ここには、どんな自分でも受け止めてくれる人たちがいる/あゆハウス通信Vol.26

学び2024年6月19日

投稿者:あゆハウス

(ayuhouse.yoriinishi@gmail.com)

今年も新入生6名が加わり、あゆハウスでは新たなメンバーでの生活が始まっています。

先輩も、新入生も、「どんな感じだろう?」ときっとそれぞれにドキドキしながら迎えたであろう4月。次第に人にも、寮にも、寮の中での立ち位置にも慣れていく中で、今年はどんな1年になっていくのでしょうか。

一人一人がこのまちでのどのような時間を過ごしていくのか、とてもたのしみです。

さて、今回は少し遡って、3月にあゆハウスを卒寮した生徒へのインタビューをお届けします。2人目は、鳴門市出身の大東伊織くん。(前回の鶴田にこ編はこちら

彼はどんなきっかけや思いで、神山へ辿り着いたのか?
神山やあゆハウスで、どんな時間を過ごしていた?

卒寮式を目前に控えたタイミングで聞かせてもらった素直な声を、みなさんにもお裾分けさせてください。(Interview:2024年2月29日)

大東伊織くん(鳴門市出身)

ここだったらちゃんと自分を出せるかもしれない

神山へ辿り着くよりもずっと前、小さな頃は、自分から人にどんどん話しかけに行くタイプだったという大東くん。公園にいる近所のおばあちゃんに話しかけ、一芸を披露して「かわいいわね」と言われていた時代は、本人いわく「人生で一番のモテ期」だったとか。

しかし、小学校、中学校へと上がるにつれ、次第に周りの人と話すこと、関わることに苦手意識を持つようになっていきました。

伊織:中学生の頃は、周りの友だちとの関係がうまくいってなくて、学校にもあんまりなじめてなかった。だから、自分の中ではなんとなく「変わりたい」って気持ちがあって。このままでは親や実家という環境に甘えちゃうだろうから「一回、家を出たい」「環境を変えて、全然知らない土地で過ごしてみたいな」って。そんなとき先生に教えてもらったのが、城西高校神山校でした。

元々どこの高校に行くにしても、淡々と勉強する、っていうのはあまりピンと来てなかったから、実習とか体を動かしながら学べる農業高校は「自分に向いているかも」って、すぐに興味を持ちました。

でも、いざ鳴門から通うとなったら遠いから、寮についても調べてみたら、めちゃめちゃ楽しそうで。ホームページや、SNSの投稿を見ていると一人一人が生き生きとしていて、楽しんでいるんだなっていうのが感じられて「すごい!この寮行ってみたい!」ってなって。

「地域留学体験2days」で実際に神山へ来て、町内のいろんな場所を訪ねてみたら、出会う大人の話もすごく面白くて。かまパンの笹川さんとか、話が面白いうえに、「パンもおいしい!」みたいな。学校も興味あるし、寮も良さそうだし、まちも面白そうだし、「ここしかない!」って、一直線に神山校とあゆハウスを目指して受験勉強に取り組みました。


2020年の夏に開催した「地域留学体験2dasy」の様子。左側、奥から二番目が大東くん。

当時の自分は、「もう生きてても意味ないな」って思うくらい自己肯定感がどん底の時期で。人との関わりを求めていたし、誰かに必要とされたかった。それに、自分で自分自身を認めてあげられるようになりたいって気持ちがすごいあって。あゆハウスや神山だったら、「自分も人と関われて、変われるんじゃないか」「もっと自分を出して、生活できるんじゃないか」って、直感的に思っていたかな。

無事に合格して入学するまでの期間は、毎日あゆハウスのインスタを見ながら「いいなあ、はよ行きたいな」ってずっと言ってた。父親まで「一緒に行きたい」「神山に移り住もうかな」って言ってたくらい(笑)。

 

人との関わり方がわからなくて、緊張の毎日。
殻を破ってくれたのは、先輩からの・・・

期待に胸を膨らませスタートした神山での新生活。しかし、入学してしばらくは極度に緊張している状態が続き、「毎日苦しかった」と当時を振り返ります。あゆハウスで初めて出会う同級生や、先輩、ハウスマスターとの生活は、どんな風に始まっていったのでしょうか。

伊織:最初はまわりの寮生や大人と「どう関わっていいかわからん」って状態で。気を遣うし、何て話しかけたらいいのかわからない、話しかけられてもどう返していいのかわからないって感じでした。もうずっと緊張状態。それが続いて、ある時に限界が来てしまって。1週間くらい寮を離れて実家に帰らせてもらうこともありました。その後も、慣れるようになるまでしばらくの間、土日は実家で過ごしたり。あんまりいいスタートはきれなかったかも。


入学して間もなく開かれた、寮での歓迎会。どの写真を見ても、少し表情が固く緊張していることが伝わってきました。

変わり始めたのは、1年生の6月頃かな。なにかが爆発したというか、「そこで一気に変わったよね」ってよく言われるんだけど。

当時の上級生が、よくいろんな人に無茶振りをしていて。ある日、一日の感想で「カラオケに行って、こういう曲を歌いました」って話したら「じゃあ、歌ってみてよ」って一人の先輩が言い出して。俺は、とっさに真面目に歌っちゃったんです。それを見た先輩たちは「こいつはいじってもいけるぞ」って思ったらしく、そこからどんどん無茶振りされるようになって。

無茶振りをされるのは全然嫌じゃなかったんだよね。むしろ先輩が自分に振ってくれること、関わってきてくれること自体が嬉しかったから、「もうそれに全力で応えよう!」って。他の寮生の前でも「この曲に合わせて踊って」ってリクエストされたから全力で応えたら、その全力感が面白かったのかめちゃめちゃみんなにウケて。

そこでちょっと殻を破れて、素を出せるようになったというか。


少しずつ緊張がほぐれてきたであろう、日常での一枚。

後から聞いた話では、先輩たちも俺に対して「どう関わっていいかわからん」って思っていたらしいけど、その辺からだんだん話しかけてくれるようになって、周りの人との関わりも生まれてきて。寮の中での立ち位置が見えてきた感じがありました。それまでの4月、5月はずっと苦しかったな。

「もっとあゆハウスに深く関わりたい」と、手を挙げたリーダーズ。

肩の力を抜いて日々を送れるようになる中で、ふつふつと生まれてきたのが「もっとあゆハウスに深く関わりたい」という気持ちでした。そこで、大東くんが自ら手を挙げ立候補したのが「リーダーズ」です。

学年問わず有志で集まった寮生数名が、週に一度集まって、寮全体の様子を見て感じることを伝え合ったり、「どうしたら寮でみんなが心地よく暮らしていけるか?」を中心になって考え、日常の中で必要な働きかけをする役割。

まずは、1年生の頃のリーダーズでの経験を聞かせてもらいましょう。

伊織:当時のあゆハウスには、日々の話し合いの仕方が大きな課題としてありました。今はみんな静かに集中して話を聞くのが当たり前になっているけど、その頃は、急にどこかへ行く人がいたり、遊んでいる人がいたり、隣の人とずっと話している人がいたり。もう、とことんカオスで。

その中で俺は、話し合いに参加できていない人がいたら参加できるよう声をかけたり、発言できていない人がいたら「どう?」って聞いてみる役割を任されました。

でも、これがすごく大変で…。例えば、同級生なら「集中しよう」って声かけができるけど、先輩に声をかけるのはどうなんだろう?っていう悩ましさがあったり。「どうしたらもっとみんなが話し合いに集中してくれるだろう?」「どう声かけをしたらいいだろう?」って難しかった。

「他の人はどう伝えているかな?」って先輩の姿を見て、真似てみようともしたけど、当時のリーダーズの先輩たちは結構、語気が強くて、はっきり言うタイプだったから「俺はそんな風にできんな」「自分のやり方を見つけなあかんわ」って。

それに、ハッキリと伝えることで相手を傷つけてしまって「別にやりたくないわ」って余計に気持ちを遠ざけてしまうこともあるのかな、とも思ったんです。だから、自分はできるだけ話し合いに意欲が向くような声の掛け方とか、「じゃ、やってもいいかな」って思ってもらえるような話し方、関わり方を考えてみようと、ハウスマスターにも相談しながら自分なりにいろんな伝え方を試したりしていました。

1年生の時は、伝え方の正解がわからなくてずっと悩んでたかな。時と場合や、人によっても言葉の受け取り方は違うから、本当に難しかった。でも、この時の経験から、人の気持ちを考えたり、相手に合わせて対応や伝え方を変える、工夫するっていうのができるようになったなって思います。

あゆハウスは「こうあるべき」というのがない場所であって欲しい。

一つできることが増えても「ここはもっとこうできるんじゃないか?」と新たな気づきや考えが浮かんだり、課題が見えてきたり。そうして「もう少し続けてみよう」と継続しているうちに、気がつけば歴代で最も長くリーダーズとして活動していた大東くん。

リーダーズという立場で、寮への意識を向け続けてきたからこそ「あゆハウスがどんどん移り変わっていく様子がよく見えた」と言います。彼の目には、どんな風にあゆハウスが映っているのでしょうか?

伊織:話し合いでいうと、1年目はさっきも話した通り混沌としていて。2年目は、落ち着き始めたかな。その分、一人一人の発言が少ない感じもあって、「どうにかできないかな?」「一人一人が意見を言いやすい場づくりってどうしたらできるだろう?」ってリーダーズでよく話し合っていました。

3年目は一人一人がちゃんと発言をして、いい形になってきているなって感じがあって。話し合いの時はちゃんと話し合う、でも終わったら切り替えて「遊ぼう」って、オンオフの切り替えもしっかりできるようになっていて。


すっかりお馴染みになった定番の自己紹介ネタを披露。盛り上げ隊長として、誰よりも体を張ってみんなを笑顔にしている姿を見てきた人も少なくないはず。

話し合う内容も、これまでは学期に一度の全体会議に上げないと解決しなかったんじゃないかってことが、日々の話し合いで問題が小さいうちにちゃんと話して解決できるようになっている。もちろん、全員が全員、同じように発言できているわけではないけど、でも、話している人に対してちゃんと自分の意見や、「こう受け取っている」って言うのを言える人が増えたなって。それに、「誰が意見を言ってもいいんだよ」っていうのがちゃんと雰囲気としてもあるし、全員で共通認識として持てている感じがします。それは、3年間で一番分かりやすく変化したことだなって。

あゆハウス全体で言うと、今はすごくいい状態というか、安定しているなというのを思っていて。前はいろんな課題を解決するためにリーダーズが色々話し合っていたけど、今は「もっとたのしく」「よりよく」するためにイベントを企画したり、そういうリーダーズになっている感じがあります。


年末にはリーダーズ企画で、忘年会を開催。みんなで鍋を囲み、カラオケをしてたのしい年の瀬を過ごしました。

ただ、安定しているからそれがすごくいいよねっていうのも違う気がしていて、可能性をちょっと潰している部分もあるんかなって。

俺は「あゆハウスはこうあるべき」っていうのがない場所であって欲しくて。暮らしたり、活動していく中で、どんどん形を変えて、そのとき暮らしている人たちが一番過ごしやすかったり、楽しかったりする場所であって欲しいなって。

その方が絶対に面白いじゃん。伝統だけを大事にしよう、じゃなくて、その時にいる人たちが得意なことを生かして、それがあゆハウスを作っていくみたいな。そういうのを自分は経験してきたから。

あゆハウスという既にある場所でただ生活をするんじゃなくて、あゆハウスを「もっと自分で作っていこう」「もっと変えていこう」って意識を持って、その時々に暮らすメンバーがそれぞれ過ごしやすい形にどんどん変わっていくといいな。


このまちで積み重ねてきた時間や、
かけてもらった言葉に支えられている。

入寮当初、歓迎会では一人で隅っこにいたという大東くんは、今やすっかり輪の中心で周りの人を笑顔にしたり、安心感を与えてくれる存在になっていることを、はたから見て感じます。

安心感のある親元を離れ、「変わりたい」という思いで飛び込んだ神山での3年間。大東くんは、自身の高校生活をどんな風に捉えているのでしょうか?野暮だよなあ、とは思いつつ、最後に質問してみました。

「この3年間で、自分は変わったと思う?」

伊織:変わったと思う。根本的な部分では変わってないと思うけど、自分の軸の部分は変わらなくてもいいかなって今は思えています。

「神山に来たからには、何かしら動いていないと嫌やな」「何かしていたい」って気持ちが3年間ずっとあって。それは多分、自己肯定感が低いから、なにかしていないと自分を認められないからだと思うんですけど。

だから、七夕祭りの企画をやったり、隠岐島前の生徒との交流会や、その報告会をしたり、ライブをやったり、課題研究の授業で作ったラーメンを地域の人にふるまったり。時々しんどくなりながら、いろんなことに取り組んできた。

そしたら、「よくやってるね」「よかったよ」っていろんな人が言ってくれたりして。でも、自分としてはやっぱり「やってきたことはやってきたこととしてあるけど、もっとできたんじゃないか」って方に考えてしまう。そこは直していきたいところでもあるけど、なかなかどうにもならないし、これからも付き合っていかないといけない部分かなって。

そんな風に、まだまだ自分を認められたわけではないけど、神山に来れたからこそ積み上げてきたものがあるなっていう実感はあって。そういう経験とか、神山で出会った人がかけてくれた言葉とか、一つ一つにいま支えられているなっていうのは思います。本当に。寮生にも、関わってくれたまちの人にも、感謝しかない。ありがたいです。


――もし、今目の前に3年前の自分がいたら、どんな声をかける?

伊織:なんだろう。当時の自分に対して「もっとこうしろよ!」とかは無くて、「肩の力を抜いて、やりたいことやりな」って言うかな。1年生の時は、ギュッと肩の力を入れまくって、安心しておれる感じではなかったから。

自分はやっぱりいろいろ抱え込んじゃうタイプで、あんまり人に相談とかできなくて。最近になってやっと、ちょっとずつ、人に頼ることもできるようになってきたくらいだけど。もっと人に頼って、相談しなって。「それを受け止めてくれる人が神山におるから」って伝えたいかな。

(インタビュー・執筆/畔永由希乃)

 

>過去の大東くんへのインタビュー記事
【あゆハウス通信vol.19】 みんなが言いたいことを言えて、みんながそれを受け止められる、そんな雰囲気を作っていきたい
https://www.in-kamiyama.jp/diary/62859/

>2023年春の卒寮生インタビュー 鶴田にこ編
憧れていたキラキラJKとは違うけど、それ以上にキラキラした生活が待っていた/あゆハウス通信Vol.25
https://www.in-kamiyama.jp/diary/80874/
 

あゆハウス (ayuhouse.yoriinishi@gmail.com)

城西高校神山校の寮は、鮎喰川の「あゆ」をとって、「あゆハウス」と呼ばれています。 「あゆハウス通信」では、あゆハウスで暮らす高校生・ハウスマスターが日々の活動を定期的に発信しています。 「地域で学び、地域と育つ」をコンセプトに、神山でさまざまなことにチャレンジする私たちを温かく見守っていただけたら嬉しいです。

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