
「まちの外で生きてます」#21 中川創太郎さん
なんでも2025年1月13日
〝やままち編集部〟です。現メンバーは、大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和、神山町出身の4名。大阪で働いていたり、東京で働いていたり、徳島市で働いていたり。
「まち」で暮らしているけど、心の中には「やま」があります。離れたところからでも神山にかかわれないかな…と思っていたら、ある流れで「広報かみやま」に参画することに。2021年の9月号から、町外にいる若手のインタビューと、その人にむけた学生のQ&Aのシリーズ記事、「まちの外で生きてます」が始まることになりました。
紙面の都合から一部分しか載せられないので、イン神山で、ロングバージョンを公開させてください。
町外で暮らす神山出身者の今を紹介する連載。第二十一回は、神領出身で今は神山と徳島市の二拠点で暮らす中川創太郎さん(24歳)に話を聞きました。
―このインタビューで初! 中学生のころに神山に引っ越してきたということですが、それまではどのような生活をしていましたか?
中川 私は徳島市内で生まれました。今はあまりないかもしれませんが、母が助産師さんを家に呼んで当時住んでいたマンションで私を産んだそうです。父が散髪屋を営んでいるのですが、それをオープンする際に少し変わったりはしたのですが、実家はずっと市内にあります。小学一、二年生は福島小学校に通っていて、三年生になるタイミングで阿南市にある自然スクール、トエックに通い始めました。福島小学校時代は、全校生徒600人くらいいるマンモス校だったので、家に帰る途中にいろんな友達の家に寄って遊びながら帰っていました。神山だと帰り道にそんなに友達の家はなかったのですが、寄り道はよくしていましたね。
(写真/徳島市内で暮らしていたころ、父と公園での一枚)
中川 トエックは汽車通学。阿波富田駅まで自転車で行って、西原駅まで汽車。そこにスタッフの人が迎えに来てくれていました。私のほかにも汽車で来る子がたくさんいて、汽車の中でおしゃべりしながら通うのは楽しかったです。トエックに行こうと思ったきっかけは、母の紹介。一日体験に行ってみたらすごく楽しかったんです。その日のことはよく覚えていて。雨が降っている日で、田んぼ一面に水が張っているその上をアメンボみたいな靴みたいなはいて遊んでいる子がいました。それを見て「なんだこの遊び方は!」と(笑)。私にとってはすごく衝撃的。その空気感にひかれて通うようになりました。トエックは普通の小学校と違い、一日のスケジュールが決まってない。朝9時に来てお昼の3時まで、今日一日何をするかは自分で決めるんです。まず朝にミーティングがあり、「今日はこういうことをしたいから一緒にせん?」みたいな。自主性を重んじる学校でした。もともと勉強がそんなに好きではなかったので、すっごい楽しいと思いましたね(笑)。私はそのとき野球にハマっていて、ずっと野球をしていました。
(写真/小学四年生。トエックに通ったいたこのころの中川さんは毎日野球三昧)
―神山に引っ越してきた経緯を教えてください。
中川 両親が神領の温泉の近くに古民家を買ったため、神山中学校に行くかということになりました。両親は神山出身ではないのですが、田舎暮らしが好きだったのだと思います。家を買ったは良いが、中学生活の二年くらいはボロボロで住めるような状況じゃなくて(笑)、とりあえず一部屋とキッチンだけを直して私一人で住んでいました。少しずつ手を入れて、三年生になるころに家族みんなで住むように。小学六年生くらいの段階で、神山で一人暮らしになるかもという話はありました。でもトエックでもキャンプや自分のことは自分ですることが身についていたので、生活面に関しては不安に思わなかった。むしろ「野球部楽しみやな」みたいな、楽しみの方が大きかったです。トエックが阿南だったこともあり、神山の景色も違和感なく、山も川も奇麗だなという印象でした。
―神山中学校での生活はどうでしたか?
中川 同級生は18人。新しいコミュニティーに入る不安も特になかったです。割とポジティブな方です。トエックは先生も上級生もフラットで、タメ口。なので中学校に入学してから上下関係や敬語、距離感など、みんながやっていることを徐々に学んでいきました。最初、体育座りも後ろに手ついて楽な感じで座っていたんですよ。でも「あ、これはあかんのや」って気づきました(笑)。中学生活で思い出に残っているのは、部活の野球。小学校でやっていた野球とは全然違いました。私たちは遊びでやっていたから、ちゃんと練習して試合に向けて頑張るみたいなことはしていなかった。コツコツ頑張る、チームとして頑張るというのは部活で学びましたね。途中から神山東中学と合同チームになったりと、楽しかった思い出です。あと、足が速かったので陸上部にも入っていました。週末に両親が神山の家に来ることはありましたが基本的に一人暮らしなので、大変なことも。ユニフォームを洗ったりするのは面倒でしたね。あと、誰も起こしてくれないのでよく寝坊をしてました。みんなより家が近いはずなのに、私が一番遅刻していました(笑)。その辺は大変だったのですが、部活後や土日に友達を家に呼んでも親に怒られないのは楽しかった。
(写真/神中祭では同級生と一緒にアイドルのダンスをカバーして披露した)
中川 当時の将来の夢は大工。親から手に職つけた方が良いと言われたことや、ものづくりや現場でいろいろな作業をすることが好きだったので、おもしろそうだと思っていました。神山の古民家に自分たちでペンキを塗ったり、直した経験も影響しているのかもしれません。
―中学校を卒業した後の進路を教えてください。
中川 高校は、学力や家からの通いやすさを考え、城西高校神山校に。実習が多く、外に出て作業する点が魅力的でした。私は造園土木科。庭の剪定や庭づくりについて勉強するところです。町内のおじいちゃんやおばあちゃんの手伝いをする、孫の手プロジェクト(孫プロ)が始まったのも私たちの代です。たくさんビラ配った記憶がありますね。
(写真/城西高校神山校の行事、神農祭では友達と仮装。左が中川さん)
中川 高校時代で一番思い出に残っているのは、三年生のときに神山町が行っている国際交流プロジェクトでオランダに行ったこと。行きたいところを自分たちで工程に組み込んで行ける。オランダでは同級生くらいの子の家でホームステイをして、観光をしたり農業の先進国ならではの水耕栽培の勉強をしたり……。全部で一週間。良い経験になりました。逆にオランダの生徒が神山にホームステイすることもあり、町を知ってもらうのもおもしろかったですね。
(写真/高校時代の思い出の一つ、オランダ研修。ホストファミリーとの一枚)
中川 孫プロや学校の授業で野菜や土に触れるおもしろさに気づき、卒業後は大学に行くのも良いなと思い始めました。先生に推薦で入れると教えてもらった徳島大学の生物資源産業学部に入学。大学ではなかなか勉強についていけず苦労した面もありました。同時に、トエックではボランティアを始めました。キャンプに来る子どものサポートをするカウンセラーとして活動。そうした経験から、学校の先生という職業に興味が出てきました。農業高校の教員免許を取るために、大学三年生に上がるタイミングで徳島大学を辞めて、高知大学農学部を目指しました。ただ、なかなかうまくいかず、22歳くらいになっていたこともあり葛藤はありましたが諦め、とりあえず就職しようと思い、徳島市の写真館に就職しました。写真を撮るのは大学生のころから好きで、家の近所で求人があったので勢いで入りました。アシスタントとしてカメラマンの手伝いでスタジオ撮影や行事ごとの撮影を行いました。最後の方は、結婚式のスナップ撮影などを自分でさせてもらったりしてそれも楽しかったです。
(写真/トエックでカウンセラーとしてボランティアをしていた大学時代。写真は子どもたちとの川遊び)
中川 一年働いたころ、父の散髪屋で働いていた人が辞めたことをきっかけに、散髪屋を手伝うようになりました。これまで散髪屋を継ぐという気持ちはほとんどなかったのですが、親孝行になれば良いなと。父は「これで辞められなくなった」と言っていましたね(笑)。実際に働いてみてこの仕事の大変なところが分かりました。ほぼ12、13時間立ちっぱなしで、自分がやった分だけしか儲からない。コツコツと、大変な仕事です。これまで学費面でサポートをしてくれた両親のありがたさがよく分かりました。でも、お客さんに「さっぱりしたわ」って言ってもらえたり、いろんな話を聞くのはおもしろいし、やりがいを感じています。今は、昼間は見習いとして働き、大阪の専門学校の通信で理容師免許を取っているところ。学校を卒業したら資格試験を受けられるのですが、去年からなのであと2年くらい。
―神山や市内での二拠点生活。これからどのような生活を送っていきたいですか?
中川 大学生のころから二拠点生活になっているのでもう慣れましたね。週に半分ずつ、行き来している感じ。神山の家ではお米をつくったりしているので、そういうときは家族全員召集されて、田植えをしたり稲刈りをしたりと楽しんでいます。
中川 神山はメーンの道など雰囲気は変わらないところもあるけど、若い人が多くなったという意味では変わったかも。勢いがあるなぁと思います。同窓会は年に一回やまびこで。神山も市内もどちらの生活も好きなので、今はそれ以外のところに出て行こうとは考えていない。これまで過ごしてきた場所で楽しみを見つけて生活していきたいですね。あと、就職してお金をもらえるようになったので、トライアスロンとか自転車など、好きなスポーツの大会に出てそこを通しておもしろい人と出会いたいと思っています。
(写真/社会人になってからの自転車旅。和歌山港から滋賀、京都、大阪と友達の家を回った)
インタビュー・文:大南真理子
質問!まちの外で暮らす先輩にあれこれ聞いてみよう!(中校生)
Q:中学生のうちに頑張っておくことは?
中川 勉強頑張っておくべきだけど、私はまったく得意じゃなかったので、あんまり人のことは言えないです(笑)。好きなことを思い切りやっておくことや、先生や友達とたくさん話して関わることもとても大事だと思います。
Q: 中学生時代、思い出に残っていることは?
中川 思い出に残っているのは、中三のときの神中祭パフォーマンスです。歌って、踊って、漫才もして、準備や練習は大変だったけど、やりきれてとても楽しかった良い思い出です。
Q: どうやって高校の進路を決めましたか。
中川 高校は家から近かったのと、実習多くて楽しそうだと思って決めました。
Q: 今の仕事でのやりがいはどんなところですか。
中川 散髪の仕事では、お客さんにさっぱりと気持ち良く帰ってもらえるところです。直接お客さんと関わる仕事だから気をつかうことも多いけれど、喜んでくれたことも直接感じることができるので、やりがいにつながっています。
Q&Aとりまとめ:中川麻畝・海老名和
編集部とりまとめ:大家孝文

やままち編集部
やままち編集部は、神山町出身の4名(大家孝文・大南真理子・中川麻畝・海老名和)からなる編集部。「遠くで暮らしていても、神山にかかわることが出来れば」という想いから、「広報かみやま」で連載「まちの外で生きてます」の連載を企画・制作しています。(2021年夏より)
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