分に使うビニール紐を掛ける台。
本来は足の指にかける役割を、こちらに担ってもらいます。
まずは、松本さんのお手本を、参加者が皆、まばたきを忘れてじっくりと観察。


「あ、なんか松本さんのようにならない……。どうしたらいいんでしょう?」
「そこはな、広げすぎと思うくらいでええけん、しっかり広げるんよ。そうそう、できよる」

ひとりひとりの躓いたところを、松本さんがサポートしながら説明していきます。
気が付けば、松本さんのお隣が皆の特等席になっていました。
丁寧に、着実に、でも自分の力で、たどり着けるように。
松本さんの言葉の端々から、そんな想いを感じます。

「竹も、草履に向くのは破竹と真竹やけんの。孟宗竹はいかん、大きすぎる。美味しいけどの」
「竹の皮は、水に先に漬けといて柔らかくせんとな、編むときに割れてしまうけんの。それから、しっかり水切りしてから編むんじゃ。」
「昔は皮をとってから、三年くらいはしっかり乾燥さして保存して使ったなぁ」

合間に、ぽつりぽつりとその経験と知識を参加者に話してゆく松本さん。
優しい声色を聞きながら作業する皆さんは、とても深く集中していて。
「まるで瞑想をしているみたい」そんな言葉も聞こえてきました。

戸来 陽子(へらい ようこ)さん。今回、松本さんとともに草鞋作りをサポートしてくださいました。

河野 誠敬(かわの のぶたか)さん。鼻緒を拵えたり、松本さんと同じく秘密の道具を作ってくださいました。



3時間ほどかかって、松本さんの指導の元、参加者全員が片足分の草履を完成させることが出来ました。
はじめは『本当に完成するのかな?』と不安げだった表情が嘘みたいに、皆、晴れやかに。
自身の初めての草履を大切そうに手に取って、見つめたり、誰かに自慢をしてみたり。
「できた、できました!本当に、丸くなって、草履になった。ちょっと小さいけど、それがまた格好いい。できた、私の草履」
揚がる歓声を聞きながら、本当に幸せそうな松本さんの笑顔。
温かな視線から『みんなやりきった、ようやったな』そうおっしゃっているような気がしました。

松本定夫さんが、知識を、知恵を、技術を、そしてその人生を伝えていくこと。
それはいつしかご自身の『生きがい』となり、
今回参加してくださった方々のみならず様々な人を巻き込んで、緩やかに、確かに、繋がっていくことでしょう。


『生きがい』とは。
年齢を重ねていくことで『暮らし』が受動的になってしまいがちですが、
ほんの小さなきっかけで誰かに貢献したい、と、能動的な意欲に繋がること。
それはもしかすると、誰しにも起こりうることなのかもしれません。
松本さんが鮎喰川コモンのスタッフと出会えたことによって、世代を超えた温かい関係が生まれています。
『後世に伝えたい』という松本さんの願いも、三年という時間をかけて様々な形で伝えられてきました。
今回、松本さんの鮎喰川コモンとの三年間を振り返り、私たちは多くのきっかけをこの町の中でたくさんつくっていきたい。
そんな想いを強くしました。

最後にもう一つ、大変興味深いエピソードがあります。
冒頭でも触れた、松本さんのお正月飾り。

もなかで作られたその飾りが、実は朽ちてきてしまっていて。
今では町の商店でも売られておらず、このままだと、伝統が、失われてしまう。
なんとか、残せないか。
考えたコモンスタッフは、コーダー道場を主催する本橋さんに相談しました。
「それなら、本物そっくりにずっと残すことができる、3Dプリンターで再現するのはどうでしょう?」とご意見をいただいて。
現在も試作を繰り返しながら、飾りの保存に取り組んでくださっています。

こうして松本さんの想いが、ただ伝承されるだけではなく、現代の技術を利用して守り、育てられていく。
ある場を起点に多くの人が関わりながら『人』と『知識』そして『技術』の継承が緩やかに、けれども確かに行われています。


本イベントは、生活支援体制整備事業(※)の活動の一環で行われています。
※生活支援体制整備事業とは、高齢になっても、すみ慣れた地域、そして自宅で、生き生きと最期まで暮らすことができる、そんなまちづくりを行っていく事業です。この事業の企画運営は、現在、神山町地域包括支援センターから神山つなぐ公社が委託を受け、行っています。

主催 / 神山町生活支援・介護予防サービス提供体制整備推進協議体
写真 / 植田 彰弘
文章 / 安友 優子
 

donanzo (みんなでどなんぞしちゃげんで)

生活支援体制整備事業(※)では、「みんなでどなんぞしちゃげんで」を合言葉に、年を重ねられた皆さんはもちろん、大人も、子供も、住み慣れたこの町で、元気に活き活きと暮らしていけるように、この町で暮らすみんなで取り組むまちづくりを行っています。 (※)生活支援体制整備事業は、神山つなぐ公社が神山町地域包括支援センターから委託を受け、企画運営を行っている事業です。

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