神山町旧役場文書(15)「上分楽隊②」

なんでも2011年6月7日

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投稿者:稲飯 幸生

上分小学校の楽隊(続き)上分小学校に楽隊が編成された(大正8年)ことは前に書きました。その続きを書きます。( →上分楽隊①はこちら。)

この楽隊編成に刺激されて近隣の小学校に楽隊が編成されました。その状況は次のような状況でした。

まず、神領小学校の状況です。神領村誌(昭和35年刊)には次ぎのように書かれています。

「楽隊及び理科器具の購入」という表題で
「備品購入について村内有志から最高10円、最低1円の寄付を募集することに決定した。教職員は村内各地域を分担して有志宅を訪問し寄付金を募集した。総計624円集まった。日浦校長と外1名のものが大阪市へ出張して楽器を購入した。
クラリネット外19点(合計499円)と外に楽器入箪笥(45円)を購入した」とあります。
寄付集めは先生方の責任とし、先生方は各地方を回って寄付を集めたのです。

次ぎに下分小学校の状況です。「下分小学校沿革史」には次ぎのような記録があります。

「大正12年10月30日、楽隊楽器完成。
既往の楽隊器具ノ外、左ノ通リ新ニ調整購入シテ楽隊ノ完成ヲミタリ。此ノ経費200余円也。
トロンボーン・・・1個
クラリネット・・・1個
バルトン・・・・・1個
コルネット・・・・1個
外ニ譜面台・・・・2個
創立当年度ノ楽手左ノ通リ
楽長・クラリネット (男性教師)
コルネット (男性教師)
ほかにバリトン・コルネット・トロイボーン・大太鼓・小太鼓は男子児童ガ演奏」

徳島県下の音楽隊については次のような状況でした。
吹奏楽団については19世紀の後半に各地のキリスト教会などで簡単なバンドが編成されたといわれています。日本へは幕末から明治の初め頃、洋楽が入ってきています。薩摩や長州など当時の雄藩は外国人の指導によって少人数の楽団が編成されたという記録があります。日本の学校教育に利用された時期については不明です。徳島県内で最初にブラスバンドを編成したのはどこでしょうか。

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稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

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コメント一覧

  • 見出し写真。 楽団編成にも、どことなく、明治人の気骨が感じられます。

    2011年6月10日 01:15 | ニコライ

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