青い目の人形・アリスちゃん

なんでも2010年8月6日

投稿者:中原 亨

 ここ最近徳島新聞で、「青い目の人形」のことが紙上を賑わしています。これは徳島県立博物館で開催されている、徳島平和ミュージアムプロジェクト「海を渡った人形と戦争の時代」という特別企画に関連した記事です。

ここ最近の徳島新聞の記事。

現在神領小学校に保存されている青い目の人形アリスちゃん。NPO法人グリーンバレーの大南理事長が「阿波の神山から世界の神山」を目指す活動の原点ともいえる人形です。

日本に人形を送る運動を全米に呼びかけたギューリック博士。

大正の末期から昭和初期にかけて世界恐慌がおきました。そのときアメリカで日本人移民の排斥運動がおきました。それを憂えた親日家のギューリック博士が日本に平和と親善のため人形を贈ろうではないかと全米に提唱しました。この呼びかけが通じて12,379体の人形が集まり、はるばる太平洋を越えて日本にやって来ました。
横浜の港に着いた人形は、当時の閣僚たちが参列して盛大に迎えられました。そして、日本全国の幼稚園や小学校に配られました。アメリカから来た人形ということで子どもたちに人気があったようです。

アリスちゃんもその中の一体です。

この答礼として、渋沢栄一の提唱で日本からは58体の人形がアメリカに贈られました。アメリカから送られた人形の数にしては少ないと思うかもしれませんが、一体の価値が違います。全米から贈られた人形は現在の価格にして3千円くらいです。ところが日本から送った人形は一体2~3百万円の人形なのです。それも名だたる名工の人形師の作ったもの。そのお金は都道府県が分担したり、子どもたちの浄財から捻出しました。それらの人形は「ミス三重」とか「ミス高知」と呼ばれ44体が現存しています。

各都道府県から贈られた人形。人形研究家、高岡美知子さんの写真資料。

元武庫川女子大学の教授の高岡美知子教授は日米親善人形の研究家として知られています。
さて、こうした経緯があったあと、昭和16年太平洋戦争に突入。日本は軍国主義一色に染まります。全米から送られてきた人形たちは、敵国の人形ということで子どもたちの目の前で引き裂かれたり、竹やりの餌食となります。
当時、神領小学校に勤務していた阿部ミツエ先生がアリスちゃんを密かに隠します。これがばれたら非国民と非難され、憲兵隊に連行されたでしょう。実に勇気ある行動でした。阿部先生は昭和63年に89歳で亡くなりました。先生の葬儀にはこどもたちがアリスちゃんを抱いて参列しました。

暗い戦争の時代、第二展示場ではその資料を展示しています。

悲惨な戦争の時代が終わり、目覚しい復興をとげ平和になりました。神領小学校は現在改善センターが建っているところにあったのですが、大埜地に新築移転しました。その引越しの時に見つかったのがアリス人形です。立派な木箱に納められ人形の贈り主の氏名や住所が書かれたパスポートも発見されました。

そしてPTAや有志が立ち上がり「アリス里帰り推進委員会」を結成しました。1991年(H3年)、アリスちゃんを抱いた実行委員や子どもたちを含む30人の一行が、ペンシルバニア州ウイルキンスバーク市に里帰りを実現させました。地元の新聞にも大きく報道され熱烈な歓迎を受けたそうです。

アリスちゃんの横に展示されている「ミス徳島」。立派な人形です。

「ミス徳島」の人形。台座が入れ替わって他県の人形という説もあります。立派なつくりの人形です。
全米から贈られてきた1万数千体の人形で現存するのは三百体ほどです。徳島県ではアリスちゃん一体だけ。

さて、里帰りを成功させた実行委員会は発展解散して「神山国際交流協会」となりました。そして、日本初のアドプト事業・アーティスト・イン・レジデンス事業・神山ウイークエンド事業・神山アート事業など数々の事業を展開し、今ではNPO法人グリーンバレーと法人格を認証され、国内外の人が注目する活動を展開しています。国際交流基金の地球市民賞を受賞するまでになりました。この活動の中心人物は、大南信也理事長です。

この企画展は9月5日まで開催されています。

青い目の人形アリスちゃんのことをもっと知りたい方は、児童文学作家の原田一美先生の著書、「嵐の中に咲いた花」、「青い目の人形」(未知谷刊)をお読みください。

なお、最後になりましたが、この展示場内写真撮影禁止です。神山の公式サイトのブログに掲載するということで、特別の許可を頂きフラッシュをたかないという条件で撮影してきました。第二展示場では徳島空襲など戦争の悲惨さを訴える展示をしています。

今日は広島平和記念式典の日、前後も65年が経ちました。平和の尊さを考えるためにもこの企画展を見に行くことをお勧めします。

中原 亨

神山アーティスト・イン・レジデンスの自称学芸員。これまで招聘した作家たちの作品の解説はお任せください。年間を通じて数多くの訪問者を案内しています。 神山を元気にするため老体を鞭打ちと東奔西走しています。NPOグリーンバレーの理事。

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コメント一覧

  • 贈り主探しを始めた時から二十年という歳月が流れました。 あっという間です。年とりました。ふう~~~・・・(笑)。

    2010年8月6日 21:21 | 大南 信也

  •  ご多用のところ、一言コメントさせていただきます。 いつも徳島県地域文化の振興に多大の貢献されておいでの、大南信也様にメールをお届けできることは幸せに存じます。  さて、ML「シルバー高知」主宰者 門田喜作氏(昭和25年高知師範卒・元校長・安芸市在住)が、「青い目の人形」に関する貴重な情報を発信しています。もし、まだご覧になっておられないのでしたら、検索されてはいかがでしょう。                         ではまた、

    2011年1月18日 10:35 | 祖父江 政義

  • 祖父江さま、大南です。 ご案内いただいたサイトを拝読いたしました。 里帰りに夢中だったころを懐かしく思い出しました。 1992年、青い目の人形のお礼として米国に贈られ、 ピッツバーグ市のカーネギー博物館に保管されていた 「ミス高知」の里帰りを当時の橋本大二郎県知事に 進言するため高知を訪れ、その帰途で佐喜浜小学校に エミリー人形にも会ってきました。 今から考えると、そうした一つ一つの行動が神山の今に つながっているんだと思います。 貴重な情報をありがとうございました。 ※「青い目の人形」が届けたメッセージ(読売新聞)   http://bit.ly/a0hsZD

    2011年1月18日 15:59 | 大南 信也

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