若林恵・多木陽介さん滞在記 その1|大南信也さんと「失敗…ないですね」

なんでも2019年3月9日

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投稿者:西村 佳哲

さる2/10(2019)コンプレックスで、〝若林 恵×多木陽介|公開対談「神山をめぐって」〟を開きました。音源公開(Podcast)を準備中。

*若林さんがnoteで滞在記「神山のことば」を公開 … 2019年4月4日


Photo: Takashi Yokoishi

若林・多木さんたちはこの日だけでなく、神山に3日間滞在。いろんな人に会い、現場を訪ね、話を交わしてむかえたトークイベントです。プログラム全体を列記すると。

 2/8(金)
 ・真鍋太一、白桃薫「フードハブプロジェクトの話」
 ・大南信也さんと「神山の昨日・今日・明日」
  杼谷学、後藤太一と(同じく)
 ・SFC石川ゼミ 稲田玲奈さんレクチャー「神山の歩経路、他」

 2/9(土)
 ・東工大 真田純子さんレクチャー「ヨーロッパの景観保全型農業」
 ・森山円香、樋口明日香「教育の話」
 ・後藤正和 町長「神山の昨日・今日・明日」
 ・ボッコ、多木さんレクチャー「アルプスの山村の建築と生活技術」

 2/10(日)
 ・馬場達郎、赤尾苑香「木の家づくりや山の話」
 ・多木・若林・真鍋・西村トークセッション「神山をめぐって」 

ザッとこんな感じ。「ただでは帰さないゾ」という気迫が感じられる。


非公開部分のテープ起こしが少しづつ上がってきたので、順番に公開します。ちなみに今回の若林さんグループは、こんな5名。
 ・若林 恵(黒鳥社/blkswn publishers)
 ・横石 崇(& Co.)
 ・谷口政秀(ITOKI)
 ・西澤明洋、瀬戸 望(EIGHT BRANDING DESIGN)
多木さんグループはイタリアと名古屋から、こんな4名。
 ・多木陽介
 ・アンドレア ボッコ/ Andrea Bocco(建築家、トリノ工科大学 准教授)
 ・フィオレッラ ラヴェーラ/ Fiorella Ravera(多木夫人、イタリア国営放送ディレクター)
 ・小松 尚(名古屋大 准教授)

*多木・若林さんのプロフィールはこちらを。>公開対談「神山をめぐって」

メンツが濃くていい。3日間あるといろんな話も交わせて、とてもよかった。

そのレポートをザクッと。初日はお昼に集合。かま屋でご飯をたいらげて、まずは真鍋太一・白桃薫と「フードハブ・プロジェクトの話」。

多木さんがイタリア語に通訳しながら。結果、考えながら聞ける感じがよかった。

ボッコさんとラヴェーラさんは、つづけてフードハブの農園見学へ。他のメンツは改善センターに移動して、大南信也・杼谷学・後藤太一と「神山の昨日・今日・明日」の話。3時間。まずはその前半、大南さんパートのやり取りから。以下、飛ばし飛ばし、抜粋で載せます。

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多木 イタリアに住んでいる人間で、もともとは演劇の演出。いまはものを書いたりしています。ボッコさんという、ソーシャルな仕事と建築技術、両方の専門家の友人が「神山に来たい」と言うので「じゃぁ一緒に行こうか」と。

小松 名古屋大学で、建築の教諭をやっています。

横石 東京ワークデザインウィークの初年度に、大南さんに来ていただいた。それからずっと新しい働き方をウォッチして。みんなから「神山に行きなさい」と言われるけど、5年経ってようやく来れました。

谷口 もともと若林さんと横石さんを知っていて、思わぬ展開から参加することに。冬は初めてです(笑)。

若林 『WIRED』というメディアの特性上、デジタルイノベーションとかそういうことをやっていると、地方の行政とか本当に迂闊な方がたくさんおられて、「こいつなにか未来知ってるんじゃない?」と勘違いをされてですね、お声がけいただくことも。断るあれもないので「あぁ。地方の未来ねぇ…」とやってると、意外と商売になったりですね。イノベーション詐欺という新たな業態でやらせていただいて(笑)。若林と申します。

西澤 ブランディング・デザイナーという肩書ですが、専門でやりだしたのはもうだいぶ前。お話を嗅ぎつけて遊びに来ました。

瀬戸 西澤と同じ会社で、秘書兼広報という立ち位置で働いております。
 

大南 神山のプロジェクト。考えてみたら、やっぱり〝人のつながりが、いろいろなことを生み出してきた〟、というところに行き着く気がしています。

昨年秋に招かれて訪ねた、アイスランドの話からスタート

大南 洋の東西を問わず、住んどる人は「プラモデルをつくるように部品を集めて、組み立てていったら地域づくりは完成する」「条件を揃えていけば必ず何か新しいことが起こる」という発想で、そう考えがちなのは日本人だけでないんだな、という感じを受けた。


大南 (グリーンバレー前身の)国際文化村委員会をつくったときのビジョンは「文化が経済を育む」です。こないだ20年前の資料をあれしよったら、冒頭にその言葉が入っとったけん。なかなか先見性があったなと(笑)。

大南 で、この人が登場します。真鍋太一さん。2013年9月に初めてやってきて、後でもらったメールに「食を通じて人々が集い、そこに文化が生まれるような場をつくりたい」とあった。覚えてるか?

真鍋 覚えてない。(笑)

大南 フードハブが一昨年オープンしたけれど、これからワーク・イン・レジデンスでちょっと力を持った有機農業者に来てもらって。小さいながらも年に1ヵ所ずつぐらい、5年で5ヵ所ぐらい、オーガニック系の小さなレストランがオープンしたら、まちの中で農業とサービス業がぐるぐる回り始めるような、日本ではけっこう珍しいまちができあがると思う。
 サービスが生まれると、これが農業を元気にする。農業が元気になると景観をつくる。地域内で経済を循環させるのが、非常に重要になってくるなと思います。


大南 働き方や、働く場所の自由度を高める。地方に「高度な職」。これ非常に重要やと思う。日本は高度な職に就くほど地方に住めない状況。これを打ち破るモデルをどこかでつくる必要がある。
 「想像を超える創造」。ものごとが予定調和的に起こっていくのではなしに、やっとる人自身が予想もつかないようなかたちで展開していく方が、地域づくりとして僕はやっぱり面白いと思います。

若林 「経済を動かすには文化だ」という話が最初の理念としてあったと。それは後付けですか? それとも何かきっかけがあって? というのはこういう言うと僭越なんですけど、僕もずっと、いろんな人に言ってきた話なんです。

大南 ほんまですか。

若林 そうそう。で、本当に聞いてもらえない(笑)。「計画はもう立たないから、自分たちのアセットをちゃんと育てていくんだ」みたいな話とか、「経済を動かしたかったら、文化を動かさないとダメじゃないか」というような話って。
 だいたいみんな、例えば「観光」みたいな短期的な収益に目がくらむ。「どうやってそれが金になるんすかねぇ」みたいな感じで、あぁ?って顔されることが多いんですよ。それをどう突破されたのか。そもそも、なぜそう信じられるようになったのか。

大南 たぶんその頃の日経新聞で、養老孟司さんか誰かの記事に「文化が経済を育む」に近いことが書かれていた。国際文化村委員会を始めるとき、やっぱりあやふやっと「文化が大事なんだよね」と言うても伝わらへん。参加しとる人間に、ひとつの神話になるような言葉が必要なんかなと。ほんでそれを意識しながら、いろいろなことをつづけてきたんかなと。

若林 でもなんだろう。ドーピングっぽい短期的なブーストのために「文化」を使うのがほとんどなんだけど、そうならずに回避できた。僕、そこはけっこうすごいことだなぁと思いますけど、それはどう可能だったのか。

大南 ひとつは「お金がなかった」ということやと思います。

若林 あ、なるほど。

大南 お金がないからやっぱり不自由する。不自由するけども、それでは買えないものに目を向けるということやと思います。アーティストとの関係とか。
 日本人は、きめ細やかな感情の襞に入ってなにかするの、非常に得意やないですか。だけん、そのあたりを提供するのが自分たちにできることやし、逆に言ったらその道しかない。そんで「お金」や「ビジネス」を通したアートの見方やなしに、直接アーティストに向き合うたから、その気持ちが伝わったんやと思う。結果的にそれが共感を呼んで、去年もけっこうリターンのアーティスト来たよな。

竹内(GV事務局長) 年間を通じてずっと、誰かしらいましたよね。

大南 神山を体験した人がまた帰ってくるわけやから、いまの町を見てまた「自分にできることは?」みたいなかたちで循環してくる状態ができとった。
 その人たちが、「神山の人は普通にやりよるけど、こういう場所って世界にないよ」と言うわけです。「そやけん自分らが帰ってくるんだ」と話してくれるので。


若林 たまに地方に行って、農業やってらっしゃる方の話を聞くんです。僕はあんまり地方の人たちに親切じゃないので、完全におれ都会人なので、「日本の農業、残んないとヤバイじゃないですか」とか言われても、「なんでですか?」と聞いちゃう。それにちゃんと答えられないんですね。
 いろんな問題があるからいまの状況になっていて、いい加減に、自分たちの課題のプライオリティを決めないとまずいわけじゃないですか。「どうしても残したいんだったら、これは諦めよう」とやっていかざるを得ない中で、「これは残したいじゃないですか」とかといって結局全部ほしい、みたいな。つまり「昔はよかった」という話しかしていない。ところが(大南さんは)最初に「この部分は諦めよう」「減るのはしょうがない」という話をされて。
 「なにを捨てて、とりあえず当面なにをとるか」という判断をどうされたのか。まわりの人たちには、受け入れるのが困難だったことがあるんじゃないかな?

大南 グリーンバレーでやってきとることは、僕にとっても仲間にとっても、仕事ではないわけですよね。だからある意味遊びですよ。「こうしたらなにが起こるんかなぁ」みたいなのをずっとやっていて。コンセンサスをとる必要も別になくて。それが結果的に広がっていって、社会とか町に接点を持ち、影響を与え始めたということやと思う。

若林 じゃぁ最初は、地元の農家の方からしたら「道楽者が好きなことをやってる」みたいな見え方。

大南 そうですね。だけども人間ってなんていうかな。言葉で「こうしたらこういうことが起こるんですよ」と説明しても、ほとんどの人が理解しない。
 でも、あることをやってそのまわりに現象が見え始めたら、自分の目でそれを見るから、はじめて「あ、こういうことなんだ」と腑に落ち始める。その腑に落ちる状態を少しずつつくり出していって。「あ、そうなんだ」「まったく関係ないことやなしに、こうつながっていくことやないか?」というのが、少ないけども住民に伝わり始めたら、その人たちが今度は協力者になってきて、その環がまた広がっていくということやと思います。

多木 結果なのかもしれないけど、雪だるま式にコトが大きくなってすごくうまくいっているように見えますけど、うまく行かなかったというか、あるいは何かリセットしなきゃいけないと思われたこともあったと思う。

大南 当然そうですよ。

多木 ねぇ。で、例えば「あ、これヤバイな」「違う方向に行っているかもしれない」という現象にはどんなものがあったんですか。

大南 そんなにあれかなと思う。プレゼンすると「いやぁ、すべてうまいこといったんですね」って言う人おります。「すべてうまくいきました」というのが答えで。
 「失敗せんかったんですか?」という質問って、けっこう多い。そやけど僕は〝失敗〟の捉え方やと思います。失敗と成功を0と1で捉える人が非常に多い。でもこれは0と1やなしに、その間にいろいろなものがあると思う。結果として失敗に見えとるけど、実はすごい成功のもとになってゆくことなんかがあって。それを結果的にどないするんかいうたら…パソコンでモニターのゴミ箱にドラッグして、「◯◯プロジェクト。これ失敗や」と捨てるのがいかん、ということなんです。

 ものごとってタイミングがある。非常に。例えばある能力を持つ人がいなかったからうまくいかないことってたくさんあって。ということはそういう人が現れたら、うまくいく可能性が大きいわけですよね。
 じゃぁドラッグして捨てるんやなしに、別のフォルダをデスクトップにつくって。例えば「未来フォルダ」みたいなのをつくって、そこに一回預けるのが必要やと思います。頭のなかで「これ失敗」と区別せずに一旦収めておく。それを置いとるあいだにいろんなことをやりながら、ある人に巡り会うたり。「5年前はうまくいかんかったけど、この人がおればこれは回るんじゃないかな?」と、もう一回デスクトップに引き戻してくるみたいなことが必要で。

 だけん、失敗と成功を峻別しすぎると思う。ほんま0と1やなしに非常に柔らかいもので、柔らかいものなりの向き合い方をせんかったらいかんと思います。「失敗…ないですね」って。そのかわりフォルダに入れとるものはあるわけですよ。「いつか取り出したら、うまくいく可能性があるな」と思えば、失敗として置いてないことやけん。そのあたりってけっこう重要なところやと思います。だけん、落ち込まんわけですよね。(笑)


以上、2019年2月8日(金)14:30~17:30の前半より
休憩を挟んで、杼谷・後藤さんとの話につづく[近日公開]

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西村 佳哲

にしむら よしあき/1964年 東京生まれ。リビングワールド代表。働き方研究家。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、大きく3つの領域で働く。元神山つなぐ公社 理事(2016〜21)。著書に『自分の仕事をつくる』(晶文社/ちくま文庫)、『ひとの居場所をつくる』(ちくま文庫)など。

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コメント一覧

  • むちゃくちゃ良いですね。読めて嬉しいです。

    2019年3月12日 09:06 | 豆ちよ

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