神山校卒業生3人座談会「『自分の意見を言うことは、わがままじゃない。大事なことだと』神山校で教えてもらった」

学び2024年3月6日

投稿者:梅田 學

(神山つなぐ公社 ひとづくり担当)

 

城西高校神山校が「神山創造学(以降、創造学)」と銘打って、新カリキュラムを始めたのが2017年度。翌々年の2019年度に造園土木科・生活科が再編され、新コース(環境デザインコース、食農プロデュースコース)へ移行しました。

ちょうど端境の2018年度入学者は、入学時にはすでに創造学が始まっていたため、学科は旧編成でも、創造学の授業を3年間、受けた学年。彼らも、卒業してから2年以上が経過、社会人として仕事を始めています。
 

卒業生たちは、どんな思いを胸に社会人として働いているのか?「神山校」で得たことはどう生かされているのか?神山創造学を通じて、進路の道筋が固まっていったという3人に話を聞きました。

高岡くんは、林業の中でも、「支障木(ししょうぼく)」を伐るという、より難しさの伴う道へ、田中くんは農業で起業を目指して、現在、農業法人の社員として働いています。
吉岡誠くんは、オーダーメイドの家具屋さんで入社1年目ながら高度な技術で家具を作っているとのこと。

書き手は中村明美さん、聞き手は彼と神山創造学で関わりがあった私、つなぐ公社の梅田が担当しました。

梅田)3人の自己紹介からお願いできるかな?

高岡)僕は高校卒業後、資格をたくさん取れると思って林業アカデミーに入りました。今は「支障木」を伐採することを専門にする会社で働いています。主には、伝線に当たっている木を伐採してますね。危険な仕事ですが、上の人の教え方が上手いし、仕事は楽しいですよ。中学・高校と林業の道に進もうといったことは考えていませんでしたが、だんだん林業が楽しくなってきてこの仕事に就きました。

田中)僕は、阿波市の農業法人に勤めていて、トマトをメインに作っています。高校に入った時は農業には興味はありませんでした。それよりも、自動車系に行こうかと思ってたんです。

創造学は、1年生の時に仕事体験に行くんですが、体験先を決める際、自動車系のところが人気で、希望者同士のじゃんけんに負けて(笑)。そのときに、創造学を担当していた森山さん(※)から「面白い人がおるけん、その人のところに職場体験行ってみない?」と言われて、大久保の上地さんという方のところへ2日間、行きました。

 

(※森山円香さん:神山校の学校改革の草創期を支えた、元神山つなぐ公社理事。当時、教育コーディネーターとして神山創造学のカリキュラムを担当していた。神山校の挑戦を描いた晶文社「まちの風景を作る学校」の著者)

その2日間が、めっちゃ楽しかった。僕が、農業に興味を持ったきっかけは上地さんで、その上地さんに出会えたのは創造学。「こんな仕事って、いいな」と思って、そこから農業大学校へ行きました。その後、縁があって、今の会社に就職しています。

梅田)どんなところが楽しかったの?

田中)2年のインターンシップ1週間の時も、上地さんのところへ行ったんです。1週間あったから僕が初日に種を蒔いたものが、最終日には芽が出とるんですよ。しばらく経って、また上地さんに呼ばれて行ったら、自分が植えた白菜が大きく育っとって。それを、かま屋に卸して食べてもらったら、みんな「おいしい!おいしい!」って言うんです。農業をする上地さんの行動、言動は、本当に楽しそうだった。僕もそれで「農業も楽しそう」と感じて、惚れたんです。

【インターンシップの様子】

高岡)俺が1年生の職場体験先を決めた時、じゃんけんで勝ってやったんや。それで、農業への道をつくってやったんやな(笑)

田中)そうやね。俺が勝って自動車系に行っとったら上地さんに会ってないし、今、どうなっとったか分からんね(笑)

梅田)吉岡くんは?

吉岡)僕は、オーダーメイドの家具専門の会社で、家具を作っています。高校を卒業してからは基礎を学ぼうと県立中央テクノスクールに入りました。在校中に、大きな賞(「第16回若年者ものづくり競技全国大会」の木材加工職種金賞)をとったんですが、その賞のための作品を作る途中で胃潰瘍になって長く休むことになってしまいました。学校は途中でやめざるを得なくなったんですが、インターンに行っていた今の会社から「卒業しなくてもいいから、是非来てほしい」と言われて。入社後も早い時期から、仕事を1人で任されるようになりました。

梅田)吉岡くんが、テクノスクールに行ったのはどういう経緯だったの?

吉岡)ものづくりは好きだったんですが、課題研究の卒業制作で、木のスピーカーを作ったのが大きなきっかけですね。高校に入った時は、「これ!」という進路の希望は特になかったんですけどね。課題研究で、急に火がついて木のスピーカーを作り出したんですよ。「こんなんが売れるんかぁ」と思いながら道の駅(※2)で販売したら、完売したんです。買う人にも「すごいでー」と言われて。(※2 「道の駅 温泉の里神山」。神山校の制作物販売用常設ブースもある)

【道の駅での販売の様子】

梅田)神山創造学での体験が、進路決定に影響してるんだね。そもそも、3人は中学時代に進路を決める時、神山校(当時・神山分校)を望んで受験したんだっけ?当時は、創造学が始まったばっかりだったと思うけど。

田中)親の希望で、仕方なく受験しました。少人数の学校やし、先生のサポートも手厚いだろうと親が思ってのことだと思う。「あなたみたいな、じっとしとらんタイプは、神山校がいいわ」と言われて。僕も川や山も嫌いではなかったから、神山校を受験したんです。

吉岡)成績の関係で、神山校。どうせなら、山の方へ行って楽しく行こうかなと思って入学したなぁ。

梅田)君らの同級生の進路は、林業・農業が多いよね。学校生活はどうだった?

高岡)卒業後も、木に携わっとるやつは多いよね。たぶん、授業がおもしろかったんよね。先生が、なんでもやらせてくれたのがよかったと思う。

田中)うん。あのとき、神山校で接してくれた先生たちの良さを、高校を出てから考えることが多い。当時は当たり前だったけど、高校を出てから、先生たちの良さがわかった。

高岡)ほうやな。神山校の先生たちは、ひとりひとりの個性に合わせて接しよってくれよったなと思いますね。神山校では、生徒たちの考えがしっかり固まっていたら、先生たちがそれに合わせてくれた。創造学の授業がそもそも、そういう組み立てだったし。

田中)先生たちが、生徒と同じ目線に立ってくれとったよね。中学校の時は、授業が苦痛でしかなかったけど、神山校で、創造学を受けて、授業が苦痛でなくなったなぁ。神山校の授業は、座って聞いておこうっていう気持ちになった。

創造学の授業が進むにつれて、普通の座学の授業の中でも、先生たちが変わってきたのを感じたよな。ちょっとずつ「創造学の手法で授業したらいい」というのが先生たちも分かってきていたんじゃないかな。生徒もそっちが楽しいもんね。

梅田)創造学があることで、みんなの目線と先生の目線が、同じになったんやね。創造学では、いろいろ「体験する」「話す」などを繰り返しやってきたけれど、みんなの変化も聞いてみたいな。

田中)最初、「創造学って難しいな」と思っとった。苦手だったのが、自分の意見を言わないといけないこと。高校へ入るまでは、先生の話を聞くばかりの13年間だった。なのに「言え、言え、なんでも言え」と言われるのが創造学。中学時代は、自分の意見を言うことはわがままだと思っていたけど、自分の意見も言うてもいいんやな、と思えるようになりました。


高岡)中学校の雰囲気は、自分で発言することができなかった。だから、創造学の最初はきまずかった。けど、4人に先生1人がつくから話しやすくて、どんどん自信にもなっていったなぁ。大人数だと緊張するし。自分の考えやのに「正しいかな?」と疑問を持ってしまう。それで話さなくなってしまう。

吉岡)僕も、もともとはしゃべるのはあまり好きではないけれど、創造学のおかげで、多少はしゃべるようになったかな。

田中)うん。神山校に入ってから自分の本心を伝えることの大切さがわかったよな。

吉岡)高校生活の中で、人と関わったな、と言う感じはありますね。創造学で、地域の人たちと、関わったなぁって。人と関わるところは、楽しいですね。それも、卒業してからわかるんですけどね。
 

田中)僕は人と関わるのが好きな人間なので、創造学が好きだった。社会人として生活していく中で、仕事する時も、プライベートで話す時も、創造学でやってきたことが今、役に立っている。自分の意見を言わないと、仕事をする上でも成長せんだろうし。

創造学は一方的に言うのではなくて、聞く時間もある。聞く力と話す力は、両方大事。それは、今、仕事する上で、すごく役に立っている。僕は仕事している時、「会社や他の人の状況が、どうしたらよくなるやろう?」って考えている。会社のためだけに動いて、自分を押し殺して、会社の言うことばっかり聞けばいいのではない。同時に、自分にとっても、良い状況を作りたい。

逆に、僕が自分のわがままだけでもあかん。周りだけ優先でも、自分だけ優先でも、どっちかだけなのは、絶対駄目なんですよね。今は両方のバランスをとることができるようになっている。創造学で学んだ経験がここまでできるようにしてくれたと思います。

高岡)僕も、仕事する時に、上の人にも「こうして下さい」って頼む時にも、どう伝えたら相手に伝わりやすいかな、相手って逆にどんなことを考えとるかな、と考える。そういう、考える力もついたなぁ。

田中)そういうのって、相手と自分が同等の気持ちで、なかったら言えんよね。中学校のままだったら相手と自分が、「どっちかが上で、どっちかが下」っていう、縦の位置だった。でも、創造学で、相手と自分が、横の位置、対等な位置にいられるようになった。それってめっちゃ大事なこと。創造学っていう授業のすごさを理解できるんは、卒業してからやと思う。高校におるときは、分からん。

高岡)うん。社会に触れてない子たちは、創造学のありがたみが、まだわからんと思う。

田中)卒業後は、自分の意見を言わないと、不利になる場面もあるから。

梅田)コミュニケーションの違いで、卒業後の林業アカデミーや農業大学校の同級生と違うなって感じたことはあった?

高岡)違うと思った。周りが幼く見えたよね。

田中)僕らは、神山校を卒業したけんかな。「こうしたほうがいいんじゃない?」っていう提案が自然に出てくる。でも、周りの奴らは、言われるまでなにもせん。

高岡)僕らと周りで、差はあったと思う。段取りも、学ぶ姿勢も違った。

田中)創造学をしてない子は、仕方ないかなと思う。僕も農大に行って、役をもらうことがあったんで、創造学で学んだやり方をつかって、話し合いました。意見を付箋に書いてはったりして。

高岡)創造学と同じようなこと、やってって言われたら、今、僕らできるよね。たくさんある意見をまとめるのは、楽やと思う。

田中)神山校に行ってなかったら、ずっとイエスマンなっとると思う。たまに同級生で集まったら「仕事辞めたいわー」と言っていたと思う。いまは「仕事、楽しいわ」って言えるよね。
 

梅田)吉岡くんも、社内で社内の人に意見を言ったりする?

吉岡)うん。めちゃくちゃいう。設計図も、こう作ったらいいとか、遠慮なく提案するよね。

梅田)今、ここで先生たちに伝えたいことは?

高岡)シンプルに感謝しかないよね。

田中)うん。感謝。ありがとうございました!ってことやな(笑)

神山校を希望して入学したわけではなかった3人から「神山校でよかった。感謝しかない」という言葉が出てきて、素直に嬉しかった。

「対等な関係性の中で、相手の意見も聞き、自分の意見も伝え、協力して行動する」。これは、とてもシンプルなことだが、生きていく上で、最も大事なことのひとつ。大人になってからも試行錯誤しながら身につけていくこと。

3年間の学びは、彼らの人生観に影響していることを改めて知って、背筋が伸びる思いでした。

生徒自身の意見・考えを求められ、感じたこと・話したことを受け入れ、認め合ってそこから発展させていく創造学。

新生・神山校も2024年度で8年目を迎え、創造学もどんどん深みを増しています。ご期待ください。


 

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梅田 學 (神山つなぐ公社 ひとづくり担当)

2018年6月に神山町に移住。ひとづくり担当として、神山校、神山中学校の生徒が地域で学ぶため授業をコーディネートしています。 その他、毎月一回、孫の手プロジェクトで、神山校の有志のメンバーで高齢者の庭の剪定をしています。 休日は、2年前から始めたサーフィンを楽しんでいます。徳島の小松海岸、高知の生見海岸に出没中。

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コメント一覧

  • 高岡くんの「受け」の切り口を見て。 受け口、下のラインが水平になっているし、斜め切りと水平ラインがピッタリ合っている 素晴らしい!

    2024年3月11日 14:22 | ニコライ

  • コメントくださっていたのに、返信おそくなってすみません! 彼は今、組織内で期待の新人らしいです。 それぐらいやり手みたいです笑

    2024年4月8日 18:38 | 梅田 學

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