過去からの手紙と森づくり

なんでも2019年6月28日

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投稿者:神山つなぐ公社

本記事はイン神山内のほぼ月報という枠組みの中で執筆しました。2019年〜2021年までは神山つなぐ公社が「まちの様々なプロジェクトのいま」を、2022年以降は神山つなぐ公社とグリーンバレーで「神山に関わるみなさんと共有したいまちのできごと」をお伝えしています。

「まちの手入れ」では、NPO法人グリーンバレー、地域のみなさんによる「森づくり」と「アドプト・プログラム」を中心に紹介していきます。

この二つの活動は、ニコライさんが「神山日記帳」に臨場感あふれるレポートを毎回あげてくださっていますので、詳細は本編をお楽しみいただきつつ、「ほぼ月報」はイン神山編集部・藤本の目線で(半ば勝手に)手探りで書いていく試みをしています。

●2008年9・10月の様子から|森づくり

↑この数字なんですが、「2008年」で間違いありません。イン神山の良いところは、過去に記事を読んで楽しめることにもあると思っているのですが、「以前の森づくりはどうだったのかなぁ?」と気になり、筆者はどんどん遡って読んでしまいます。

行き着く先は、10年前以上の記事を通じて、その時に息づいていた時間に出会えるという妙。自分はそこに居ないけれど、みなさんが歩かれてきた軌跡に触れることで、その当時を想像して思いを馳せたりします。ぜひ皆さんにもおすすめしたい、イン神山の歩き方です。

粟生の森づくり」では、アーティスト・イン・レジデンスで滞在中とおぼしきアーティスト、祁答院(けどういん)さん率いる徳島大学のボランティアグループ、城西高校の生徒や先生の姿がありました。翌月にあたる「10月の森づくり」には、今も変わらずお馴染みの方々が! 足跡を残してくださった方のおかげで読めるわけなのですが、なんだかすごく嬉しい気持ちになりました。

長く続いてきた取り組みのそばには、実際に生きてきた人の姿があるんですね。見る人が見ると、人だけでなく神山の森の変化にも気づくのでしょうか。まるで過去からの手紙のようだと思いつつ、日記を閉じていきます。

<執筆:藤本彩>

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神山つなぐ公社

神山つなぐ公社は、神山町の地方創生の一環で、2016年4月に設立された一般社団法人。「まちを将来世代につなぐプロジェクト」に取り組んでいます。

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