【あゆハウス通信vol.16】地域留学を通じて神山にいつでも帰れる場所をつくってほしい

学び2021年7月16日

投稿者:あゆハウス

こんにちは!ハウスマスターの荒木です。

あゆハウスインタビュー連載、第4弾。

今回は立ち上げ当初から関わり、今年の4月から神山校の寮「あゆハウス」の専任スタッフとして働き始めた兼村雅彦さん(通称:まささん)にお話を聞いてみました。
沖縄出身にも関わらず、神山塾をきっかけに8年前に神山に移り住み、現在は江田集落で地域に根ざす活動をしながら、お米づくりもしています。
人前で話すのは得意ではないというまささん。インタビュー時は「うーん・・・」と悩む場面もしばしばありましたが、いつもどおり真摯で実直な言葉を聞かせてもらいました。

高校生だけでなく、高校生に関わる地域の大人も、「あゆハウス」という暮らしの場を通して、自分を見つめ直し、一歩踏み出そうとしています。ぜひ読んでいただけたら幸いです。

===========================

 1. 神山に来る前のこと 

荒木 まずは最初に、まささんのことについて聞きたいと思います。まささんは、神山に来るまで何をしていましたか?

兼村 うーん、ふらふらしていたっていうのが正解かな・・・。
大学時代はアイスホッケー部に所属していて4年生の最後の大会に出てから、1年休学してアイルランドへワーホリに行きました。だから、周りよりも卒業が2年遅れているんです。後々考えると卒業しても良かったんだけれども、当時は新卒枠があると思っていたんで休学を選びました。

 

荒木 アイルランドに行った理由はなんですか?

兼村 単純に、アイルランドの文化と音楽が好きだったから。この話だけでも長くなりそう(笑)もとは言えば、アイリッシュパンクというパンクと民謡を混ぜているのがあるんですけど、高校生の時に好きになったことがきっかけです。後付けかもしれないけれど、アイルランドの音楽は、地元の沖縄の民謡に似ている部分があるように思うんです。それに、厳密には違うところもあるけど、沖縄とアイルランドは島国、方言、隣国との関係等、色々と共通部分があって似ているなと思ったんです。

荒木 なるほど。まささんの沖縄というルーツから、アイルランドの音楽・国に惹かれたんですね。アイルランドから帰ってきたあとは、どうされました?

兼村 日本に帰ってきて就活したけれど、そんなにうまくいかず。視野も狭かったから、一般的な就活をしていたんですけど、当時やりたいこともそんなになくて。就活の途中で「もういいや」と。海外に行った経験から、海外と日本を比較して考えるようになり、次は京都に住んでみたいと思って、勢いで行っちゃえ!とそのまま京都に移り住みました。もともと、歴史が好きだったし、コンパクトで住みやすそうだなと思って。

 

荒木 おぉ、次は京都に。めちゃめちゃフットワーク軽いですね。

兼村 うん、そうかも。ただ、京都で仕事を探したけれども、全然うまくいかず・・・。そういう意味では、京都いたときが一番きつかったかな。特に仕事も決まらないし、何やりたいんだろう、みたいな時期だったから。そんな時に神山塾を見つけて、「あー、これは行くしかないな」と思いました(笑)

 

荒木 そんな状況で、神山塾に出会ったんですね。どうして神山塾に行こうと思ったんでしょうか?

兼村 進学で県外に出たことで、沖縄のことを考えるようになり、それがきっかけで沖縄だけでなく地域のことを考えるようになりました。ただ当時は何かしたいと思いつつも世間知らずでどうしてよいかもわからず、たまたま神山塾を知って、自分の興味に近いしなにか得るものがあるんじゃないかなと思い決めました。

荒木 そうなんですね。すぐには沖縄に戻らずに、神山に来た理由は何でしょうか?

兼村 そのときは沖縄に帰ってもなにもできる気がしなかったし、あと単純に帰りたくなかったんです。沖縄に帰ると、なんか狭っ苦しく感じる気がして。
神山は、世の中に対して何かしら考えている人が多い気がしていて、沖縄にもたくさんいるんだろうけど地元って交友関係が固定化されていて出会うのが難しいというか。当時の自分には神山があっている気がしました。だから、今は帰りたくないです。戻ってしまったら、なかなか出られないと思うし。

 

荒木 まささんにとって沖縄はいつか帰りたい場所ですか?帰らないといけない場所ですか?

兼村 今だと、「帰らないと」の方かな。一人っ子だし両親には、外にも出してもらって、色々させてもらったから、親孝行をしないといけないなと思っています。ただ、一生どこで過ごすかはあまりこだわりがないかもしれないです。

 

===========================

 2. 神山に来てから 

荒木 それでは、まささんが神山に来てからのこと教えて下さい。

兼村 まず、神山塾で半年間過ごしました。周りは価値観が似ている人が多かったから、居心地がよかったですね。まぁ、神山塾はモラトリアムかな。自分の場合、まだ延長するのかいって感じだけど(笑)

 

荒木 そのあと、塾が終わった後も住み続ける選択をしたわけですよね?

兼村 最初はそんなに長居するとは思わなかったけれども、結局8年もいますね。
・・・なんでいるんだろうね?人ですかね。上分地区で一緒に暮らしていたメンバーが好きだったからかな。あと、江田集落で自分にとって師匠と呼べる人との出会いもありました。

その後、神山に居たいと思っていた中で、仕事が見つかったのもあります。卒塾後は、株式会社えんがわで映像制作や放送系の仕事につきました。

 

荒木 えんがわでは、どんなことをされていましたか?

兼村 えんがわは、地域を映像でアーカイブする取り組みをやっていて、地域に関わることだし、やってみようかなと思ったんです。実際に、徳島を初めいろんなところを回って撮影できたことは楽しかったです。

 

荒木 そうだったんですね。当時から、江田で田んぼもしていましたよね?

兼村 そうですね。ぐっさん(※1)とあっきーさん(※2)が先に江田集落で田んぼをやっていて、そこに自分も入ったという感じです。

※1 ぐっさん:神山町で農下村塾という塾をされている山口良文さん
※2 あっきーさん:一緒にエタノホで活動している植田彰弘さん

荒木 田んぼの活動を続けていて、どうですか?

兼村 そうだなぁ。やっぱり一緒にやっている仲間が好きだし、師匠との関係もあるし、毎年大変だけど、単純に楽しいかな。

ただ、自分の特性でいつも悩むんだけれども、一つのことをとことん突き詰めるのが得意じゃないです。
その反面、そういう特性なんだなと自分では受け入れている部分もあって。そういう意味では、良さもあるんじゃないかなと思うけれども、思いたいだけかもだけど・・・広く浅くやっていくタイプなんだと思います。こうやってあっちゃこっちゃ行っているから、よく分からない人生なんだろうな(笑)

それと、自分がすぐだらだらしちゃうタイプだから、多少動いているのがいいのかもしれないです。ただ普通に仕事したり暮らしをするよりも、田んぼをやっていた方が刺激が多いし。すごく大変だけど、なかったらないでつまらないんじゃないかなと思います。
 

荒木 地域の中で自分の関わりしろを見つけて、活動されているのがすごいなと思います。江田集落の師匠との出会いについて、もう少し教えてもらえますか?

兼村 神山塾生の時に、面白い人がいると紹介してもらい、何人かで江田にインタビューをしに行ったのが最初の出会いです。電話でアポ取った時、何言っているか分からなかったけど(笑)実際に行ったら食べるもの用意してくれていて、なんだろう・・・「人を受け入れる感じ」がすごかったです。
 

荒木 「人を受け入れる感じ」とは?

行ったときの様子が、イン神山の日記帳に挙がってます。これこれ。
https://www.in-kamiyama.jp/diary/15962/

師匠みたいな人に今まで出会ったことがなくて、師匠は怒ってくれるし、愛情持って接してくれるんです。
本気で自分のために言ってくれる人はあまりいないかもしれないです。正直口悪いし、いつも怒られてばっかりだけど、行ったらいつも迎え入れてくれます。「ごはん食ってけ」とか。
一緒に田んぼをしているあっきーさんともよく話すけど、「友達でも家族でも同僚でもなく、他人ではあるけれども、家族みたいな関係」ですね。これは、一緒に田んぼで動いていないとないんだろうなと思います。

あと、地域との関係でいうと、ただいる関係と、田んぼで一緒に作業している関係では結構違う気がします。自分は田んぼをやっているからこその、江田との関係性はある気がします。田んぼが関係をつくっているきっかけになっているんじゃないかな。

 

===========================

 3.あゆハウスについて 

荒木 そろそろあゆハウスのことについて聞いていこうと思います。まず、あゆハウスに関わろうと思ったきっかけは何でしょうか?

兼村 当時、えんがわを辞めて仕事がない時に誘われたからで深い理由はありませんでした。
 

荒木 2年間非常勤としてハウスマスターでやってきて、どうでした?

兼村 自分のことでいうと、結構おせっかいをするのが好きで。おせっかいという言葉は恩着せがましい言葉かもしれないけど。そういう意味で、この仕事は自分に合っているんじゃないかなと思いました。
一人でガーっとぶっ通しで仕事をするのは、多分性分じゃないんです。人と接していて反応が返ってくる方が、自分にとって良い気がしました。
 

荒木 あゆハウスを通じて、人と接する仕事が楽しいことに気がついたんですね。あゆハウスで大変だと思うことはありますか?

兼村 大変なことは、日々ですね。日々寮生と関わりながら、自分の気持ちや寮生と向き合えているのかなというのが悩みです。

一つ出来事を上げるとしたら、昨年の秋頃のことかな。コロナ対応の事とか、他にも色々問題が噴出した時期。僕の主観かもしれないけど、僕ら大人側の想いと寮生の想いが噛み合わなくなっていった気がして、どうにかしたいと思って自分で全体会議を作ったことがあったけど上手く形にならず…関わり方の難しさを感じました。

荒木 当時、期待を持って神山町へやってきた高校生たちにとっては、コロナで色々と制約されることにもどかしさを感じていたと思います。今もまだ先が分からない状況ですが、このことは私たちにとって学びとなりましたよね。

さて、まささんが専任スタッフになろうと思ったきっかけについて聞いてみたいです。

兼村 単純に楽しいし、大変なこともあるけどあまり苦に感じなかったからです。自分は、人と接する仕事があっているんじゃないかなと。あと、こういう環境で育つ子が世に出た時に、自分の仕事に意味があるなと思えるんじゃないかなと思ったり。あゆハウスのような体験をしている子が増えるといいなと思います。

 

荒木 専任スタッフとなってから、寮生の保護者とも関わるようになり、寮生一人ひとりと関わる深さも変わったんじゃないかなと思いますが、どうですか?

兼村 寮生と関わる部分や深さは増えた気がします。この数ヶ月でも、寮生や保護者に対してどう伝えるか、難しさを感じることはありました。話すことは得意じゃないけれど、数をこなし、スキル等学んで経験を増やしていくしかないかなと思っています。

 

荒木 あゆハウスにいる寮生たちについて、まささんからどう見えますか?

兼村 うーん・・・。的確な言葉が見つからないけど、普通に羨ましい。恵まれた環境だなと思います。本人たちは分からないかもしれないけれど。
寮生と接するときは、友達みたいな感じもあるし、半分親心もあったりするし。寮生には少しでも自分の良いところ・悪いところを受け止めて、3年間で成長していって、世に出ていって欲しいなと思います。

荒木 高校3年間、神山に地域留学することの意味や価値はどういったことだと思いますか?

兼村 寮生には神山に帰れる場所をつくってほしいと思っています。自分も神山で受け入れてくれる人、帰れる場所ができたことで安心感が生まれたので。寮生にもそういうところを見つけてほしいですね。それは自分みたいに神山のお父さんお母さんだったり、ここで出会った友達だったり、あゆハウスだったり、何でもいいと思います。自分は沖縄に帰るかもしれないけれども、訪ねてきてくれる関係になったら嬉しいかな。
自分の理想なのかもしれないけれど、今の世の中には自分の意志を持ちつつも他人とわかり合おうとする人が必要だと感じていて、そういう人が育ってくれたらいいなと思っています。
 

荒木 最後に、今後あゆハウスをどうしていきたいと思いますか?

兼村 もっと寮生たちと地元の人の接点を増やしたいし、神山でできる体験もしてほしいと思っています。田んぼもそうだけど、釣りをしたり、地元の人に教えてもらって梅干しを作ったり。昔ながらのことも体験してほしいです。あゆハウスがそういう場になってくれたらいいなと思っています。

荒木 まささん、ありがとうございました。今回、神山に来る前・神山に来てから・あゆハウスのことを順に聞かせてもらい、改めてまささんの人となりや大切にしていることを知ることが出来たように思います。

「神山にいつでも帰れる場所をつくる」高校3年間、神山に暮らすことの意味がこの言葉に込められているように思います。

今までのあゆハウス通信はこちら

あゆハウス

城西高校神山校の寮は、鮎喰川の「あゆ」をとって、「あゆハウス」と呼ばれています。 「あゆハウス通信」では、あゆハウスで暮らす高校生・ハウスマスターが日々の活動を定期的に発信しています。 「地域で学び、地域と育つ」をコンセプトに、神山でさまざまなことにチャレンジする私たちを温かく見守っていただけたら嬉しいです。

あゆハウスの他の記事をみる

コメント一覧

  • まさくん、いつもあまりしゃべらへんから、わからんけど、話したら、飾らず、「地」に着いた いいこと云うやん。

    2021年7月22日 06:57 | ニコライ

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * 欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください