寄井と寄井座 (二)

アート2008年6月17日

稲飯 幸生

投稿者:稲飯 幸生

-地域が育んだ劇場-
神山町文化財保護審議会長 稲飯幸生

寄井座

寄井座の建築についての文書などはないが古老の記憶によると昭和4年(1929)といわれいる。大正7年(1918)に寄井に大火があり、65軒、120棟が焼けたといわれている(神領大火災誌・西真田嘉之太郎編・大正7年11月刊)。その大火後約10年が経過して、人々が落着きを取り戻した頃、寄井に住む医師の佐々木高助が道路に沿って二階建ての借家4軒を建て、その中央に寄井座への通路を造り劇場を建設した。
創建当時は地元に世話役がいて毎週2回の定期公演があり、地域の娯楽の中心であり村内はもとより他村よりも遠路を歩いて観劇に来た人もあった。

素人ばかりで集まって演奏した演奏した「親和楽団」

戦争後の娯楽の少ない時代には素人演劇をふくめて寄井座は大いに利用されたが、昭和30年代後半よりテレビの普及などにより寄井座での興行は少なくなり、一時は縫製工場につかわれた時代もあった。現在は前述したようにNPO法人により部屋の修理が行われ利用されている。


寄井座の広告天井
舞台に向かって右側の壁にと書いた紙が掲示されており、この地域の7人の世話人の名ある。これだけの広告を集めた人である。

「広告天井世話人」

天井には四角の枠が組まれ、広告枠は舞台に向かって縦13枠、横12枠の156枠である。空白の9枠を除いて現在残っているのは147枠である。

一業者が多くの枠を占めているに製絲業者がある。小口組製絲所(6枠)・筒井製絲所(5枠)・日之出製絲(5枠)・片岡製絲所(5枠)などである。昭和初期の時代にこの地域の主産業は養蚕業で、ほとんどの田畑には桑が植えられ蚕から繭を生産していた。
年間に3回から4回繭を出荷して、農家の現金収入のほとんどが養蚕に頼っていたものである。これは吉野川流域の町村でも同じで徳島本線の両側は桑畑の連続であった。全国的にも蚕の繭から生産した生糸は日本の輸出品の上位を占めていた時代である。

製糸工場の広告看板

小口製絲の本社は長野県諏訪郡であるが明治41年に徳島市加茂名町(現島田町)に徳島工場を創設し操業していた。筒井製絲は明治43年鴨島町に工場を造っている。片岡製絲はこの広告枠には阿波郡柿島村知恵島(現吉野川市)とある。日之出製絲は徳島市に工場をもち、神山で生産された繭を購入していたのである。
県内の製絲業者が名を連ねていることは神山の養蚕業に期待していたことを表しているようである。

— 続く

稲飯 幸生

稲飯 幸生

神山町文化財保護審議会長。

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コメント一覧

  • 大正末期から昭和初期にかけてと言われていた創建された年が、昭和4年にほぼ特定されたと考えていいのでしょうか? それにしても、見れば見るほど興味の湧いてくる寄井座。続編を楽しみにしています。

    2008年6月17日 4:02 PM | 大南 信也

  • 寄井座がさかんに利用された時期は二回あると考えられます。最初は寄井座ができた昭和4年ごろから、戦争がはげしくなる昭和12、13年ごろまでとおもわれます。そのころは定期的に映画(もちろん無声で弁士付き)や演劇がおこなわれていました。戦争が激しくなった昭和15年頃から終戦までは、人々は演劇などに関心をもつ余裕はなく、戦争の勝利のために必死の生活でした。戦争が終わってもしばらくは食料難を克服するのためのきびしい生活が続きました。 幸い神山は戦災もうけず、都市部とくらべると安定した生活ができやすかったので、人々の心に余裕があり、素人演芸などの活動が終戦後、4,5年を経て行われるようになりました。 もちろん寄井座を中心にして町内各地に小さな劇場ができ、人々のすさんだ心を慰める演劇活動は大盛況でした。

    2008年6月21日 6:19 PM | 稲飯 幸生

  • 弁士といえば、山田広野(http://katsuben.net/)という若い弁士がいるけど、寄井座にライブに来てもらったら面白いかもしれないね?!

    2008年6月21日 11:59 PM | Claire

  • 本当におもしろそうだねぇ。やってみようか。山田広野さんにメールを送ってみますね 広野は神山にもあるし、これも何かの縁かも知れない・・・(笑) それにしても、クレアさん、こんなサイトどうやって見つけたの?

    2008年6月22日 6:49 AM | 大南 信也

  • どうやって見つけたのって?実は、去年の秋に東京で友達が芝居(Hanakengo's Forbidden Zone) をしてて、その出演者の一人が広野さんだった。出演者のみんなのプロフィールを英訳してたので、「活弁士」という言葉が印象に残ってた。それこそ、「縁」だね!

    2008年6月22日 2:06 PM | Claire

  • 今でも活弁(活動写真の弁士)をしている人がいるということは、何かでちょっと読みましたが(週刊誌?)、「今頃なにをしよんかいな」とおもって関心はなかったです。 本当に今でもいるんですね。 弁士が職をうしなってから、紙芝居のおっさんになって、方々回っているということはききました。 有名な徳川無声という人は、ずっと前になくなりましたが活弁しとったのではないかいな?

    2008年6月23日 2:32 PM | 稲飯 幸生

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