「助っ人大学生」は、ふるさとを離れても新しい発見をくれる活動 ーまち出身、まちと関わり続ける若者たちの現在地(下)
なんでも2024年11月26日
神山町出身の若者たちが、まちとの関わり方を少しずつ変えています。
特集第2回では、町外に住みながらまちを元気にするイベントを企画・運営する10代・20代の若者たちを紹介します。
今回は「助っ人大学生」として活動する2人に、オンラインで話を聞きました。
「助っ人大学生」は、大学生が夏休みに小学生の宿題を手伝う取り組みとして2022年度に始まりました。「長期休暇に地元と関わりたい」という学生の声と、「宿題をサポートしてほしい」という保護者の要望が結びついて生まれた企画です。この事業は、進学などでまちと離れがちな若者たちが再び地元と関わりを深める場としても機能しています。
活動は当初、小学生の宿題を手伝うことから始まりましたが、今では大学生自らが企画する子ども向けイベントへと発展しています。
今回は、進学先から活動する関西学院大学4年生の橋本幸奈さん、阿南工業高等専門学校5年生の大林風太さんにお話を伺いました。
2人は普段オンラインで打ち合わせを重ね、帰省時に活動に参加しています。聞き手は、助っ人大学生の活動をサポートする神山つなぐ公社スタッフ、秋山千草です。
<インタビューは、オンラインとリアルを組み合わせて実施。左上が橋本さん、下が大林さん>
ーー助っ人大学生に関わったきっかけをあらためて教えてください。
橋本)先に参加していた(神山中学校の)1学年上の先輩に誘われたことがきっかけです。助っ人大学生の活動は大学4年間で一番、力を入れたことです。
最初は夏休みに「鮎喰川コモン」や広野公民館で小学生に勉強を教えるイベントでした。先輩たちに久しぶりに会えた!っていう懐かしさでいっぱいでしたね。それから、秋山さんに誘われて、夏休み、春休みとコモンでインターンを2回させてもらいました。
<2021年度コロナ禍に実施した助っ人大学生。先輩と共に小中学生に勉強を教える橋本さん(写真中央)>
ーーコモンでのインターンはどうでしたか?
橋本)楽しかった!新しい出会いばっかりでした。コモンにはいろいろな人が来てくださるので、大人から子どもまでいろんな人に出会えて、刺激を得られた1ヶ月でした。
今までは、地元のことを話す時は「豊かな自然」しか自慢できなかったんです。でも、人の魅力を語ることができるようになりました。私が小中学生の頃は、まだ神山に移住してくる人が今ほど多くなくて。でも、コモンで色々なところから来た人と出会えて、影響を受けました。例えば、海外で生活していた人からは「留学って思っているよりもハードル低いよ」と自分になかった見方を教えてもらえました。今の神山にいる小学生たちとのつながりができたことも収穫ですね。
ーー地元の子ども達と触れ合えたことは、どういった点が良かったんでしょう?
橋本)私が小学生の時も年齢、男女関係なく、みんなで遊ぶのが、神山の子どもの特徴でした。今も昔も基本的には変わらないことがわかって、懐かしさと嬉しさとが入り混じった気持ちになりました。
<2024年度の助っ人大学生「1DAY camp」で小学生と交流する橋本さんの後ろ姿>
ーー大林さんはどうですか?
大林)僕が助っ人大学生に関わるようになったのは、高専の春休みに、勉強しようと思って行った鮎喰川コモン。インターン中の幸奈さんに誘ってもらったのがきっかけです。僕の同級生(※)もいたから参加しやすかった。初めて関わったイベントは、町内の子どもたちと一緒に遊ぶ企画。実は、僕、小さい子と関わるのが不安で。当日は、楽しかったけど、幸奈さんたち先輩や、同級生に助けられっぱなしでした(笑)。
(※同級生:前回記事で紹介した坂東真凜さん、森本謙信さん、矢武彩羽さん)
<2023年大学生による町内小学生向けイベント1DAY キャンプ。朝の勉強タイムで小学生に勉強を教える大林さん>
ーー今年は、阿南高専から4年制大学・院への編入試験で忙しかったんですよね。受験の最中でも参加呼びかけやアイディア出し、たくさん頑張ってくれました。その原動力は?
大林)今年は、他のみんながバイトや実習で忙しく、ミーティングを休むことが増えていたんです。これではまずい、と思い、自分が積極的に動こう、と。
実は僕も小学生のころに、神山で子ども達に向けた探検・秘密基地づくり体験(※)をしたことがあります。移住者っぽい若い女性が秘密基地に連れて行ってくれて。楽しかったのをとても良く覚えています。地域の人からそういう経験をさせてもらったので、僕も神山の子どもたちにできんかな、という気持ちでした。
(※神山塾生の神山自然塾https://www.in-kamiyama.jp/diary/13309/ )
ーー助っ人大学生の活動で、得たことはどんなことでしょう?
橋本)主体性が身についたなと思っています。私は、積極性が全然なかったんです。でも、今は、前よりも臆さなくなったと思います。去年からイベントの企画を考えるところから任せてもらい、必然的に自分たちで動いて考えることができるようになったんです。就職活動の面接でも、この経験を「学生時代に取り組んだこと」として話せました。
ーー橋本さんは、入学から卒業まで4年間ずっと関わり続けてくれました。モチベーションは何だったんでしょう?
橋本)コロナ禍で大学1年の時は、下宿先からリモート授業。都会の大学生活の中で新しい経験が欲しかったのに、何もできません。神山に長く帰省していた時にこの活動と出会いました。コロナが収まった後も、神山で何かしたいという思いで続けられました。都会で同じイベントがあるよりも参加するハードルは低かった。「新しいことをやっている」というワクワクも大きかったですね。
<2021年助っ人大学生に参加した先輩たちと橋本さん。オンラインによる久しぶりの顔合わせの時>
神山の見える景色を変えてくれた「助っ人大学生」での経験。
ーー橋本さんが小中学校の頃から、神山もずいぶん変化しています。どんなふうに感じていますか?
橋本)自分が過ごしてきた母校の校舎が全部なくなっているのは寂しく思っています。神山東中は統合され、広野小が旧神山東中校舎へ移り、神山中の校舎も今はまるごと高専(の寮)に変わってる。同級生とは「寂しいよな。全部なくなっちゃったなぁ」と話しています。移住者の方がめちゃくちゃ増えていることを地域のお年寄りが心配している声も聞いていました。
でも、実際に助っ人大学生の活動をきっかけに直接、移住者のみなさんと関わってみたら、良い方ばかりで。寂しい思いもあるけれど、私は新しい風を感じてもいます。まちが新しく発展をしている感覚があるからですね。
ーー大林さんは神山出身ですが、今は実家は神山から引っ越されているんですよね。「家」という意味では神山には帰る場所はないのですが、神山はどんな場所ですか?
大林)今、実家があるのは徳島市、そして両親の出身地は鳴門と徳島。神山に血縁はない状態ですが、自分は「神山人」という認識があります。「神山は、僕の故郷」という意識はめっちゃ強いです。神山出身であることを誇らしく思っています。神山の同級生や先輩と、子どもたちと一緒に学校を使って遊ぶ。そんな企画ができるのも、神山だからこそと感じています。
来年から愛知県に行くので遠くなります。それでも、助っ人大学生にはまた参加したい。ITは遠隔でできるのが強みです。僕は将来的には、高専や大学の先生になってみたいと考えているので、神山まるごと高専で臨時教員になれるといいなとも思っています。
<2024年の大学生による町内小学生向けイベントで子どもたちにギターを教える大林さん>
町外に住んでいても、自ら企画・運営する活動を通じて地域の一部として成長する彼ら。この姿は、中山間部の若者とまちとの関わりの<未来形>ではないでしょうか。助っ人大学生の取り組みが、今後もどんな形で発展して行くのか、楽しみですね。
(文:中村明美、インタビュー:秋山千草、畔永由希乃)
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