「神山にまた戻って暮らしたい」と考える町外出身の神山校卒業生。まちと深く関わった2人の3年間とこれから。


学び2024年6月11日

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投稿者:神山つなぐ公社

「まちの高校」として、7年間、進められてきた城西高校神山校の改革プロジェクト。
神山校の生徒たちは、授業の活動でも、校外活動でも、まちの中へ出て、多様な大人と協働する機会が増えています。同時に、神山への愛着を深めている生徒も増えているようです。
2023年度卒業生の中からは、町外出身であっても「また神山に戻ってきて住みたい」という生徒も出てきました。

1人は、町営寮「あゆハウス」生でもあった山口璃恩(やまぐち りおん)さん。神山町での川の取り組み「行こう、鮎喰川!」の活動で、川の達人たちから熱心に学びました。

もう1人は、近隣の徳島市で福祉関係の仕事に就く蓑田海斗(みのだ かいと)さん。蓑田さんは、神山校の生徒が一人暮らしのお年寄りと交流する「孫の手プロジェクト」のメンバーでした。

卒業後に、2人の思いを聞きました。
 

左から蓑田さん、山口さん

まず、2人は3年前、なぜ神山校に入学しようと思ったのでしょう。

蓑田)僕は大人数の教室で勉強するのが苦手でした。「神山校は、人数が少ないよ。自然も多い」と中学校の先生から勧められたんです。やりたいことは特になかったので、神山校に決めました。でも、入学直後は、神山校でも「人数が多い」と感じたくらい大人数が苦手だった。けれど、神山校で人間関係をつくっていくうちに、快適に過ごせるようになりました。農業高校なので、普段体験できないことが体験できる<非日常>が毎日のようにあって、刺激がありましたね。

山口)僕は、小さい時から鮎喰川で遊ぶのが好きでした。神山校は、近くに川も山もあるので、いいなと思ったんです。オープンキャンパスやあゆハウスの地域留学体験イベントに参加してから、入学を決めました。この3年間は、放課後や週末に川で過ごした時間が一番印象に残っています。同期や先輩とずっと川に入っていましたね。NOBU−Gこと河野誠敬(かわののぶたか)さんなど、川の先達たち(※)から魚の獲り方を教えてもらったこともよく覚えています。授業では、間伐や草刈りなどが楽しかったです。チェーンソーや刈払機など、危ないものも触るけど、それも面白いと感じていました。
 

※川の先達:鮎喰川で川遊びや釣りなどの自然体験の継承に取り組む「行こう、鮎喰川!」の活動で、指導者として活躍する地域の人。河野さんは地域の学校の元校長先生。子どもたちから敬愛を込めて「NOBU−G」と呼ばれている。
「行こう、鮎喰川!」~先達に“学ぼう”、魚獲り~ | イン神山
ikouakuigawa | イン神山|神山町のいまを伝える

「行こう、鮎喰川!」の活動で、先達Jr.として、小さい子どもに川遊びを伝える山口さん。地域の子どもたちの人気者でした。


 

卒業後はどのような予定ですか。

山口)僕は、熊本のIT専門学校へ通います。まずはこれから社会に必要とされるITを学びたいと思っています。学校卒業後、一旦は、ITの仕事に就くのかなと思います。その後、すぐに神山に戻ってくるんじゃなくて、いろいろなところを回ってから人生経験を積んでから戻りたい。

これから進学するところは、ドローンやプログラミングも学ぶので、神山に戻ってからは、農業や林業に、ITやドローンを使ったことをしてみるといった仕事ができるかなぁとも思います。ドローンを使って植生を調べることもできますね。

本来は、山に入って木を切って、山を整えたい。でも、僕は、ちょっと飽き性で、「気の向いた時にやろうか」というぐらいが楽。だから、林業は本職じゃなくて、<平日は働いて、週末だけ山に入る>というのが向いていると思っています。神山には、山とそういう関わり方をしている先輩たちがいるから。
 

蓑田さんはいかがですか。

蓑田)僕は、徳島市の介護福祉の事業所に入ります。ここでしっかりと勉強をして力をつけた後、神山のNPO法人「生涯現役応援隊」に協力するために戻ってきたいと考えています。

進路を選ぶきっかけとなったのは、神山校の生徒が、地域のお年寄りの庭の剪定などを手伝うサークル活動「孫の手プロジェクト」での経験でした(※)。お年寄りの家へ行って庭を整えたりするんですが、その時のお年寄りとのコミュニケーションがとても楽しかったんです。だから2年生の時の課題研究で「地域のためにやること」を考える時に、僕は、高齢者に関係することしか思い浮かばなかった。高齢者に関することでは、僕自身の力を活かせると思ったんです。


※孫の手プロジェクト:まちを将来世代へつなぐプロジェクトのうちの1つ。一人暮らしのお年寄りに対する、神山校の有志生徒による有償ボランティア活動。労働力の提供ではなく、必ず作業後にお年寄りと高校生がおしゃべりする時間を設けて、世代間の交流を大事にしている活動。2024年度からはサークル活動から正式な部活動になった。
参考記事:
孫の手プロジェクトとは。 | イン神山

孫の手プロジェクトにて、活動の途中で地域の方と交流する蓑田さん(右)

その職業体験で出会ったのが、生涯現役応援隊の代表、川野公江さんでした。訪問介護に付き添った時、川野さんがお年寄りとコミュニケーションを取る様子を聞いて、すごく優しくて、いいなぁと感じたんです。一緒にいる時に、安心感がありました。

それから、公江さんの役に立ちたいという思いに加えて、やっぱり、このまちが好きだから、戻ってきたい。神山の人は温かいと感じるから。例えば鮎喰川コモンに行くと、小学生がワイワイ話しかけてくれるのが、すごく嬉しいんです。お世話になった友人、先輩、大人の人に恩返しをしながら、神山に住みたいと思っています。
 

地域と関わる3年間だったと思います。この3年で自分のあり方に変化を感じることはありますか。

蓑田)僕は高2までは、怒りっぽくて気持ちが抑えられない時があったんです。でも、自分を受け入れてくれる高齢者の方や友人と接するうちに、自分を制御できるようになったと思います。心が穏やかになりました。

最初に話した通り、高校を選んだ頃の僕は、大人数が苦手でした。でも、今は「大人数、かかってこい!」という感じですね。僕が就職する事業所は、関わる人の大きい組織なんです。僕は、自分らしい立ち回り方を神山で学びました。それを生かして、「自分の力を試してみたい」と思えるようになったんです。
 

蓑田さんは、先ほど「神山で恩返ししたい」という話をしていましたが、そう思うのはどうしてでしょう。

蓑田)中学生の頃は、人に何かしてもらっても「ふうん」というぐらいしか感じなかった。3年間の神山で、色々な人に悩みを聞いてもらったことが嬉しくて、心がずいぶん晴れたんです。周りの人にも感謝できるようになりました。だから、たくさんの人にしてもらってきたことを、ただ「ありがとう」という言葉だけで済ますのは、自分には心残りがある。自分は、相手に喜んでもらえることを、返したいと思うんです。

今は人を喜ばすことが好きになってきて、友達が笑っている姿をずっとみていたいと思うようになりました。

 

3年間で、本当にたくさんの変化があったんですね。山口さんは、どうでしょう。

山口)何より、僕にとって神山で、川の先輩たちと出会えたことは大きいと思います。先達のNOBU-Gたちと会えた。NOBU-Gは、釣りを教えてくれたんですが、自分も同じように川のことを人に継承できる人になりたいと思うようになりました。

神山校での神山創造学で、地域の川マップづくりをしたんです。この時、地域のお年寄りから、「山が荒れ放題だから、鮎喰川の水量が減ってきた」と聞きました。山が荒れてくると、川も荒れてくる。山に保水力がないと、農地が土砂に巻き込まれたり、田んぼもできない。山が水を蓄えてくれないと、生態系が崩壊していく。川の水がなくなり、海にも影響していく。林業は、農業・漁業とつながっていると感じるようになりました。

だから自分も、先達たちのように自然に興味がある人に、山と川が繋がっていることや、川との付き合い方などを伝えていきたいと思います。

 

左から山口くん、川遊び仲間の中村くん、NOBU-G


 

山口さんはあゆハウス寮生として神山で暮らしてみて、まちの特徴をどんな風に捉えていますか。

山口)神山は、住むのに楽しいところだと思っています。住んでいる人たちも面白い。その辺をぶらぶらしていたら、地域のお年寄りとも話ができて楽しいんです。街は、便利と言えば便利だけど、僕はお店はそんなに利用しないので、便利さに執着する理由はないから。

僕の場合は、川が住む場所を決める基準になるんですが、魚がいる川って面白いんです。鮎喰川はそういう川。どこにいるかな。と川の上の方からでも、見つけて楽しめる。潜っている時も、鯉がばっと岩陰から飛び出してくるのも楽しい。夜に川に潜って泳いでいたら、寝ている魚が、体にペチペチ当たるんですよ。

 

帰ってくる時に心配なことはありますか。

山口)住む家については、空き家はあっても貸し出してない家ばっかり。でも俺は9割方、なんとかなると思っています。それよりも、自然環境がいい感じで残っているかどうかというのが気になりますね。それから街中にあるような、パチンコ店やファーストフード店には入って欲しくない。神山が発展してきたとしても、自然の環境の中で、そういう店ができるのは、違うと思う。地域に根ざした大黒屋さんみたいなお店が続くのがいいなと思っています。

 

インタビュー後、「たくさん話を聞いてもらえて嬉しかった」と話す2人


 

「まちの高校」の神山校で、「まちの子ども」として育ってきた蓑田さんと、山口さん。個性を受け入れ、伸ばすことのできた3年間で、まちへの愛着を抱いたようです。
「神山という地域の中で学ぶ3年間」を選んだ先には、個性を受け入れ、自分を好きになり、未来へ向かう確固としたオリジナルの物差しを持つという生き方へと進む道が開けているのかもしれません。こうした「まちの子ども」たちが増えていった先に、神山町にどんな未来が待っているのか、楽しみになってきますね。

 

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(文:中村明美、インタビュー:樋口明日香、梅田學、秋山千草)

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神山つなぐ公社

神山つなぐ公社は、神山町の地方創生の一環で、2016年4月に設立された一般社団法人。「まちを将来世代につなぐプロジェクト」に取り組んでいます。

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