短期連載コラム/番外編「書く。」

なんでも2023年11月24日

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投稿者:やすともゆうこ

もしかして、終わったと思いました?
間違ってはいません。事実、私の短期連載は終わったのだ。
それでも残り火が少々、燻っていたので、本作が更新されたわけです。
一通のファンレターから、この番外編を書こうと思い立った。私にとってそれは、人生で初めての体験だった。
ですから、いうなればお返事、のようなもの。
といいつつも、読んでくれている全てのあなたに届くようにしたい、と考えているので、ご安心を。

さて今回は、とても大切なピースが一つ、異なっている。「コモン」という題材から、少々脱するのだ。
「コモン」をたしなんでいるうちに書こう、と考え付いたことではあるので、厳密には「コモン」なのだが…。
はい、というわけで、「主軸」を定めたいと思う。いわゆる、テーマ、というやつだ。

Back number
第1回「私がコモンで出会ったもの。
第2回「司書になれなかった全ての大人たちよ、ここに集え。
第3回「なんとも初々しい、コモンの新書たち。の香り?
第4回「コモンで司書になる体験、後日談。私の長くて短い一日
第5回「コモンの本棚、ついに擬人化しちゃうらしいよ。知ってた?
第6回「みんな、100倍くらい考えて生きてんだって。コモンでただ本を読むだけ…って割り切るには、早すぎるんじゃない?
第7回「そもそも、児童文学ってなんだろうね?私とそこから始めてみない?
第8回「本が読めるようになるまで、2時間。え、どういうこと?
第9回「あなたとコモンで出会ったもの。


「書く。」

あなたは、どんなとき、どんな文章を書く?それは、どんな気持ちで?
「イヤイヤ、自分は文章なんて、書いて暮らしていませんよ。」って思った人。
実は私達、「書く」なくして、生きていないのです。
手続きのための書類。お仕事の報告書作成。学生のレポート。作文。ちょっとしたメールや、LINE。SNSで「退屈。」なんてつぶやいたりもするのかも。
もちろん、「書く」ことそのものを仕事にしている人もいるよね。まだまだある。
それでも、「いや、自分は書いていない!」という意固地で可愛い君。もうそうしたら、名前!書いたことないとは、言わせない!
名前だって、立派に言葉なのだから。文章…ではないか。

つまり何が言いたいのかって?
「書く」ことは、私達の日常に張り付いていて、もはや逃れることが出来ない活動だ、ってことなんだ。


で、ここで一つ。私にとっての「書く」を、掘り下げてみようと思う。
以下、テンション順にレベル分け。

  1. あー…。めんどくさいぞこれは。でも、やらなあかん。はー、誰か代わりに書いておくれ…な「書く」
  2. まぁ、書けなくはないけど、やりたいかというと…な「書く」
  3. 普通に「書く」
  4. 書かないと頭がパンクしそうだ。スッキリしたいので「書く」
  5. かかずにはいられない。書かされている気すらする。何かに。な「書く」

実は、ただ「書く」と言っても、その心持ちは全くと言っていいほど異なる。もはや、別の人物のようである。なぜか?
私には、割と明確な違いがある。
せっかくなので、もう少し詳しく見ていこうか。

①めんどくさいよ誰か書いてくれな「書く」
書きたくなさが、極限値。主に、自分のしたいことじゃない、学業や仕事にて出現。これらは自分で選んだはず…なのにね。
特に、まるで「自由」みたいな面を下げておきながら、その実「見えない正解」があるときに、出やすい。
そして自分のスキルや知識では、その「見えない正解」にたどり着けそうにないときも。
っていうか、「見えない正解」って何?もうほんとに、勘弁してほしい。
ちなみにコイツが、特定の人物、ではない場合は、知識をつけることで⑤まで昇華することが、稀にある。

②まぁ書けんことはないけど…な「書く」
まぁ、すごく書きたいことではないが、まぁ、特別余計なプレッシャー「見えない正解」が居るわけでもないし、まぁ、書けんことはない。
まぁって言葉に全てが集約。決して心は踊らないが、まぁ書くための時間を一応取りましょうか、というところ。
これもどちらかというと、気乗りしないやらされ仕事にて出現する。手は届く範疇。
あらまぁ。

③普通に「書く」
もう、本当に普通に書く。「あ、ここにサインくださーい」「あ、はーい」って場面でよく登場。
日常生活の中では、割と出現率が高い。
自分の字を見て、その日の気分が多少わかる。プチ占いのようなもの。

④デトックスにもなる「書く」
いわゆる、手記を書く私。すみません、かっこつけました。ただの日記です。
なんなら日記ですらない、ただのメモ書き程度もある。朝一番、ないし、どんより心が曇ってるよ!なときに出現。
どうしようもないので、頭の整理のために、書く。情報量が多くて、処理しきれないときにも便利。
記憶力のなさに定評がある本体のため、大切な想いを未来に届ける役割も果たしている。

⑤何かに書かされている「書く」
書かされてしまう。何も考えずとも、手が動く状態。脊髄反射のごとく、流れる川のように、言葉が、文章が、好き勝手する。
少々刺激的な出来事があった日などに、夜、もんもんと浮かんでは消え、するうちに寝入ってしまって。
翌朝、起き抜けに出現することが多い。夜に出てくることは、なぜか少ない。
その他、本体がとても興奮状態のときにも出番がある。誰かと対話しているときにも出てきたりする。
自分以外の何者かが関わった時に、表出する傾向があるのかもしれない。
あとで見返すと、「お、なかなか面白いね」と思うか、「顔から火が出るヤツ」と思うかの二択。


さて、ここで一つ、新たな発見だ。
私にとって「書く」ことは、どうやら、その時の私の人生、そのものを表しているようなのだ。

①や②のように、しかたなく何かを書いている私は、総じて、不満を深く抱えている。
それは「書く」ことに対してではなく、「自分そのもの」に対して。
さらにいえば、なんか、楽しくない。
生きていない。選んで、いない。自分の頭で、心で、感じることを拒絶したまま、ただ時の流れに乗っている、そういうとき。
ただ、それが悪いことか、というとそうでもない…場合もあるのかなと思う。
私の10代、20代なんてのは、流れ者もいいところ。
ま、自分では選んでいる、つもりなんだけどね。
当然、苦しんではいる。だって、自分で選んでいないんだもの。
ときにはそれを、自分で選んだのだと思い込んでみたり、他人の考えを、まるで自身の夢かのように語る。
繰り返してみるけれど、それが悪いことじゃないと思っている。
けれども、ずっとは、だめだ。
苦しい。苦しすぎるもの。
借りものの「書く」ほど自己の信念を折る作業は無いと思っている。
それでも、妥協せず、自らの糧としていくのならまだしも、…手を抜いた日には、もう目も当てられないのだ。

③はもう、なんていうか無味無臭なのでいいとして、④はどうかな。
吐き出すように「書く」ということ自体は、能動的だし、そこに自分らしきものが居るようにも思う。
ただしこれについては、①や②のように、しかたなく書く私の時にも、度々現れる。
一種の、救いなんだ。
本当に書きたいもの、いや、本当に「したいこと」を必死で探し当てようとする、そういう心のもがきなのだ。
私という人間の、生命力そのもの。生きようとしている。すなわち、生きることが出来ていない私と、生きようとする私の出会いでもある。
そういうときの言葉は、つながりもなく感情が溢れているだけのようにも見えるかもしれない。
けれども、「書く」ことそのものに意味があるのだと、考えている。
ま、簡単に言うと、なんかモヤっとするときに、なんでもいいから言葉を紙に書くと、割とスッキリするかもよってこと。
これからあなたもやってみよう!
え、もうやってる?仲間じゃないですか…。


お気づきかもしれないが、⑤だけは、別物だ。
書かされている、突き動かされる、「書く」。
その他は、どれも自分のために、書いているから。
やらされてるなーと感じている①と②ですら、結局自分のため。
やらないと怒られる?仕事の締め切り?それを守ることは一見他者のためであるようだし、実際そういう側面もある。
けれども、それを仕上げないと何かしらイタイ目に合う、自分を守る、自分のため。
③は言わずもがなだし(書類書くのも自分の用件だ)、④は一歩踏み込んでいるようで自分探しのためだったり。
自分のため、なのだ。
だから、面白くならない。
突き動かされるような「書く」だけが、誰かに向けて書いている。
読んでくれる人に、届けたい言葉を、本当の意味で伝えようとしている。
つまり、私の「やりたい」と「やってる」が、正しくマッチしているときなのだ。
その先に、伝えたい「誰か」が、居るときなのだ。


「書く」という行動一つとっても、これだけ想いが違っていて、あまつさえ「人生」を切り取ってしまう。人って不思議ね。
あなたにとって、人生を切り取るような「行動」はなんだろう?
私のように書くことかもしれないし、思いもよらないあの行動?
多分ヒントになるのは、その行動が、当たり前になっていること。
楽しいときも、苦しいときも、つい、してしまうほどにね。
当たり前のことが、意外にも、自分にとって「核」となっている。私はそうだ。最近気づいたところ。
読むのが好きだ。書くのが好きだ。文が、言葉が、核にある。
当たり前が、「核」なんだと気付いた時、その行動は私たちの味方になってくれる。
そうすると、そのときの自分にとっての「やりたい」を見つけられるような…気がしてる。

あなたの核は、なんだろう。
すぐに思いつく人もいるだろうし、そうでない君も、あぁ「アレかな…?」と少しでも浮かんだその行動を、少し、様子見してみて。
無料だし、今からでも出来る。お手軽だ。
様子見の先に、どんな答えが待っているのか、それは未来のあなたのみぞ知る。


と、ここで、コモン最新情報をお届け。
何も、コモンが全く出現しないとは言っていない!
現在コモンでは、新たなお楽しみが企画されているんだ。

みんな、アドベントカレンダー、って知ってる?私はあんまり知らなかった。なので、調べてみた。
どうやら、クリスマスまでをカウントダウンしちゃう、特別なカレンダーのことらしい。
袋や箱に数字が書かれていて、毎日一つずつ開ける。すると、小さなお菓子やプレゼントが入っている。
これをコモンらしくアレンジしたものを、鋭意制作中なのである!

さて気になるのはやはり、中身だろうか。
そこはやはりコモンである。
まだまだ、本が!アツいのである!
詳しいことは来てみてのお楽しみだが、本にまつわる何かが毎日入っている。
そして日々のお楽しみボックスを真っ先に開くことが出来るのは、トップバッターで名乗り出た者だけである。
12月1日から12月25日まで、この楽しい時間は続いていく。
毎日通おう。大人げなく、開こう。


結局、私は何が言いたいのかと言いますと、一度ならず二度までも、私の文章を読み、あまつさえメッセージまでくれたあなたのために、文を書いてみたかった、そういう、それだけのお話です。
本の冒頭にさ、「親愛なるシンディへ」とか書いてあるのは、こういうことなのかもしれないね。
読んでくれて、ありがとう。


アテにならないかもしれない次回予告…の最終回
「番外編は続くのかもしれないし、はたまた別の形で何かを書くのかもしれないし、ともあれコラムの様相を保つのが難しくなりつつあるので、アテにならない次回予告はこれまでだ。さらば。」

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やすともゆうこ

2021年春、家族と共に神山町に移り住んできました。お魚と本が大好きです。

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