パリに運ばれた神山の青石

なんでも2014年6月25日

里山 みらい

投稿者:里山 みらい

地域おこし協力隊(田中)より
現在、神山町農村環境改善センターで行われている展示のご案内です。

みなさんは、神山の青石がパリ(フランス)に運ばれた史実をご存知でしょうか?

神山の青石がパリに運ばれたのは今から56年前。
神山町阿野広石谷から運ばれた青石は、荷馬車で徳島市まで運ばれた後、なんとパリまで運ばれました。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関
)本部にある日本庭園の庭石として置かれたそうです。

現在、神山町農村環境改善センター(1Fロビー)にて、
「パリ・ユネスコ本部で光輝く神山の青石
   ~助っ人 鈴江基倫のしごとぶり」

と題して、当時の貴重な写真や資料が展示されています。

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彫刻家イサム・ノグチ氏や京都の造園家 重森三玲氏と言った著名人が携わったユネスコ本部での日本庭園の造成に、徳島の庭師 鈴江弥太郎氏、そして鈴江基倫氏が共に取り組み、多大な貢献をされたそうです。

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(改善センターに来られた鈴江基倫氏)

鈴江氏は「造園の世界では、石は骨(組み)、木は肉。木はいつかなくなってしまうけれど、石はずっとそこに存在する。世界中にたくさんの石がある中、選ばれたのは徳島の、神山の青石だった。それ自体が、とても貴重なこと。
そんな風に仰っていました。

庭師としてお仕事をされている間は、パリでのことはほとんど語っては来られなかったそうです。
そんな鈴江氏の功績を多くの人に伝えようと今回の展示を企画し、ご尽力されたのが、元城西高校神山分校教諭、安田博武氏です。

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安田先生には、2年前に私が神山で行った「神山森聞き」を通し、お世話になっていた経緯があり、その当時から、青石が海外に運ばれたこと、そして鈴江さんの功績が徳島ではほとんど知られていないことに対し、「どうしても僕はこの事実を多くの人に伝えたい」と城西高校神山分校で教員をされていた頃から話されていました。

安田先生の思いが込められた展示は10月末まで、神山町農村環境改善センターにて行われております。ぜひ、多くの方にご周知いただき、その史実と功績をご覧下さい。

※今回の展示は、2014421日~521日に神山温泉四季の里で展示されていたものを神山町農村改善センターに再展示したものです。

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以下、昭和32419日の徳島新聞より
(※「新聞記事再録」として当時の新聞記事の内容も資料として置かれています)

「海渡る神山の石
フランスで日本庭園造りに一役 イサム・ノグチ氏ら来県

日本庭園の石材として珍重されている本県特産の「緑泥片岩」が海を越えフランスの庭造りに一役果たすことになり、この打ち合わせのためきょう十九日朝彫刻家イサム・ノグチ氏と京都の造園家 重森三玲氏が来県する。

 この話は徳島庭園鑑賞会理事鈴江弥太郎のもとへ、このほど重森氏から手紙で連絡があったもので、文面には「イサム・ノグチ氏の世話でパリに六万余坪の豪華な日本庭園を造ることになった。これは私(重森氏)が設計し、ノグチ氏が現地で指導するが、石材にはぜひ徳島の緑泥片岩を使いたい。少なくとも二百五十トン(トラック50台分)は必要なので、ノグチ氏と共に徳島に行って打ち合わせる」とあった。
このため鈴江氏はさっそく重森氏と連絡をとったところ、十九日午前十一時二十分徳島駅着高徳線で両氏が揃って来県することになったわけで、鈴江氏は同日午後、両氏を緑泥片岩の主産地、名西郡神山町に案内する。
緑泥片岩は緑色の光沢を持ち日本庭園の石材として、重宝がられている。関東では秩父山系の一部、関西では和歌山、愛媛両県にわずかにあるだけで本県が主産地となっている。徳島城の石垣をはじめ、徳島公園内鳥居竜蔵博士の胸像台など県下ではほとんどの名所、旧跡に利用され、一部は県外に出されたが外国に輸出されるのはこんどがはじめてである。

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